2008年08月13日

モバイルな人達。第四者。

第四者とは、ドラッカーの言葉でいえば傍観者である。
日本語の傍観者が無責任な印象を与えるので、英語のバイスタンダーを使うのが妥当だろう。



ドラッカーは、バイスタンダーの比喩として、劇場の消防係をあげている。
彼は、劇場の前を通りかかった人ではなく、劇場を巡回に訪れた警察官でもなく、消防係をバイスタンダーの象徴として登場させた。
消防係は、演者と観客が巻き込まれる激情とは無縁であり、かつ、だからこそ見えるものが見える。と、ドラッカーは指摘する。

1979年の時点でこのような視点に立ったドラッカーは慧眼だが、2008年においては、バイスタンダーとはモバイルであることによって、自らの立場を規定することである。

つまり、ドラッカーにおけるバイスタンダーは、ひとつのステークホルダー(利害:この場合は消防管理者)に縛られていたが、2008年の第四者は、ステークホルダーを無限に持つことによって、個の利害から超越できる。

個において、複数のステークホルダーを自由に渡り歩くことは、モバイルということ。
つまり、フランス思想において、ノマド(遊牧民)という定住民ではない人達をイメージして形容された語句は、2008年において、第四者・モバイルな人達と言い換えることができる。否、言い換えなければならぬ。

個は微分されることによって、ステークホルダーを超越する。(私は男であり、夫であり、お父さんであり、労働者であり、消費者であり、納税者であり、視聴者であり…)

集団は、モバイルな構成子によって、ステークホルダーを越える。(ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず…。集団のすべての構成子の流入流出が自由であること。)
※JANJAN、オーマイニュース、ライブドアPJなどは、市民記者の出入りは自由だが、マネジメント&エディットの出入りは不自由なので、21世紀型のあるべき集団(モバイルな人達)ではない。


夏目漱石の則天去私。小林秀雄の無私の精神。とは、こういうことを言うのかもしれぬ。
posted by sponta at 07:04| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブメソード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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