2021年02月23日

マービン・ルロイ監督におけるミメーシス。(哀愁〜心の旅路)


恋愛映画の古典的傑作を2点考察する。


「哀愁」1940年。

本作で主演のヴィヴィアン・リーは、前年製作の『風と共に去りぬ』では乱世を生き抜く強い女性を演じたが、本作ではその反対のか弱い踊り子を演じている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%80%E6%84%81_(%E6%98%A0%E7%94%BB)



「心の旅路」1942年。

(こころのたびじ、Random Harvest)はアメリカ合衆国の恋愛映画。 監督はマーヴィン・ルロイ、出演はロナルド・コールマンとグリア・ガースンなど。
1941年に出版されたジェームズ・ヒルトン作の小説である。この小説は『失われた地平線』、『チップス先生さようなら』などのヒルトンの先行作品と同様にポピュラーになり、その年のパブリッシャーズ・ウィークリー(英語版)全米ベストセラー小説リスト(英語版)の2位(英語版)になった[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E3%81%AE%E6%97%85%E8%B7%AF
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2021年02月22日

葉加瀬太郎さんにコンタクトした。

葉加瀬太郎さんにお問合せメール


「題名のない音楽会」のプロ塾を観ました。

低迷する器楽界を盛り上げようとするには、器楽奏者の底上げが必要との葉加瀬さんの意図。素晴らしいと思います。

私は、「プロの音楽家の奥義」を若い人たちに公開することが、日本の音楽界を世界的なレベルに引き上げるために必要と考えており、素晴らしいと思いました。

しかし、葉加瀬さんが指摘されたことは、素人には分かりにくいので、もっと分かりやすく解説すべきと考え、以下にご提案もうしあげます。

【プロフェッショナルに求められる資質】

・タイム感(これによりグルーヴが生まれます)

・・・タイム感とはメトロノーム感覚・テンポ感・クロノス時間(物理的時間)。

この感覚を「演奏するタイミング(カイロス時間・心理的な時間)」と同時に持つことが求められる。

グレングールドの演奏が連弾のように聴こえるのは、タイム感があるから。つまり、メトロノームに独立して、右手のタイミングと左手のタイミングの合計3つ。鼻歌を合わせれば、4つのタイミングを持っている。

☆ 

番組では、プロの現場ではドンカマがあるけれど「うねるように演奏しなさい」と発言されていました。

指揮者の山田和樹氏は、「メトロノームに合わせた音楽はありえない」と「テンポルパートでないなら、音楽ではない」と同番組で発言していました。だが、葉加瀬さんのいうとおり、「うねるように演奏する」なら、音楽になる。

有名指揮者がそのような間違った発言をすると、若い人たちは信じてしまいます。ギターデュオのデパペペは、ステージで「メトロノームに合わせてエモーショナルに演奏」しています。つまり、タイム感があるなら、グルーヴできる。

指揮者はグルーヴを扱うことができないから、「テンポルバートを絶対視してしまう」。

そもそも、小澤征爾さんがN響からボイコットされたのは、「師匠・斎藤秀雄がN響を追われた」のと同じ。タイム感がないから。
Wikipediaを読めば、斎藤秀雄の演奏は「鼓のよう」との批判が載っています。

タイム感につき、葉加瀬さんが明確にマスコミなどで発言されることを願っています。

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2021年02月19日

笠井信輔さんにコンタクトしてみた。

何も動かないので、こんなコンタクトをしてみた。


笠井信輔様。

CSで、故・岡田裕介さんとの対談を観ました。
笠井さんが高校時代につけられていた映画鑑賞ノート。素晴らしいですね。私も、今村昌平の映画学校時代に、ノートをつけていましたが、どこかに行ってしまいました。(-_-;)
さて、「赤ずきんちゃん気を付けて」の評価は、岡田さんと同じだったものの、「地獄の黙示録」は、笠井さんが絶賛されましたが岡田さんは「眠かった」と意見が対立されていましたっけ。
その理由。一緒に考えてみませんか?

私は世田谷区在住の61歳です。
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2021年02月11日

森喜朗氏を擁護する。つか、世界的なメディアクラスターを憂慮する。

ポストモダン的(客観的)に分析する。

森氏の発言を要約すると、

・一般的に、女性は対抗心が強く、誰かが発言すると、競って発言する傾向があり、会議が長くなる。

・私が関連している委員会の女性たちは、自分の意見を簡潔にまとめて発言するので、問題はない。

である。

つまり、森氏は、

・「女性と男性の性差」

を指摘し、さらに、

・ (私の周囲ではそんなことは起きていない)問題はない。

と語っている。

それが、

・女性蔑視発言になる

のは異常である。



陰謀論的には、つか、事情通的には、中国のウィグル族問題からの注目を低下させるために、森氏がスケープゴートになったとの憶測があるとか。

ハロプロに問題が起きると、AKBにも問題があるとニュースになるのと同じ構造。

今でも不可解なのは、2015年の有名でもない俳優・塩谷瞬と料理評論家・園山真希絵とモデル・冨永愛の二股交際報道。このどうでもいい報道を、大げさに報道した裏には、注目をさけたかったニュースがあったはず。


つか、「性差を語ること」がタブーになるのは、危険だと思う

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2021年02月09日

韓流ドラマに勝てない日本のドラマ。(NHK大河ドラマが典型)

今村昌平の映画学校時代の恩師・池端俊策先生・脚本の「麒麟がくる」が終わった。


私の結論は、

・「麒麟がくる」は、日本の映画・ドラマの低迷を象徴する作品である。


その理由はふたつ。

・日本の映画・ドラマが、「近代主観主義」を乗り越えられずにいる。(作品は作家のオリジナルとの考えをやめる。あるべきは、古代ギリシアのミメーシス理論)

・日本の映画・ドラマ界の、シナリオライター養成法が間違っている。(出自・環境による作劇をやめる。あるべきは、対極・対照による作劇)
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2021年02月08日

「麒麟がくる」最終回を観終わって。日本のドラマはダメだ。

NHK大河ドラマを見るのは、「武田信玄」以来。「武田信玄」を途中で挫折して以来。なぜ、「武田信玄」を観たかといえば、前作の「独眼竜正宗」が面白かったから。

今回、「麒麟がくる」を観たのは、脚本が恩師だったから。

40年ほど前(1979年)になるが、今村昌平の映画学校。夏休みの宿題2時間シナリオの個人面談の記憶が鮮明である。−−−私が提出した「ペシミスティック・オプティミスト」がシナリオとして成立しているかを問いに答えない先生は、「先生がシナリオで大切にしていることは何ですか?」の問いに、

・情熱の挫折

と答えられたことを鮮明な記憶として残っている。
「情熱の挫折」が、池端俊策先生のモットーなら、

・本能寺の変において「情熱を挫折させた明智光秀」の物語

なら、期待したのだ。



だが、期待は無残に裏切られた。

前半において、

・主人公・光秀は「斉藤道三のお使い」。

中盤・以降は、

・「信長のお使い」。

・足利将軍・帝・諸大名との調整役に終始した。

大河ドラマは基本的に英雄伝である。〜市民劇ではない。

つまり、「(自己都合ではない)大きな夢」を持った英雄・英傑が主人公でなければならぬ。

「麒麟がくる」では、斉藤道三が与えた「大きな国をつくる(大きな夢)」との言葉が、信長と光秀をとらえ、全国制覇に邁進する。

だが、物語の終盤は、「大きな夢」のために主人公が動くのではなく、「信長への私憤」が募り、「本能寺の変」へとつながっていく。これでは、〈市民劇〉としては成立しても〈英雄劇〉としては成立しない。

・大義 > 公憤 > 私憤

でなければダメ。
光秀の最晩年における状況は以下。

・大義: 大きな国をつくる。農民の繁栄・幸福。

・公憤:  同僚の諸将への冷遇、残忍な仕打ち。

・私憤:  家康をもてなす宴会の係を罷免され、罵倒させた。拝領された領地をとりあげられる。個人的な信長への反発・反感。足利義昭を殺害する命令。


最終回では、主人公は「私憤によって、反逆を決心する」。これでは〈英雄伝〉は成り立たない。
夏休み明けの個人面談の池端先生の言葉に殉じるなら、

・「大きな国をつくる」ことを投げ出した信長

が提示され、

・「夢を失った信長」が光秀から謀反される

でなければならない。

当時、池端先生は時間があったら真山青果の全集(1975-1978講談社)をこれから読むと楽しみにされていた。真山氏は新歌舞伎の座付き作家で、「元禄忠臣蔵」「平将門」などをなしたというから、今回の池端先生の劇作と無縁ではないだろう。池端先生は向田邦子賞を受賞しているが、市民劇に限定した作家ではない。

池端氏の師匠ともいえる今村昌平監督は、「英雄伝」とは無縁の作家。「主体的な意志」を持たぬ「昆虫的な行動」に終始する主人公たちを登場させ、人間の本質を描こうとした。

黒澤明監督が英雄伝な映画をつくったのは、シェイクスピアなど、翻案が多かったからで、彼が「夢に殉じる個性」に憧れたのではないだろう。つか、晩年の迷作「夢」にいたっては、ドラマメーカーですらない。


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2021年02月07日

森元総理・オリンピック組織委員長の「女性蔑視発言」。(事実は関係ない世界を私たちは生きている)

テレビ出演を観たが、元総理は、

・オフレコではみんな言っているよ。

・私の意見じゃないよ。

で、押し通したいらしい。
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2021年02月05日

ランジャタイ・平蜘蛛を中心に描かなかった「麒麟がくる」。

最終回を前に、「麒麟がくる」の欠陥を指摘する。


推理小説と違って、歴史小説が「最終回ですべての謎が解ける」のではダメだと思う。

「誰が犯人か分からないまま、執筆していた」と白状するのは、人気シリーズの作家氏。作家が犯人を知らない・分からないなら、読者も分からないのは当然。作者の欲望が「謎を解くこと」なら、それが作品の魅力になることは当然である。
だが、歴史小説はどうだろう。

明智光秀を描く場合、本能寺の変において、なぜ、彼は信長に謀反したのか。その理由が、作品のテーマといえる。だが、それは、偶発的なものではなく、信念をもった行動でなければダメ。

なぜなら、歴史小説の主人公はヒーロー・英雄でなければならぬから。

つまり、一時の感情で行動するキャラクターは、「人間的である」かもしれぬが、英雄としては欠点があるとしかいえぬ。

否、英雄はつねに葛藤を抱えていて、それに打ち勝つことで英雄となる。

「麒麟がくる」でいうなら、「相手を殲滅する」か「人道主義を貫くか」は、つねに光秀を悩ませたテーマであって、「信長が非情派」、「光秀は人道派」と安定していたのでは、ドラマにならない。

つか、「人道主義」は、「自らの生死をかけた戦い」を日常とする戦国時代に合致しない。

「道」の語原は、見知らぬ土地を行く時は、現地人の首(へん)をぶらさげて歩く(しんにょう)と言う意味。中国の古代ではそうだった。そして、日本では、「家(同胞)のため切腹を辞さぬ」風土があった。それを「日本軍の玉砕に苦しめられた」占領国によって、ヒューマニズムが移植された。

つまり、日本人が人道主義を社会通念としたのは戦後のことであって、戦国時代にそれを適応するのは、現代人の「ご都合主義」であり、歴史的な真実ではない。

国営放送の大河ドラマは、時代考証学者がスタッフにいるから、オリジナルキャラクター以外は創作できない。歴史的事実に描かれていない部分のみ、作家の創作が可能になる。

ウェブでは、最終回を前に、

・信長が家康を暗殺せよと命令する

のではないかとの憶測がある。だが、本能寺の変発覚後、家康が伊賀路を通って急遽帰郷したことを思えば、そのようなシナリオライターの創作は、プロデューサーたちによって否定されるに違いない。


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2021年02月02日

こうあるべきだった「麒麟が来る!」。明智光秀のドラマ

ヨーロッパの演劇人たちは、第二次世界大戦後、「ドラマが若者たちを戦場に誘導した」ことを反省し、不条理劇(ばかげた演劇)を生み出した。

芸術作品が「何事かのテーマを訴える」ことを危険(プロパガンダ)と理解したのである。


英雄は作られる−−−。

と言われる。つまり、権力を持った人たちが、自己都合のために「英雄を捏造する」のである。


大和朝廷の人達は、

・蘇我政権による空白を隠ぺいするために、聖徳太子なる英雄を捏造した。

厩戸皇子は存在したが、聖徳太子なる「制度改革をたった一人で成し遂げたヒーロー」はいなかったというのが、歴史専門家たちの結論である。

大河ドラマでいうと、ヒーローたちは戦国時代・明治維新に顕著である。それらが英雄たちが、現代の視聴者たちから隠ぺいしたのは、

・戦国時代では、「自由主義経済が、封建制度を崩壊させた」

・幕末の志士の物語は、「明治政府が、英国の傀儡政権に過ぎなかった」

ことである。さらに戦後の力道山・長嶋茂雄という国民的ヒーローの登場は、

・講和条約締結後も、「アメリカ支配が続いている」

ことを隠ぺいした。近ごろでは、アメリカからの年次要求書というシステムは失われたよう。しかし、

・原子力発電所が日本国土から無くならない。

・誰も望んでいない「裁判員制度」が実行される。

など、「アメリカ(を影で操っている人たち)からの圧力」の結果としか考えられぬことは多い。

その意味で、国民的作家・司馬遼太郎氏は、「昭和の御用作家」。彼は、戦国武将を描くばかりでなく、坂本龍馬を国民的な英雄に仕立て上げた

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2021年02月01日

「麒麟が来る」は、ダメだ。


池端俊策先生

#池端俊策

「麒麟が来る」もあと一回。最終回を残すのみ。
ハッシュタグ検索を念頭に、200字以内で、ツイートする。


「麒麟が来る」の問題は、かつて倉本聰氏を北海道においやったNHK大河ドラマ制作陣に、池端氏が「戦う意志もなく、白旗を掲げた」ことに起因する。
NHKの学歴エリートたちの「思いつき」は、「シナリオの集中度」を下げる。結果、「麒麟なる理想」を掲げるも、消化不良に終わった。
委細はブログにして・・・。あるべき、シナリオのコンポジション。内的整合性について解説します。

池端俊策さま。

今村昌平の映画学校の夏のシナリオの講評で私に、「私がシナリオで一番大切にしているのは、主人公の情熱の挫折」と答えた池端先生。先生は担任の生徒の一人で忘れていても、学生の私はいまでも鮮明に覚えています。

当時、シナリオの講義で、フランキー堺さんは「ホンが読める」と称賛していましたね。先生のその感想は、東芝日曜劇場で1979年に放送された「馬が逃げた!」の制作過程においてのことでしょうか。


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posted by sponta at 12:41| 東京 ☁| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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