アダルトビデオ女優であり、セクシータレントでもあった彼女は、きっと「セックスを人前に晒した人」という暗黙の蔑視に、切れていたのだろう。
その後、深夜アダルト番組から、バラエティーに進出。世の中の蔑視を乗り越えることができた。だが、彼女の心の中はどうだったのだろうか…。
彼女の前にも、後にも、セックスをパブリックに発信しつつ、大衆に受け入れられたタレントはいない…。☆
飯島氏は、その後も「世の中から蔑視されている感じ」を持ち続けていたから、「歯にきぬを着せぬ発言」をすることができた。と私は感じる。
彼女の初エッセイは、「どうせバカだと思ってるんでしょ」だそうだ。だが、その裏には、どうせ「アダルト」の仕事をしていた。と、軽蔑しているんでしょ。というのがあったに違いないと思っている。
バラエティー番組のクレバーさからいえば、飯島愛氏がバカではないことは明らかだ。そして、バックステージでの完璧な人づきあいは、彼女の辛さを一層感じさせる。つまり、アダルトをしていた私を汚いと思っているのに、それを気にしないでつきあってくれたよね。そういう感謝…。
厳しい父親に育てられた彼女。彼女が持ち続けていた焦燥感・挫折感は深いと思えてならない。
その深さは、末期における彼氏の不在が強烈に印象付ける。ひょっとして、「神様、お願い。私の舌をいれさせて」と焦がれる彼氏は、今生では存在しなかったのかもしれぬ…。
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私は映画学校の学生のとき、オークラ映画のピンク映画の現場にいた。そこで、監督やスタッフが大声で「お○○こ」と言うことに強烈な違和感(傷ついた)を感じたことがある。何で、たった四文字の言葉を使うことに違和感があるのか。そのことにショックを受けた。
そして、わが娘には、そういうショックを与えないために、幼少時から「お○○こ」という言葉を使うようにしてきた。そして、中学2年の娘は言う。私は、「○○こ」って言われたって傷つかない。セクハラなんかに負けない…。と。勿論、彼女が学校で、「○○こ」と言うわけではない。ただ、男子から「○○こ」といわれても、平気でいられる。「チ○コ」と切り返すことができる。そういう女性になっている…。
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私はセクシュアルな行為も、人間の営みのひとつだから、タブー視することは無為だと思う。勿論、人前でする必要は必ずしもない。もっとフラットに考えるべきだと思う。
女優の五月みどり氏は、自分の乳房をスタッフに見せびらかすし、ストリップ嬢になりたかった、と、あっけらかんと言う。きっと、五月氏は、飯島氏のように厳しい父親から純潔教育をされなかったのだろう。
一方の飯島愛氏は、「歯に絹をきせぬ発言」をしていても、心理的には正反対で、自分の過去を深い瑕にして瑕ついていたに違いない。
ブログでは、円形脱毛症になった自分の写真を掲載したという。それは明らかに自傷行為である。
同様に、彼女の「歯に絹をきせぬ発言」も自傷行為の類である。そして、そのことをバックステージでの関係者との完璧なコミュニケーションの存在が証明している。
それが悲しい…。
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頭のいい飯島氏。厳しく育てられた彼女。彼女は幻想の「巷間の蔑視」と戦っていたに違いない。その意味では、AV出演も、テレビ出演も、歌手、小説執筆も彼女の自傷行為だ。
彼女の手首にリストカットの跡はないだろう…。彼女は、そんなありふれた自傷行為はしていなかったに違いない。そこにこそ、彼女の人生のスケールがある。彼女の人生は稀有なものだといえる。
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飯島愛さん、あなたを尊敬しています。
今生で出会うことはなかったけど、あなたが見せてくれた人生で、私は多くのことを学びました。
…あなたはがんばった。でも、わたしたちは誰も、あなたの孤独を癒すことはできなかった。
生きるって、悲しいよね。
2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。



