「あそこに、ほら」
「ホントだ。じゃ、あの松の木の下から手分けして探そう」
私たちは、碁盤の目のように整然と区切られた霊園をひとつひとつ探すことになった。しかし、この霊園は結構広くて、段々になった霊園が三段。それも左右に分かれて広がっている。
私が最初に探しに行った松の木に一番近いブロックに、三沢家の墓はなかった。続いて、段々坂を登るようにして、ひとつひとつの墓標を調べていく。しかし、なかなか見つからない。このままではお墓が見つからない前に日が暮れてしまう。私はもう一度浄勝時に電話した。住職は何で親戚に聞かないのですかと怪訝そうにしながらも、霊園の駐車場に一番近いブロックに三沢家の墓があることを教えてくれた。
住職に教えられたブロックは、人の背丈よりも高い大きな墓標が集まっている場所だ。そんな大きなお墓ばかりの場所にこじんまりとした三沢家の墓があるはずはないと思い、いい加減にしか探していなかった。
ようやく三沢家の墓を見つけると、私は思わずその場所にへたり込んだ。陽はとっぷりと西に傾き、あと十五分もすれば陽は暮れてしまいそうだ。お墓の前で何もしないで呑気に休んでいる場合ではない。私は桶に水を汲んで来ると、ふたりで墓標に水をかけ、栗まんじゅうと水洗まんじゅうを供えてから線香に火をつけ、手を合わせた。
「どうも長い間ご無礼を申し上げました。はじめまして、純之助さんの妻の友美です」
妻は合掌をして墓に語りかける。私は、納骨されている祖父の安太郎と伯母の敦子のことを思った。
遥かかなたの松の木にも西日が当たっている。
「君が夢で見た松の木があんなに向こうにある。これじゃどう見たって、松の木のすぐそばにお墓があるなんていえないよ」
「でも、開けているところだし、確かに松の木も見えたでしょ」
妻が夢で見たイメージは、開けていて松の木があって、三沢家の墓があるというもの。しかし、それを絵にしても、あまりに現実とはかけ離れている。私には、妻の夢が現実と符合しているとは思えない。確かなことは、武田耕雲斎のところではないと、最初に言い切ったことだけである。
桶を流し場に片付け、再び車に乗り込むと、もう辺りは真っ暗だった。
「墓参りだけで、これだけ大変だとは思わなかったよ」
「今まで十年間も不義理してたんだもの、お墓参りするのにこれぐらい苦労したってバチは当たらないわよ」
光が丘霊園を後にして、駅前でレンタカーを返すと既に七時を過ぎていた。レンタカーの清算を済ませ、駅で帰りの切符を買うと、お財布の中には数千円しか残っていなかった。お土産を買おうにも、銀行はとっくに閉まっている。考えてみれば、日曜日の夜に敦賀行きを突然決めて、そのまま新幹線に飛び乗ったのだから当然である。銀行にも行かないで、よくもここまでお金がもったものだ。敦賀駅の売店で、妻は東京駅から家までの交通費を残して、駅弁と蒲鉾、そしてビールを買った。
2008年12月27日
小説先祖供養_20
ホンデモッテ。
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2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。



