2009年01月30日

ウェブ言論の理想系はこうだ。その1

池田信夫先生が「アゴラ」を始められた。グループブログだという。

http://agora-web.jp/

The Journalも同様だ。

http://www.the-journal.jp/index.html

英国の小林さんは、The Journalのスタイルに同感し、日経ビジネスのサイトに納得している。

http://ukmedia.exblog.jp/10613419/

だが、そのような単純な話ではない。


それらのメディアが浅薄なところは、テキストについて一切の吟味がないところである。

テキストと一言で言ってしまったが、その実際は以下。


【パッケージされたテキストの分析】

TEXT :文章

OUTLINE:大意

SUMMARY:要旨

THEME:論旨(1文程度)

MOTIF:題目(表題程度)


さて、メディアでのコンテンツは「パッケージ」を前提としているので、読者/受け手は、コンテンツ全体/文章から読解/解釈/鑑賞しなければならない。

そこにおいて読者/受け手は自由である。「表現」は、「洗脳」「啓蒙」「教育」ではないから、読者/受け手の自由を毀損しない。別の見方をすれば、作者/コンテンツメーカーは「文章しか提供しないこと」によって、読者/受け手の自由を心外することを避ける/タブーとする。


勿論、教祖になりたい作者/コンテンツメーカーは、その範疇ではない。

そして、読者の所作とは、


【読解。またの名は、帰納批評】

TEXT :文章
↓帰納
OUTLINE:大意
↓帰納
SUMMARY:要旨
↓帰納
THEME:論旨(1文程度)

MOTIF:題目(表題程度)


それが、「既存メディアにおけるパッケージ」の構造である。



既存メディアにおける特徴は、「読者/情報の受け手のリソースが、読解/帰納批評に費やされること」。それにより、リソースを費やすことは満足感に繋がり、読者の一部しか批評行為をしない。

帰納批評もたしかに批評のひとつだが、読者・個の主観の比率は低い。だから、国語の「読解」の問題にもなる。本来の批評とは印象批評・思索批評だろうが、それさえも覚束ない。



一方、インターネットにおける「非パッケージ型コンテンツ」を考えた場合、「文章から論旨にいたる帰納批評」を読者/情報の受け手に委ねる必然性はない。

何故なら、これが「読者/情報の受け手の自由」を損ねるにしても、「読者/受け手」には「反論・反発・反対・ネガティブなフラッグを立てる自由」があり、それを持ってすれば、「読者/受け手」が「作者/発信者/オーソライズ者」に君臨されることはない。




ここが重要なのは、「インターネットでは、テキスト(狭義)だけが提出/流通するのではない」。
さらにいえば、ネットでは、「テキストという分量」よりも、ノート、メモ書きの方が好まれる。


【インターネットで提出されるテキスト(広義)の種類】

TEXT :文章

OUTLINE:大意

SUMMARY:要旨

THEME:論旨(1文程度)

MOTIF:題目(表題程度)

※上記が自立的に存在する。但し、文脈的な価値付けの判断はできない。(帰納批評不可)


インターネットにおいて、読者は帰納批評(テキストからテーマを類推する作業)する必要はない。読者に帰納批評を求めるような作者/発信者は、インターネットを理解していない。

だが、それはインターネットに限った特徴ではない。新聞記事を思い出してほしい。

見出しがあり、リード文があり、本文がある。
それぞれが自立的に存在し、「見出しだけ」でも、「リード文だけでも、本文だけでもコンテンツを把握できる。

見出しは見出しであって、タイトル(motif)ではない。
「21世紀少年」はタイトルではあるが、見出しではない。「21世紀少年」は題材ではあるが、テーマは分からない。「誰も守ってくれない」はタイトルであり、見出である。

*

その点で「アゴラ」の記事のタイトル群を見てほしい。

ノンワーキングリッチの弊害 - 渡部薫

「象徴としてのアメリカ大統領」に想う - 北村隆司

終身雇用がメディアをだめにする - 池田信夫

ウェブにおける自分という存在の示し方 - 渡部薫

名演説と黒子 - 北村隆司

「格差社会」の謎 - 松本徹三

Re:「複雑系」の世界に対応できない単純な議論 - 池田信夫

SBI大学院大学@YouTube

日米の経済危機対策に想う - 北村隆司

なぜ世界は不況に陥ったのか


10つの記事タイトルのうち、自立的な見出しになっているのは、池田先生の記事だけである。

池田先生だけが、インターネットの特質を理解しており、「オピニオンサイト」としての成立を目指している。


「終身雇用がメディアをダメにする」は、それだけで意味が通じる。主題文に等しい。
「Re:「複雑系」の世界に対応できない単純な議論 」も、「単純な議論では、複雑系な世界に対応できぬ」と、主題文になる。
だが、「…の弊害」「…に思う」「…の謎」では、タイトルがMOTIFでしかなく、主題は分からない。そのようなものはインターネット的ではなく、「読者に帰納的批評の手間をとらせ」、対話の可能性を摘んでいる。



新しい酒は、新しい皮袋に。
と、池田先生のブログにコメントした。
だが今は、古い酒を古い皮袋に入れただけ。
それが「既存メディアの住人・古めかしい人達」が提出する2009年の特徴ともいえるインターネットメディアたちである。



長い話になりそうであるが、少しづつ、粘り強く書いていこうと思う。

---------------------------------------
全ては、セマンテックウェブ(量的情報処理の時代が終焉し、意味的情報処理の時代がやってくる)とオブジェクト指向(すべてのコンテンツが等価に扱われる)というトレンドの中での出来事である。

そして、オブジェクト指向の潮流の中では、発信者もコンテンツと等価に扱われるし、評価タグもコンテンツと等価に扱われるし、分類もコンテンツと等価に扱われる。
---------------------------------------

「等価に扱われる」とは、「相対的に評価/処理される」ということ。

そこにおいて全体集合に君臨するエスタブリッシュは存在せず、エスタブリッシュであろうとすればするほど、その個・集団は部分集合の垣根を高くする。

ソレダケノコトダ。
posted by sponta at 20:28| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブメソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0