第四章:義母の死
敦賀から帰った翌日、私は横浜のホテルに行った。私の仕事は企業向けビデオのディレクターである。そして今、コンピュータメーカーのセミナーで移される映像の制作を担当していた。
ホテル側の担当者とイベントのスタッフだけがいるセミナーの開かれる宴会場は、がらんとして静まり返っている。一週間後、この場所にテレビで顔を打っている有名エコノミストが登場し、メーカーの販売代理店やユーザーのサラリーマンたちを相手に講演する。会場には、一万人近くの聴衆が集まるが、広い会場の後ろの席からでは、壇上のエコノミストの姿は豆粒にしか見えない。そこで、このイベントでは、会場内にビデオカメラを設置し、舞台後方にスクリーンにエコノミストの姿を映し出すという演出が採用されていた。
イベントの進行に合わせて、テレビの技術スタッフを指揮するのが私の役割である。打ち合わせは午後三時に終わった。私はその足で義母が入院している病院に向かった。
マジックで刈谷まきと書かれた個室に入って行くと、義姉の栄子が丸椅子に座っていた。彼女は私に気づくと、唇に指を添えて「静かに」と合図した。
「どうも」
私は小声で話しかける。
「早いわね」
「横浜で仕事が三時に終わったんだけど、わざわざ新宿の会社に戻るのも面倒でしょ。だから、いまさっき、この病院のロビイから『たった今打ち合わせが終わったんで、これから帰っても六時を過ぎますから直帰します』って、会社に電話したんですよ」
「それはお疲れさま」
栄子は呆れたように微笑んだ。
着替えの衣類を持って妻が入ってきた。
「あら、仕事はもう済んだの?」
「ああ」
「じゃ、一緒に帰れるわね」
この病院は完全看護である。したがって、家族が二十四時間病院に詰めている必要はない。家族が病院に詰めていなければならないのは、病状が急変する可能性があり、医師が家族の同意を必要とする手術の可能性がある場合など。病状が安定すれば家族の承諾が必要な事態もなくなる。そうなれば家族は身の回りに必要なものを切らさないようにして、あとは患者を精神的に支えるために病院に顔を出すだけだ。
「お姉ちゃん。お母さん、もう大分回復してきたから、明日から大部屋だって」
「ほんとに。それはよかったわね」
「年寄りが一人部屋にいると刺激がないから、呆けが進んでよくないんですって。リハビリのために大部屋に移すっていうことは、病状が回復に向かっているってことでしょ。先生もお母さんの回復力の強さにびっくりしてたわ」
「やっぱり、墓参りが効いたのかな」
私は妻に話しかける。
「だといいわね」
姉の栄子は、妹夫婦の福井への墓参りのことを知っている。しかし、姉はとりたててその話題に加わろうとはしなかった。
2009年01月03日
小説先祖供養_22
いよいよ、いよいよ…。
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2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。



