2020年12月05日

「共演NG」の失敗・欠陥。(その2)

「OZ理論」の概要は以下。


・古代ギリシアのアリストテレスのミメーシス理論

・ルネ・ブレイの17世紀フランス古典演劇理論

を援用した。


特徴は、小津安二郎氏の遺言「映画はドラマだ。アクシデントではない」に従い、

・ドラマを厳密に定義。

・ドラマ成分と非ドラマ成分を分ける。

を行った。


文系の理論は「証明できない」との諦観を明らかにしたが、代案はある。それは「体系化」。

最澄は中国から「雑密」を持ち帰ったが、空海は「本密」を持ち帰った。

自分が持ち帰ったのが「雑密」に過ぎぬと悟った最澄は、空海に学んだ。

「雑密と本密」の違いは、「体系化がなされているか or not」 である。

オウム真理教の教義を、「けっこうまとも」とウェブの著名人たち(ジャーナリスト佐々木俊尚氏・元ユリイカ編集長歌田氏)が評したことがある。
「けっこうまとも」とは、教祖が信者たちに教えるには差し支えないということ。だが、それは教祖たる利害関係者にとって妥当性が感じられるのであって、巷間・広く妥当性があるのでない。つまりは「雑密」。

私は本密を目指して、OZ理論を構築してきたが、「誰もオーソライズしてくれない」と嘆いている。

先週、NHK大河ドラマで焼き討ちされた比叡山の開祖・最澄伝教大使のような傑物は令和に存在しない。

posted by sponta at 05:41| 東京 ☁| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月04日

「共演NG」の失敗・欠陥。(その1)

2020年6月に、ドラマ・映画の評価基準の最終的な結論に到達した。以来、このブログで発表するとともに、さまざまな接触を試みたが、不発に終わり、精神的に落ち込んでいる。

あるサイトの方は、

・「それって、証明できていないですよね」

と。

それは間違いではないが、文系の学問の至言・法則は、すべて証明できない。

つか、理系の学問でも、「例外のない法則は、間違っている」とか。
つまりは、

・証明・エビデンスといっても、(一定の条件を満たすだけであって)虚構に過ぎない。


類証になるが・・・、

巷間、「責任をとる・とらぬ」などと話題になるが、「起きてしまったこと」に責任などとれない。せいぜいが「賠償する」程度。だが、日本の法制度は「不完全な賠償」。たとえば、「経済的に困窮して犯罪をおかした」人に、過料を求めても、「支払われる」可能性はゼロに等し
い。

法秩序は、「仇討ち」を無くすために普及したのであれば、「仇討ちの権利を奪取した国家」は、

・加害者&被害者の関係


・被害者と国の関係。そして、加害者と国の関係

に、変換しなければならぬ。

だが、国家は、「加害者に代わって、過料を被害者に支払うこと」はしない。

つまり、日本の法秩序において、責任が果たされないことが是認されている。


わが師・松本成二先生は「日本語の科学的研究」という書をなしたが、あくまでも「科学的」であって、「科学」ではない。名著との評判はあるが、「それって、証明されていますか?」の問いに答えないのである。

私の「OZ理論(ドラマ・映画の評価基準)」もその類。

ここに、国民的放送作家たる秋元康氏が企画した「共演NG」のシナリオ・構成に欠陥があると指摘しても、それって、

・あなたの意見でしょ・・・

に反発できない。

だが、古代ギリシアのアリストテレスや、フランス啓蒙時代のディドロに、同じ言葉を投げかけたら、無知蒙昧と嘲笑される。

「OZ理論」は、アリストテレスとディドロの考察を合体・展開したものであって、私のオリジナルではない。
そもそも、近代主観主義のように「主観を誇る」ことを私は意図しない。
だが、世の中は近代主観主義にあふれていて、何かを言うと、

・それはあなたの意見。

・そのエビデンスは?

・証明されているの?

との反駁を食らう。そして、たとえ間違っている言論でも、

・発信者が有名なら、流通する。

これが怖い。

「共演NG」もその類。
posted by sponta at 07:36| 東京 ☀| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月03日

ディスカバリーチャンネル「Naked」から読み取れるもの。

ヒロシの「ソロキャンプ」が今年の流行語大賞にノミネートされたというが、マイブーム(死語?)はディスカバリーチャンネルのサバイバル番組「Naked」である。

この番組では、南アフリカのサバンナ、インドネシアの熱帯雨林、中米の無人島、アメリカ・ミシシッピー川の沼地で男女の2人が21日をサバイバルする。

男女は、何も渡されぬまま、素っ裸で、荒野に放りだされる。(環境が厳しいところでは、火つけ具、ナタが渡されることもある)。


番組で知らされるのは、サバイバルに重要な要素は次の4つ。

・水
・食料
・寝床(シェルター)
・火

水は多くの場合、細菌が含まれており、煮沸するか、湧き水を探すなどしないと、一時の渇きはシノゲても、腹痛に襲われる。番組では、自然の水を飲んだため、病気になり、リタイアーする参加者も出る。(3日飲まないと、生命に危険が迫る)

食料も重要だ。参加者は、参加期間中、10kg〜20kg体重が落ちる。つーことは、3日間、何も食べないのは当たり前。人間は体内の脂肪を使うことにより、サバイバルする。
参加者たちは「狩り」をするのだが、用具がない狩りは難しい。結果、収穫物の一番は蛇・ミミズ・亀。漁具がないと魚は獲れない。参加者の男性は、鳥がザリガニを取っているのを見て、自分に出来ないことを悔しがる。
10本ほど番組を観たが、動物を捕らえたのはマングース一匹。先を尖らせた棒で、空洞になった丸太に逃げ込んだところを捕らえたのである。
獲物は食料になったのは勿論、毛皮は衣服になった。

寝床も重要。というのは、裸体で地べたに寝ると「体温が低下する」し、「虫に食われる」から。
最低でも、10センチほど地面からあがった寝床を作る。もちろん、21日間、雨が降らぬことはないから、雨よけもつくる。

そして、火。火が重要なのは、

・低体温症を防ぐ
・水・食料の殺菌
・野獣の襲撃を未然に防ぐ

から。


参加者たちの苦闘に、我々現代人・都市生活者が初心に帰って学ぶべきことは多い。それは、

・知識と道具がないと、人間は無力だということ。

この番組を観て、「蛇と人間の関わり」を再認識した。
蛇というと気持ち悪い生き物と思ったが、原始生活者にとって「貴重なたんぱく源」だった。
WHOの紋章にも蛇は登場するが、蛇には「(蛇の)栄養が人間の命を救う」というイメージがあるのかもしれぬ。
さらに、

・(精神衛生的にも、仕事量的にも)人は一人では生きていけないこと。

筋力的に勝る男性が「狩り」や「寝床」用の木材を集め、手先の器用な女性が、細かい仕事をこなす。この協力関係は、それぞれの資質に根差している。さらにいうと、喧嘩・摩擦を繰り返しながらも、コミュニケーションが、「決定的な精神的な落ち込み」を未然に防ぐこと。

男性参加者がリタイアーした後、女性参加者も精神的に行き詰まり、数日後にリタイアーしたケースもあった。

精神的なストレスを抱えるなら、仕事量が2倍になってもいいと思うかもしれぬが、2倍の仕事量は危機的なのである。


番外編として、北欧のフィヨルドでのサバイバルがあった。寒いので、防寒着は来ている。火つけ具も携帯している。

そこで思うのは、


「暑いところ」よりも「寒いところ」のほうが、サバイバルでやることが単純なこと。

・虫に刺される心配はない。
・植物の棘はない。

低体温症になるため、雪を食べ、水分をとることはできないが、熱帯雨林のサバイバルに比べると楽そう。

−−−そこから思うに、寒い地域の人達が世界制覇に乗り出したのが理解できる。










posted by sponta at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月02日

ヒロシの「ソロキャンプ」番組よりも、ディスカバリーチャンネルの「Naked」

キャンプとは集団でやるもの。

BBQもみんなでやるのが常識だった。

のを、「自己否定をお笑いにした」お笑い芸人・ヒロシ氏がユーチューブにして、ブレークした。


キャンプの魅力。つーか本質は、

・自然との対話。

・人間の本質的営みへの回帰。

・サバイバル

だろう。
とはいえ、キャンプも2極化していて、

・グランピングという、豪華なキャンプ


と、

・(持っていくのは、火おこし具とナイフ、ターフ、鍋など。テントの柱は現地調達して作る)最小限の用具のブッシュクラフト


という。

行って楽しいのはグランピングであり、観て楽しいのは、ブッシュクラフトだろう。

石橋貴明氏は「焚火の前での対談」を番組にしているが、ヒロシの番組に対談は無い。「火を起こすだけ」で番組が成立する。

・・・なんて思っていたら、ディスカバリーチャンネルに「Naked」という番組があった。

究極のサバイバル番組である。
続きを読む
posted by sponta at 05:25| 東京 ☁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月01日

2020年。三島由紀夫と秋篠宮殿下。(立憲君主制と民主主義・天皇制物語説)

秋篠宮殿下が、ご長女の結婚を容認した。
曰く、「結婚は両性の同意」と憲法に従うと・・・。

だが、「結婚と婚約は違う」と「天皇家の儀式を採用しない」と意図されている。
これは、「(公式的な立場で)長女を離縁する」に等しい。


天皇が「日本国民の統合の象徴」なら、「国民の総意を得られない要素」があってはならぬ。殿下は「長女を離縁する」ことにより、「象徴天皇制」を守った。
続きを読む
ファン
 メッセージを送る
 このブログの読者になる
 更新情報をチェックする
 ブックマークする
 友達に教える
RDF Site Summary
RSS 2.0