ドラマ・映画の形式批評を行っている。その成果はOZ理論としてまとめている。
ドラマとは広義であって、狭義のドラマ。つまり、ドラマ成分とは、
・対立
・対決
・摩擦
・葛藤
・恋情
の5つである。
だが、それらを含まぬものを多く含むドラマ・映画も多い。
たとえば、
公共放送の大河ドラマ。
歴史もの・戦記ものなため、対決・対立・摩擦はある。
だが、「歴史をトレースする」ことが重要であり、ドラマ的な誇張は「史実を忠実に守る」ことによってのみ許される。
つまり、主人公の行動原理が明確でなくても、表面的な対立・対決があれば企画は進行する。
結果、韓流ドラマの傑作「奇皇后」のような作品は生まれない。奇皇后は、貢物として中国に移送されたヒロインが、中国後宮に入り込み、皇后の座までのし上がる物語。母国の為政者が自国民を冷遇し、中国の属国に甘んじていることに憤り、祖国のために巨大国家・元の皇后にまで上り詰める。
ドラマ成分をふんだんに取り込めるのは、史実が残っていない歴史上の人物。たとえば、卑弥呼などだろう。
日本の大河ドラマは、歴史をトレースしていれば、「ドラマ成分がなくても、成立する」。つまりは、プロデューサー・ディレクターは企画を進行し、決定稿となる。
そして、従順な日本国民たちは、公共放送がオンエアしている・採用した作品ならば、間違いはないと、受容する。