2008年11月02日

擁護論:カップラーメンの値段を知らぬ麻生首相。

システムエンジニアのチャーリーさんは、「議論のレイヤーが違うんだよね」と、しきりに仰っていた。それは、他者の言論を否定するでもなく、重要度を否定するでもなく、きわめてクールな分析との印象を持っている。




「民主党の牧山議員はおそらくスーパーの関係者こそが総理になるべきと言ってるわけですよ。(2ちゃんねるより)」の言を待たずとも、「庶民のための政治能力」と「カップラーメンの値段を知っていること」は議論のレイヤーが違う。

http://gnews.x0.com/20081028_173801/

「ホテルのバーが安い」というのは、麻生首相が初めて指摘したことではなく、出版でもとりあげられる大人の常識であり、目新しいことではない。それをして、首相の金銭感覚を批判するというのも、レイヤーが違う議論。それを新聞記者が批判したというのは、滑稽…。



さらにいえば、景気対策とは「お金持ちがお金を使いたくなる」政策であり、「貧乏人がお金を使えるようにする」政策ではない。貧乏人に厚遇すれば、お金持ちは不公平感が強まり、景気は後退する。そういうことの本質を隠そうとする第二党のやり口かもしれぬ。

世の中は、金持ちが沢山お金を使うようになって、しばらくしてから、ようやく貧乏人がお金を使えるようになるように出来ている。そして、貧乏人がお金を使える時代は短く、冬の時代がやってくる。
posted by スポンタ at 19:08| 東京 曇り| Comment(4) | TrackBack(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
スレ違いだが、他所のコメント欄を埋めるのは忍びないのでココに書くよ。

>「我思う。ゆえに我あり」とは、「我という署名・オーソライズによって出されるドキュメントは、有識論を越えぬ」という、宗教者たちへの不可侵宣言ではなかったか。と私は考えます。ガリレオやコペルニクスばかりでなく近代精神の論者たちが闘っていたのは、中世の暗黒・宗教的世界だったはずです。

この部分は、哲学史的にもデカルト思想的にも全く間違い。
今では、近代哲学(区分は色々あるだろうけど、やはりデカルト以前と以後分割するのがわかりやすかろう)は中世スコラ哲学の発達があったからこそ出現したのであって、「中世は暗黒の時代だった」という歴史認識自体がもうだめ。


>西欧中世の科学と宗教の二項対立を日本人は想起しないので、「存在」という科学と宗教を越えた概念に仕立てて、日本への普及者たちは、デカルト思想の普遍性・敷衍性を訴えようとしたのでは…。

ここも間違い。
西洋哲学の最も根底にあるものこそ「存在論」。逆に明治以来の近代日本思想は「存在論」が全く理解できずに、ただ当時流行していたドイツ観念論の表面だけを撫でて、日本の旧来からの(仏教だとか国学だとか)思想と混合してしまったがために、奇形の思想を作り出してしまった(俗に「近代の超克」という)
誰も言わないけど、その奇形の思想こそ、日本を太平洋戦争に追いやった要因の一つだ。

>マルキシズムを唯物論などといいますが、ベルリンの壁が崩壊したあと、オウムという擬似スピリチュアリズムが暴発する。しかし、デカルトの言葉によって、カルト問題を論じることはタブー。結果、魂の死後存続を信じる人達が自爆テロを起こし続ける。結局のところ、「我思う。ゆえに我あり」では、問題は解決しない。

デカルトを使って、カルトを、スピリチュアリズムを論じるって、それは無理。デカルトの懐疑的方法の前では、ヨガの超心理的体験なぞ、当てにならないの一言で立ち退かざるを得ない。デカルトの言ったのを端的に言えば、「私はニルヴァナを体験した」と言っている人の前で、「じゃあ、どんな疑い深い人でも納得できるニルヴァナを眼の前で見せてくれ」ってこと。

>結局のところ、「我思う。ゆえに我あり」では、問題は解決しない。
ああ、解決しないよ。この答えは存在論の最終回答としては間違いだと今では解っているから。

最後に、一言。てなわけでコメントを拝見したが、誤認・それを元にさらに混乱させる論点の展開・突然全く関連性のない視点を挿入して、その理由を開示しないなど、茶々を入れる分には面白い文章をありがとうございます。
Posted by F.Nakajima at 2008年11月03日 12:02
F.Nakajima 様

おひさしぶりでございます。コメントありがとうございます。私は高校の倫理社会レベルの論者なので、中島さんのような専門的な反駁を頂戴できると、とっても嬉しいです。

「中世が暗黒だった」これがダメですよね。そして、明治の日本の近代思想の件。深く同意します。そして、「この答えは存在論の最終回答としては間違いだと今では解っているから…」
そうなんだ。「間違い」と分かっているんだ。と発見する私。呑気なものですね。否、間違っているからこそ、話題になるのだし、私の私説も誕生したのでしょう。

ところで、何故、ベントさんが、デカルトを言い出したのかなぁ…。そこにつき、アドバイスを頂戴したく。

…では。

Posted by at 2008年11月03日 12:55
風邪爺はデカルトは詳しいよ。あの人は昔なにやっていたか中々書きたがらないけど、ちらっと見せると、大学教員を目指していたか、一時期なっていたかどちらかだと思う。多分その大学は東京外大だろうと私は推定している。但し、専門がわからないんだよなあ。まず、語学じゃない。経済は基礎からだめ。法学だと思考方法が特殊だから痕跡が残っているはずだけど全くその跡がない。
また、宗教学は吉本を出す時点でだめ。
これまで彼が挙げた学者を見ると、チョムスキー、大森荘蔵、ハイデッカー、デカルト、エリアーデ、ユング、ピアジェだから、ざっと見ると、ドイツ神秘主義が眼につくのと、教育理論が混ざり合っている。
Posted by F.Nakajima at 2008年11月03日 18:46
コメントありがとです。

そうですか。人の興味によって、その人ってもんがでますね。ま、同じ人を見ていても、違うことを考えている。そういうことかな。

中島さんは、ベント氏よりも私に近いところに立っている感じがしています。今後とも、間違ってたら、指摘してください。

>法学だと思考方法が特殊だから痕跡が残っているはずだけど全くその跡がない。

これって、面白いよなぁ…。そうだよな。
自分を振り返ってみても、ほとんど映画監督・今村昌平的な思考方法だもんなぁ…。
Posted by at 2008年11月03日 21:05
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