2008年07月07日

大阪府職員の言い分の妥当性。

「低い給料でガマンしてる!」の大阪府職員、夏のボーナスは前年比増の83万7302円(一般行政職)。
そのような高給をとっているにも関わらず、「娘に大学進学はできない」と話した職員がいる。という。
手取りは40万円を越えていても、薄給との認識…。

このような報道に対して、2ちゃんねる言論は、民間との格差を指摘し、傲慢であると糾弾する。

さて、どうなんだろうか。


職員たちが府民のために職業を選んだのなら、府民と同じ経済的苦境になることに反発が起きるはずもない。彼らは生活の安定のために職業を選び、その目的が果されなくなりそうだから、反発しているのだ。酷い言い方をすれば、生活のために嫌々大阪府職員をやっている…。

我家は自営業の共稼ぎだから、経済がいつも逼迫している。そのような状況を肌身に感じている娘に、経済的な安定を求めて、公務員になるか。と、勧めたら、一もに二もなく、「そんな人生は嫌だ」と言い放たれた。

勿論、府民のために府職員になるなら、それは素晴らしいこと。だが、生活の安定のために職業を選ぶのだとしたら、悲しいこと。そして、そういう悲しい人生を歩んでいる人達が、いま悲鳴をあげている。そういうことになる。



埼玉県下のエリート高校の卒業生である私は浪人していたとき、朝霞市の職員にならないか。との葉書が来た。だが、私は映画監督になろうとした。
その望みは今も果されずにいるが、若き日に安定を求めて人生を捨てることはしなかった。

…何故か。

それは、アニメ「巨人の星」の星明子が、「青春にはけっして安全な株を買ってはならない」というセリフを吐いたことに影響されている。私はバリバリのスポ根世代である。

因みに、白石冬実氏によって発せられた明子のセリフは、フランスの詩人ジャン・コクトーのものだという。
posted by スポンタ at 21:45| 東京 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | リアルウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はてブにて、浪人をした私は余裕のある人生を歩んでおり、親の扶養のために公務員になり、安定を求めなければならなかった人生を悲しいものであると、決め付けてもらっては困る。との意の反駁を頂戴した。

勿論、それぞれの人生があり、それでいいと思う。ただし、親の扶養とはいえ、それは自己都合でしかない。何故なら、親とは自分の一部ともいえるからだ。(これは京セラ稲盛氏が、顧客利益を公共利益と混同しているのと同じ間違い。顧客に無私のサービスなど、ありえない。何故なら、客は対価によって自分に利益をもたらすからだ。)ならば、そのために公職を占めることの妥当性はない。パブリックサーバントならば、何をどうすべきか。という視点はあっていいだろう。

悲しさの代償として、高給も妥当性がある。と、私は書いたのに、悲しいといわれては心外だという。ならば、高給を食む権利はない。民間と同じレベルの報酬がふさわしい。
Posted by at 2008年07月07日 22:34
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