2021年01月17日

韓ドラ「ここに来て、抱きしめて」は、史上最高ドラマ(大衆娯楽作品)である。(その1)

【主旨】

「ここに来て抱きしめて」(2020年、全20話)は、「私のベストワン(主観)」ではなく、「客観的な評価」でベストワンな娯楽恋愛ドラマである。


「ここに来て抱きしめて」は、

〈古代ギリシアのミメーシス理論〉、〈17世紀フランス古典演劇理論〉を高いレベルで満たしている。

最大の品質は、主人公男女に限らず、主要キャラクターたち(主人公男女は勿論、男性のサイコパスな父親と、犯罪者気質を受け継いだ兄。女性の兄、父親の犯行自叙伝を出版した女性記者など)の「行動指針が明確」&「積極で行動する」。

「主体性」を貫くキャラクターは、最大の魅力である。


物語は、「犯罪加害者の家族(男性主人公)」と「犯罪被害者の家族(女性主人公)」の恋(初恋)であり、ありふれている。それらの多くは悪縁に押し流され、別れ別れになる。

だが、この作品の主人公たちは違う。


「砂の器」(1974年、野村芳太郎)は、不朽の名作(かつてのマイベスト作品のひとつ)である。

だが、致命的な欠陥(ミメーシスにより改善すべき点)がある。

それは、「(ハンセン氏病の祖父を持った新進指揮者が)運命・宿命に負ける」主人公の悲劇の物語であること。
そして、主人公の恋愛は、「物語の本丸(祖父がハンセン氏病だった宿命)」に絡まない。


一方、韓ドラ「ここに来て、抱きしめて」は、

「(サイコパス連続殺人犯の父親を持った警察官の男性主人公と、サイコパスの犠牲になった両親を持つ女優が)」は、運命・宿命に敢然と立ち向かい・勝利する。
そして、主人公の恋愛は、「物語の本丸(父親がサイコパスキラー・両親が連続殺人の被害者)」に深く絡まっている。


戯曲「ロミオとジュリエット」(1595年?英国)シェイクスピアの人気作品であり、ブロードウェイで「ウエストサイド物語」(1957年米国)として翻案(ミメーシス)されている。物語の基本構造は、「属するコミュニティーが敵対する」ために禁じられた恋(初恋)である。

この作品にも致命的な欠陥(ミメーシスによる改善すべき点)がある。

それは、「敵対の構造の解消」に、主人公たちが努力しないこと。

彼らは「根本的な問題を解消しよう」と戦うこともなく、「折り合いをつける」ことに終始し、最終的には「馬鹿げた死」にいたる。


一方、韓ドラ「ここに来て、抱きしめて」は、

「運命・宿命に敢然と立ち向かう」。そして、勝利する。「世の中に押し流される」ありがちな生き方を否定して、清々しいドラマになっている。

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