2020年12月04日

「共演NG」の失敗・欠陥。(その1)

2020年6月に、ドラマ・映画の評価基準の最終的な結論に到達した。以来、このブログで発表するとともに、さまざまな接触を試みたが、不発に終わり、精神的に落ち込んでいる。

あるサイトの方は、

・「それって、証明できていないですよね」

と。

それは間違いではないが、文系の学問の至言・法則は、すべて証明できない。

つか、理系の学問でも、「例外のない法則は、間違っている」とか。
つまりは、

・証明・エビデンスといっても、(一定の条件を満たすだけであって)虚構に過ぎない。


類証になるが・・・、

巷間、「責任をとる・とらぬ」などと話題になるが、「起きてしまったこと」に責任などとれない。せいぜいが「賠償する」程度。だが、日本の法制度は「不完全な賠償」。たとえば、「経済的に困窮して犯罪をおかした」人に、過料を求めても、「支払われる」可能性はゼロに等し
い。

法秩序は、「仇討ち」を無くすために普及したのであれば、「仇討ちの権利を奪取した国家」は、

・加害者&被害者の関係


・被害者と国の関係。そして、加害者と国の関係

に、変換しなければならぬ。

だが、国家は、「加害者に代わって、過料を被害者に支払うこと」はしない。

つまり、日本の法秩序において、責任が果たされないことが是認されている。


わが師・松本成二先生は「日本語の科学的研究」という書をなしたが、あくまでも「科学的」であって、「科学」ではない。名著との評判はあるが、「それって、証明されていますか?」の問いに答えないのである。

私の「OZ理論(ドラマ・映画の評価基準)」もその類。

ここに、国民的放送作家たる秋元康氏が企画した「共演NG」のシナリオ・構成に欠陥があると指摘しても、それって、

・あなたの意見でしょ・・・

に反発できない。

だが、古代ギリシアのアリストテレスや、フランス啓蒙時代のディドロに、同じ言葉を投げかけたら、無知蒙昧と嘲笑される。

「OZ理論」は、アリストテレスとディドロの考察を合体・展開したものであって、私のオリジナルではない。
そもそも、近代主観主義のように「主観を誇る」ことを私は意図しない。
だが、世の中は近代主観主義にあふれていて、何かを言うと、

・それはあなたの意見。

・そのエビデンスは?

・証明されているの?

との反駁を食らう。そして、たとえ間違っている言論でも、

・発信者が有名なら、流通する。

これが怖い。

「共演NG」もその類。
posted by sponta at 07:36| 東京 ☀| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0