2008年11月10日

小説「先祖供養」と、私。

春、「先祖供養」という小説を懸賞に応募している。内容は、科学の側(唯物論)から見た日本人の先祖供養という習俗と、スピリチュアリズムの側から見た先祖供養の実際である。そろそろ当落が決定する時期。惜しくも著作権に制限がかからぬ場合には、ウェブ上にアップしたい…。

小説の元になった現実。
それは、私が共産主義者の両親に育てられた唯物論者であり、妻が江原氏と同じレベルの霊能力を持つスピリチュアリストであること。
幼少期にデカダンスを植えつけられた私と、自らの能力を周囲から隠し続けてきた妻の出会いは絶妙である。



市民参加型ジャーナリズムでウェブ上に誕生したスポンタが、何故、「先祖供養」を語るのか。
その理由は、明解。
私たちが日本人であること。を突き詰めていくと、「先祖供養」に突き当たるから…。



ネット上の言論の乖離をつきつめていくと、本質的な世界観の乖離に突き当たる。
その最たるものが、唯物論と非唯物論である。
だが、唯物論者と非唯物論者であっても、葬式にあっては、「安らかにお眠りください」と言い、「先に逝った人と旧交を温めてください」と言う。日本人の半分が唯物論者ならば、葬儀場には、唯物論者がいるだろうが、「死んだら終わり」と吐き捨てる人はいない。

ならば、「先祖供養」こそ、日本人にとってもっとも重要な共通項なのではないか。と考える。

日本人とは何か…。
それが小説を書くに至った背景である。


蛇足:
因みに、我がモンスターエルダーとの別離も、「先祖供養」がひとつの要因であった。
posted by スポンタ at 17:13| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | リアルウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/109324615

この記事へのトラックバック