その事実を隠蔽することこそ、既存メディアの最大の欠点であり、それを修正しないかぎり、既存メディアは、インターネット時代に生き残っていけない。
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たとえば、アジアからの不法滞在者の生徒が日本国籍を取得できず、帰国を余儀なくされている。その生徒や家族の映像を流し、視聴者の感情を揺れ動かす。そして、生徒を帰国させるのは非情であり、それをしない法務大臣は血も涙もない。と、暗に訴える。
これは、ガ島氏が、ブログで嘆いていることと通弊である。
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20081119/1227106677
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実定法主義(いまある法律を守る立場)にあるマスメディアが、行なっていいのだろうか。
経済的に豊になった日本と近隣諸国との関係において、出入国においてボーダーレスにすることが、日本の秩序を維持するためにマイナスにならぬ筈はない。
マスコミがアジテート(煽動)する目的は何か。と、考えたら、殆ど意味不明である。
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さらにいえば、日本が「ゴネ得」社会になっては困る。
あえていえば、光市の本村氏は、「ゴネ得」との批判を免れない。だが、彼は本来あるべき社会のためにゴネたのであり、彼は、ゴネらーとしての批判を受けることを承知で、勇気を持って現実と立ち向かったのである。
私は、固有名詞でしか成立しないニュースはゴシップでしかないと指摘しているが、本村氏が司法制度に対して行なったことは、ゴシップではない。
だが、今回、出入国管理に関して、出国をよぎなくさせられる家族たちはゴシップである。なぜなら、テレビに紹介された人はワンオブゼムでしかない。
そして、ゼムのすべてに同じ対応をするならば、報道の論調が変わるに違いない…。
一方の本村氏も、犯罪被害者のワンオブゼムに過ぎぬが、ゼムのすべてに同じ対応をすべきである。そして、彼の社会的な登場によって、関係法律が変わりつつある…。
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出入国管理に関する法律の設定は、グローバリズムとナショナリズムにおいて極めて微妙な判断であり、少なくとも、不法滞在者の利益のために改正する・特例を認めるなとということはあってはならぬ。
ゴシップでしかないものを、ニュースとして伝える。そこにこそ、マスコミの傲慢がある。
被取材者に権力を与える。それが、マスコミの本質である。
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私たちは、人が死ねば悲しい。別れは辛い。病気になれば痛いし、叩かれれば怒る。
だが、そんな単純な生き方が許されるほど、社会・世の中は単純ではない。
鳥越俊太郎氏は、「喜怒哀楽怒驚」において、発信せよ。と、市民記者たちを煽った。それは、たしかに雑誌ジャーナリズムでは販売部数を稼ぐ最良の方針かもしれぬが、そんなもので発信されたら、市民ジャーナリズムは、イエロージャーナリズムと堕する…。
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精神科医の斎藤環氏は、次のように説く。
私にとっての倫理とは、まずなによりも、「美」や「実感」に最大の価値を見いださないための、思考の拘束具です。
引用。
http://papyrusthevirus.blog43.fc2.com/blog-entry-305.html
オリジナル。
http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2007/06/1_108a.html
斎藤環氏の言葉は、私に強烈な何かをつきつけている。
レニ・リーフェンシュタール。ヒットラー。ゲッペルス。プロパガンダ。ゲシュタポ。
あの頃と、その後のドイツに学ぶことは多い。
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テレビジャーナリズムの方々は、目的のないプロパガンダを行なっている。その理由は、マスコミ者たちの国民としての根無し草の無さな自己把握にあるのかもしれない。
そう、思いませんか…。
2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。




倫理や「美」「実感」が個人やコミュニティごとに異なるという事情もあるけど、じゃ論理や数学・物理法則に個人や家族としての真実や幸福があるのかというとどうだろうか?とも思うし。
単純に言っても、不法滞在者とパイを奪い合うだろう層と安価で足を引っ張り合う奴隷労働者が国内に増えて自分の所属階層が上がってラッキーと思える層では切実度やモノの見え方は異なります罠。
特に日本では「俺が、俺が・・」と自己主張されるのもするのも厭われる傾向があるから、静かに生活したいというだけで追い詰められるのは「たまったものじゃない」というある意味贅沢な不満が起こり易いですしw
ま、群盲象を触るってことなんでしょうね。
コメントありがと。
二律背反ではなく、ケースバイケースであり、相対的世界だ。
コメントありがと。