2008年11月16日

田母神論文が摩擦を呼ぶ理由。

テレビ朝日の田原さんの「サンデープロジェクト」を観た。
田原さんは、「政治家もマスコミも逃げている」それが問題だ。と、批判する。そして、卑怯にも、その理由を言わない。スポンタはあけすけに、その理由は明らかにする。



ネット言論が田母神氏をヒーローとして扱い、ヤフーのアンケートでは、6割近くの人が、田母神氏を擁護しているからだ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081111/plc0811111405032-n1.htm

政治家が国会で田母神氏に「メタ発言(論文の内容ではないこと)」しか許さず、ヤフーに圧力をかけアンケートを中止させたのも、マスコミが言論の内容を放送しないのも、大衆の意見の前に、自分達に勝ち目がないことを悟っているからである。

この問題の本質は、シビリアンコントロール(文民統制ではなく、市民による制御)ではなく、ポリティカルコントロール(政治家による制御)が不全に陥っていることである。


ならば、マスコミも政治家も、負けそうな立場を捨ててしまえばいいのに…。と、スポンタは思うのだけど、「一抜けた」と公言するのには、勇気がいる。マスコミにも政治家にも、後からみんながついてきてくれる確信がない。



軍事評論家の田岡俊次氏は、田母神論文が事実に即していず、レベルが低すぎると断ずる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B2%A1%E4%BF%8A%E6%AC%A1

戦前の大臣たちの文書やアメリカの公文書に反すると、指摘する。だが、それは事実に即していないことを証明しない。公になっている文献に反することでしかない。

2008年、人々は何を感じているかといえば、「文献主義に基づいた歴史が揺るがされている」ということだ。

本能寺の変で信長は寝込みを襲われたのではない。鎧を着た数千の軍隊が動けば、数キロ先まで、その音は轟くはず。ならば、信長は状況を察していたはず。本能寺の変は、秀吉が編纂した信長公記によって、歴史に組み込まれている。それは正史でしかなく、事実を知らしめるものではない。


そして、一時期は、正史(戦争に勝った人達の歴史)よりも稗史(はいし:負けた人達がつくった歴史)の真実性を愛でる思潮があったが、稗史さえ、「敗れ去った人達の作り事である」場合も高い。

戦後史や自虐歴史観は、アメリカの正史、日本の稗史ともに歪んでいる好例だろう。

わたしたちの日本史は、水戸学によってスタートした。何故、それまで歴史というものがなかったかといえば、事実を知っていた古代・中世の人たちには、歴史編纂の価値がまったく感じられなかったのだろう。



勉強すればするほど、実定法主義になり、文献主義になる。だが、法律も文献も多様なリファレンスの中の一つでしかない。


専門家は専門家かもしれぬが、自分の過去の言論との整合性を問われるから、ステークホルダー(固有の利害)に囚われた発言が多い。

ならば、いろいろな人の意見を聞こうよ。
posted by スポンタ at 11:44| 東京 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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