実は、妻が結婚を決めるまで、寛美と義母は絶縁状態だった。義父が死んだ後、すべての財産を妻に託すという遺志の遺書が発見された。父が亡くなったら長女の自分が跡を継ぐんだと思っていた寛美はそのことに腹を立て、遺産相続の同意書に何年も判子を押さなかった。たとえ他家に嫁いではいても、長女が跡を継ぐのが当たり前という意識が彼女の中で大きかったのだろう。それとも単純に遺産が欲しかったのか。だが、寛美が義母と絶縁までして自分の意思を主張した理由はもうひとつあった。彼女は父が亡くなる十年前に甲状腺腫瘍の摘出手術を受けていたのだ。甲状腺を手術すると精神のバランスが崩れ、性格がきつくなったり、精神的に不安定になるという。甲状腺の手術と自分が長女だという責任感が、その後の寛美の言動に深く影響しているのかもしれない。
「あたしがお母さんの病院に行くと、お母さんが興奮して病状が悪化するから、あたしは遠慮しとくわ」
以前、寛美は妻にそう電話してきたことがある。
実は、義母も甲状腺の手術を経験していた。精神病理学的にみても、精神的に不安定な寛美と義母が顔を合わせることは、避けるべきだったに違いない。
「お母さんには会わないほうがいいですよ。それは、あなたのためではなくて、お母さんのためです。あなたがお母さんに会うと、お母さんは狂ってしまうんです」
甲状腺の手術の後、寛美のカウンセリングをしていた医師は、彼女にそう助言していた。だが、目の前の患者を差し置いて、精神科の医師が患者の母親の精神の暗転のことを心配するとは考えられない。一方、義母を担当していた心臓内科の医師は、「お母さんが興奮するようなことは、極力避けたほうがいいですね」と、妻にアドバイスしていた。
「その娘さんに会うと、お母さんも辛い思いをしなければなりませんし、お姉さんもきっと精神的に不安定になってしまいますね」
精神科の治療のためには仕方のないことだとしても、血を分けた母と娘が同じ東京に暮らしながら何年も顔を合わせないのは、世間的に見れば異常事態である。だが、医者の言葉に逆らってまで無理やりふたりを逢わせようと、妻はしなかった。
以前、義母が入院していた時に、寛美の代わりに彼女の夫・仁志が病院にやってきたことがある。仁志は寛美の精神的な病気を一日も早く回復させるためには、何か用事があった時に妻が直接寛美と連絡を取るのではなく、仁志の勤務先に電話を入れてくれるように懇願した。妻は言われるまま親戚の法事がある度に、仁志の勤務先に連絡を入れたが、その連絡を聞いた寛美が法事に現れることはなかった。そうこうするうちに六年が経ったのである。
妻の結婚によって、義母と寛美は六年ぶりに顔を合わせたが、ゆっくりとふたりが話す機会はとうとう訪れなかった。
「あの子は、とても嫌な感じになったね」
寛美と会って数日が過ぎた頃、義母はふと妻にもらした。六年の時間は、義母と寛美の感情を何も変えていなかったのだ。とはいえ、私との結婚により、妻は寛美に直接連絡を入れるようになった。今回の入院でも、妻は寛美に義母の経過報告を入れていた。しかし、この時まで寛美は病院に現れていなかった。
2009年01月05日
小説先祖供養_23
そもそも。
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