昨日、日本テレビ系「日本歴史サスペンス劇場」で、明治期の千里眼娘の話をやっていた。これは、小説「リング」のもとにもなった有名な話である。この番組の解釈は、まったくスピリチュアリズムを理解していないので、簡単に解説しておく。
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そもそも、霊的能力は、人生をよりよき道に導くために与えられているものだから、それを利己的に使うと、霊能力は失われる。だから、霊視を商売にしていたり、霊能力でお金を集めようとすることは極めて利己的な行為だから、そういうことを継続的に行なっていると、能力は失われる。
また、他人の霊視をすると、その人の因縁や霊的なものを背負うことになるので、霊能力者は健康を害しがちである。
霊視の実際はどういうものかといえば、チャクラのあたりで映画が上映されるような形。その映画は、指導霊などの思念によって、適宜、解説される。霊能者の能力や体調によって、カラーだったり、白黒だったり、解説があったり、なかったりする。
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御船千鶴子氏の場合がどのような能力だったのかは分からないが、人としての生き方にまったく関係のない「実験」で能力を発揮するところをみると、彼女の周りに存在していたのは、あまり高級な霊能力ではなかったようだ。福来教授の実験では積極的に結果を見せたところを観ると、彼女の指導霊はかなり自己顕示欲の強いタイプだったと思われる。
そのあたりのことを御船氏は理解していなかったようで、彼女は霊能力者というよりも、霊媒体質というレベル。
科学的と称して、多くの実験が行なわれたようだが、スピリチュアリズムの立場からみれば、動物霊を呼ぶようなゲームと等価である。
猜疑心の強い研究者が同席することを御船氏は嫌ったようだが、そのような実物がまとっている霊たちの質を考えれば、彼女が遠ざけようとするのは当然のことである。
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唯物論者と非唯物論者が、それぞれのレイヤーでそれぞれの真実を見出す。それが、2008年以降のこれからではないか。
漢方薬を飲みながら、外科手術を受け、神社や仏壇に祈る。…それでいいのだ。
追記:
中沢新一氏他、非唯物論を愛でる人達の多くが、霊感を持たぬことの劣等感からの発言であると感じている。私には霊感はないが、霊感を持たぬことの劣等感はない。
【メディアウォッチの最新記事】
2003年からスポンタ、2007年にスポンタ中村になりました。real nameは中村厚一郎です。




その人の考えや行動の善悪と「能力」の良し悪し有無は直接関係しない。
しかし身体の成長・ホルモンバランス・体調や精神の平衡・安定と「能力」は強い相関関係を持つ。
そういう意味で心身に良い状態が「能力」を維持したり伸ばしたりする事は考えられるが、それは「能力」を保証するものではない。
ある有能力者が何時の間にかどういう訳か実は無能力者になって辻褄合わせに詐欺を働くという事がしばしば見られるのはそういう事じゃないかなぁ。
猜疑心を持って言えば最初から詐欺だったとも言いえるんだろうけどw最初から騙すつもりでそうそうそこまで周辺が騙されるものでもないと思うんだよね。
能力は財産でもあり負債でもあるし、権利でもあり義務でもあると思うので、誠実にベストさえ尽くせば人としてそれの有無を羨ましがったり劣等する事は無いと思う。
それが唯物論者の考え方なんだろうね。
行動の善悪ではない。
魂を上のグレードにもっていくための行為(心も含めて)かどうかなんです。
此岸にも、彼岸が混じっている。そういうことなんです。
すべて、此岸の現象・理屈で理解しようとするのは無理。というのが、私の立場です。
ありがとうございました。
御船千鶴子氏が行ったのは「霊視」ではなく「透視」ではなかったでしょうか。Wikipediaを見た限りでは霊視なる言葉は見つかりませんでしたし、彼女がその能力の根拠に霊的なものの存在を仄めかしたというのも寡聞にして知りません。
ですから彼女は霊能力者ではなく超能力者ではないのかと思うのです。
超能力者ならばスピリチュアリズムとは一切関係なくただの体質である可能性が高いので、スポンタさんの説よりはト(リル)さんの説の方が理にかなっていると思います。
つまり、少なくとも御船千鶴子氏の場合に於いては、此岸の現象・理屈で理解できる“可能性”が高いのではないでしょうか。
「能力者は神霊に選ばれ認められている。非能力者はその善導に従うべきだ信じるべきだ」とか、どこかの教祖や選民思想家が言いそうでしょ。
能力を頭の賢さと置き換えてもいいと思うけど、頭が賢いのとその人の善良さや人生の充実度・いわゆる成功とは、相関関係はあるけど直接的に関係しないのは、経験で既に僕らは知っている。
私は昔、宜保愛子ブームの頃、新倉イワオ氏もからめながら、心霊関係のビデオの企画構成をしていました。
そのとき、ロシアではUFOを心霊現象として捉えているようです。また、「アウトオンアリム」というシャーリーマクレーンの本では、心霊的な世界を語っていたのですが、最後は、プレアデス星団へトランスポートする。…とか。
ま、どっちも、此岸の論理でいえば、トンでも…。でしかない。(^^;)
私としては、霊視でも、透視でもどっちでもいいと思っています。
つまり、背後霊を感じることができず、映像だけが現れるレベルの人(霊媒体質)が行なうのが透視。
映像も背後霊も両方とも自覚できる人(霊能者)が霊視。というわけです。
ま、間違っていたら、カミサンが書き込むでしょう。
コメントありがとうございました。
「能力者は神霊に選ばれ認められている。非能力者はその善導に従うべきだ信じるべきだ」とか、どこかの教祖や選民思想家が言いそうでしょ。
能力を頭の賢さと置き換えてもいいと思うけど、頭が賢いのとその人の善良さや人生の充実度・いわゆる成功とは、相関関係はあるけど直接的に関係しないのは、経験で既に僕らは知っている。
これって、昔、ことのはM氏とやったじゃん。
憶えてないかな…。
たしか、「あなたは私の霊こそ、正統である」と主張したいの?」と、M氏は批判してきた。
そのときの応えは、確か、「自己肯定」を目論むのは邪。そんなことかな。
セルフブックマークを発信した時点で、霊能力は失われる。ということ。
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生きているって、「自己否定」をして、「自己否定」をして、それでも否定しきれない自分。捨てられない自分。そういうものと一緒に生きている。
そんなことじゃないかな。
コメントありがとう。
どう思っていますか?
本人はどう思ってるか知らんけど「ネットは新聞〜」やってる時が一番輝いていたし可能性があったと思うよ。
「例え麻原が超能力を使えたとしても、それが彼の正しさや幸福を肯定するものではない」という意味で使ったと思う。
本人はどう思ってるか知らんけど「ネットは新聞〜」やってる時が一番輝いていたし可能性があったと思うよ。
私も、そう思う。
私は彼とは何度も会っているし、編集者も会っている。だから、何とも、微妙な気分になるんだよね。それが、わたしの劣情と批判されれば、そうなのかもしれないんだけど、「渋谷のハチ公」を失ったのは確かであり、残念なんだよね。
そして、あの時と違って、彼にネット上で反駁することは、営業妨害になるから、できないんですよね。
「例え麻原が超能力を使えたとしても、それが彼の正しさや幸福を肯定するものではない」という意味で使ったと思う。
これ、トリルさんの話ではなく、わたしがM氏(らしい人)と対話したときのこと。
そんな感じです。
…では。