http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/fef554c43c88f4187755b441ca784276
では新聞サイトで購読料モデルが成り立つかというと、Economistのような高級紙(誌)かポルノサイト以外は無理だろう。広告モデルも、Facebookでさえ赤字だ。"Groundswell"にも書かれているように、Web2.0は既存企業を補完するビジネスで、それ自体で黒字になることはむずかしい。
これもまた、ネット者にとっては、反論しなければならない論理です。
内容は以下。
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コミュニケーションを、情報のデリバリーと考えれば、高級紙かポルノサイトしかビジネスとして成立しない。のかもしれません。しかし、コミュニケーションを、情報のデリバリーではなく、同一コミュニティー内の所属確認作業とするならば、さまざまなメディアが成立する。
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コミュニケーションにはふたつのタイプがある。
1. 情報をデリバリーするタイプ。
2. 同じコミュニティーに属していることを確認するタイプ。
私は、公文俊平氏が紹介した、「スマートモブ」の冒頭のシーンを痛烈に批判している。
http://plaza.rakuten.co.jp/sponta/diary/200612040000/
なんと上記は、2006年12月の記事。
それらから紡ぎ出した答えは、「朝日新聞というサヨク・イデオロギーなコミュニティーは少数派になり、その機関紙としての役割は、もはやビジネスとして成立しない」ということに他ならない。
戦後60年を経て、朝日新聞の紡ぐ「反日・自虐な物語」は、国民の多数派にとって受け入れがたいものになった。「反日・自虐な物語」は、戦前・戦争中、非国民と批判された人達のレコンキスタ(失地回復運動)だったのかもしれぬ。たが、彼らの非国民性が痛烈に批判されている。
非国民性を批判することを、彼らは「ウヨク」と呼ぶ。だが、それは「ウヨク」と呼ばれるべきものではなく、凡庸な国民を指す。
ネットウヨクなど存在しない。いるのは、極めて凡庸な・無名な国民である。
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書籍の売り上げトップ100を見れば同じようなことが起きていることが分かる。
すごい販売数をカウントしているものに宗教団体が深く関連しているものが多い。
もちろん、布教を目的に一人の信者が複数の冊数を購入するということもあるだろうが、「わたしの物語」としては、教団に所属していることを確認するため。もしくは、所属先に対する忠誠度を示すために、購読されている…。
布教という言葉を使ったが、その語は評判と等価。
「○○教っていいよ」というのと、「朝日新聞っていいよ」というのは同じこと。そして、朝日新聞が紡ぐ、「サヨク的現実認識という物語」が不興をかっているのは、そういうサヨク者の数が減っている。それだけのことでしかない。
サヨク支持者の割合は、社会党+共産党の支持率で類推できるだろう。いまならば、社民党+共産党の支持率ということか。かつて、社会党は第二党だったが、いまは…。
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朝日新聞の赤字をもって、既存メディアの暗い未来を印象づけるのは、分かりやすい「物語づくり」である。だが、それは、少数派になったイデオロギーに拘泥し、心中しようとする「頑迷な人達」の末路に過ぎない。
広告代理店の虜・広告主の傀儡になってしまった他紙も同様である。
その一方で、ユーザー第一の紙面づくりで注目される新聞もある。赤い紙のサッカー新聞。…だそうだ。
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では、新しい新聞とは何か。新しいメディアとは何か。と、いえば、明確な形がみえている。それが2008年である。
「私の物語」は、そういうこと。池田先生の物語と対照されると、さらにフォーカスされる…。
2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。




「多く」ってどのくらいの数なんですか?
はっきり言えば、そう思っている人は、ネット者であって、そう思っていない人は、ネット者ではない。
そういうこと。
それが、「私の物語」における、ネット者の定義です。
コメントありがとうございました。
「彼らは非国民」。これが一番分かりやすい。
昔、反日武装戦線という日本人の革命組織があったが、そういうことだろう。中国で、靖国問題を外交問題化した朝日の記者は、日本の国益を考えない非国民だと思う。
私たちの多くは、ただただ国民である。そして、過剰な利益と過剰な誇りが、世界平和を乱すことなど、とうに理解している。ただ、それだけなのに…。
そして、きっと彼らは、「非国民」なる言葉に過剰反応するだろう。結局、受け継がれていくルサンチマン(怨念)の歴史なんだろうな…。
ありがとうございました。