2020年08月31日

「半沢直樹」は、「お刺身盛り合わせ」である。

spontaが気になったのは、歌舞伎チックな「セリフ廻し・顔芸ではない」。

筆頭銀行・西田尚美嬢が「タスクフォースを受け入れない」と発言してから、〈回想シーン〉として、政府系金融機関から民間への転換が決定したと明らかにするのは、時系列のままだと、「ご都合主義のシナリオ」とバレルから。

つまりは〈設定〉なんですよ。

ラストシーン。

柄本明(東京乾電池の主催者)に江口のりこ(東京乾電池の女優)が「裏切り者」と罵られるが、彼女は「詰めが甘かった」だけで、首相を出し抜こうとした訳ではないという印象。

サンドウィッチマン富沢ではないが「何を言っているか分らない」。要は、江口嬢に最後の「見せ場」を作ってあげたかった制作陣の優しさ。

そんな感じ。


知人の「ドラマを観ない若い人」が、「半沢直樹」を観ていると楽しそうに言う。
経済に興味を持つ彼は、分らないところがあると、二度観るとか。

spontaは、「あの番組は、ドラマとして低級です」とは言わなかった。
そして、「普段、ドラマを観ない人」が、楽しく観ている。そのことに深く痛感する。

・「半沢直樹」の〈ドラマ成分〉は、皆無に等しい。

たとえ話をすると、

・「半沢直樹」は、「お刺身盛り合わせ」である。


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「海をかける虹 山本五十六と日本海軍」(1983年 テレビ東京・東映)をOZ理論で吟味する。

終戦記念日がある夏だからなのか、CATVで戦争映画をやっている。

評価の定まった作品を分析することは、「OZ理論」の妥当性を吟味できるので、旧作の評価を行っている。

最近観たのは、

・パットン大戦車軍団(第二次世界大戦のアメリカ・パットン将軍の活躍)

・史上最大の作戦(第二次世界大戦のノルマンジー上率作戦の陸海空の攻防)

どちらも、

・因果律を最低限にして、

・叙事詩的(第三者による歴史的・間接話法な記述)

※ 反対は「叙情詩的」(当事者による直接話法)

な作品である。

つまり、小津監督の言うとおり「映画はアクシデントではない。ドラマだ」

※ ドラマとは、「対決・対立・葛藤・恋情」

とするなら、「心を描くこと」を第一目標としないこれら戦争映画は、映画ではない。

だが、これらは紛れもない「映画史の傑作」である。

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2020年08月30日

追悼・渡哲也氏。石原プロの炊き出しは「施餓鬼」である。

俳優の渡哲也氏が逝去された。

テレビタレントの石原良純氏は、「社長の意志を継がなければならぬ」とコメントしていた。

社長の意志とは、被災地での炊き出し。ボランティア活動だろう。

被災地に赴いた渡氏は、被災地の人たちを思いやって、ブルーシートの上に毛布を敷いて寝ていたという。
一般に、

・奉仕活動

・ボランティア

などと呼ばれるが、spontaは、

・施餓鬼

だと思う。

※ 施餓鬼とは、「餓鬼」に施す。
つまりは、先祖ばかりを供養していると、供養してもらえない諸霊(餓鬼)が嫉妬する。そこで、生き物を自然に放つのが施餓鬼。放生会である。

石原プロ社長の渡氏の行動は、

・日本国民から支援されている恩返し(自分たちだけが恵まれていては、申し訳ない)

私がそう考えるのは、「売名行為」との悪口をたたかれるのをおそれず、石原軍団は堂々と被災地支援を行っているから。

その潔さ。

お金で解決しない。

その決意。

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2020年08月29日

OZ理論は、「シナリオ作成法」ではない。

我が師・首藤剛志氏は、

・名作を見ていれば、シナリオで勝手に主人公たちが動き出す。

と述べ、映画を見続けていたと記憶する。

彼は、日本アカデミー会員であり、年間1万円の会費で、映画館フリーパスを持っていた。

会員証を使って「ただで映画を観ていいよ」と言われたが、後ろめたさがあり、会員証を使った記憶はない。(ひょっとして、一度ぐらいはあったかも・・・)

・名作を何度も観ていれば、自分のシナリオで、登場人物が勝手に動く。

それは、「自動書記」ともいえる神秘主義である。

黒沢明映画監督の弟子も、

・(黒沢監督は)誰かが乗り移ったように、シナリオを書いていた

と述懐する。

だが、そのような「神秘主義」が、駄作を日本にのさばらせてきたと思えてならない。

シナリオの創作が、たとえそのようなものであっても、「シナリオの評価・吟味」はダメ。spontaは、そう考える。

映画学校の演劇科の同級生で、漫才コンビとしてデビューした女の子(ピックルスの白坂さん)がいて、図書館の近くで偶然出会った。

曰く、図書館で「古典落語を読み」研究しているのだとか。

これなども、「習うより、慣れろ」というか、先輩・指導者たちの見識のなさである。

・観客を笑わせる要因を明確にすべき

である。

亡き桂枝雀氏は、

・笑いとは、緊張の緩和

と定義したが、それだけではないだろう。

「なぞかけ(○○とかけて、××と解く。その心は・・・)」で、「かけられるもの」の緊張の度合いが、爆笑の度合いに比例するとは限らない。

今は亡き桂歌丸師匠が嫌悪した「下ネタ」の笑いもあるだろうし、「意外性」の笑い。「自虐性」「風刺」の笑いもある。

すべからく、「笑いの理由」「笑いの分析」には、まず、「笑いの分類」があり、「笑いの技法」を整理すべきである。

吉本興業にはテキストがあるのかもしれぬが、巷間流通していないのは残念である。


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2020年08月28日

宇宙人と遭遇した人と出会う。

さて、どうなんだろ。


数年前、顔に出来物ができたが、日常生活に支障がないので、そのままにしていた。

数ヶ月前、知り合った(私よりも数歳年長と思われる)ご婦人の顔に、同じような出来物が出来ているのを確認した。

しかし、初対面で切り出すのは失礼と思い、話題にせぬままにした。


昨日(8/16)、そのご婦人に再び会う機会があり、出来物の話をした。

・同じところに私も出来物があるんです。病院に行きましたか?

そんな感じ。

すると、

・病院には行ってない。

・いつの間にか、出来ていた。

そして、

・霊能者の先生に身体を触ってもらった後にできたような気がする。

と。(後で、妻に確認すると、霊能者にそんな能力はないと笑われた)

そして、

話は以外な展開に、

・私、UFOを見たことがあるんです。


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2020年08月27日

spontaの安倍首相へのスタンス。

最近、胆石で入院していたspontaとしては、安倍さんの検査に6時間もかかるとは思えない。大概は、数十分で終了する。造影剤を飲んで、その後の検査だとしても、2時間もあれば・・・。

一般人でないんだから、順番待ちはないに決まっている。

つーことは、検査と称して「ゆっくり休養してください」ことかも。

※ 勿論、患者の立場での推察であって、私は素人である。


882不要不急の名無しさん2020/08/27(木) 20:56:31.07ID:tWMgDhDk0

バカなら官僚の言うことを聞いておくのか一番まし。
切り捨てられたり不満もそれなりに出るだろうが全体調和をとるなら議員は黙って官僚が主導する方がいい。
議員が団体経由でろくでもない案件持ってくるたびに無理が生じて変な風になる


【安倍首相】「周囲から勧められた政策を良いと思ってやっても世論から批判される」「なぜだ。こんなことになるのはなぜなんだ」 ★4 [potato★]

との旧称2ちゃんのスレッドだが、

spontaに言わせると、


世論から批判なんかされていないって、国外勢力(手先は半島南だが、本質はアメリカを動かしている人たち)に牛耳られた「マスコミ」によって捏造された世論によって、批判されているだけ。

安倍さんのことを「おさるの電車の運転手に過ぎない」と達観しているオイラには、「よくやっている」と思っている。


安倍さんは、お祖父さんの代から、日本の真相・深層を聞かされているはず。つまりは、「日本がアメリカに支配される構造」を知っている。

つまりは、そういう情報を知らずに、「自分は運転手」と勘違いした民主の菅さんよりはマシ。


俳優・小泉幸太郎氏が父・純一郎の総理大臣の任期を終えたとき、「殺されないで良かった」と安堵したとテレビで告白していたが、現職中に亡くなられた小渕さんや、大平さんの背後に何があったかを知っていたからだろうに。




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「半沢直樹」が日本のドラマをぶち壊す。


※ 「AIによる自動評価」の実現には、「人間による(客観的で、妥当性のある)評価」が不可欠。

以下に、構造化データ(評価マトリックス)のひな型を作った。

00_基本説明_01.jpg

5味は、自然言語処理・オントロジー論における「ダブリンコア」と同じ。作品の「最重要属性」である。

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評価基準「OZ理論」を結論する過程は以下で詳説した。

2020年07月17日 『 採録: 日本の「演劇・ドラマ・映画」の吟味法。(ハイパーOZ理論最終形) 』

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「NHKをぶち壊す」ではない。TBSが「日本のドラマをぶち壊す」である。


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最終回で初めてドラマする「私の家政婦ナギサさん」。てどうよ?

このブログの本質は、spontaの思想を明確に打ち出すことである。

OZ理論は、2020年夏段階で、spontaの最大の興味である。


ソニーの出井氏は、ウォークマンを市場に出したことで有名だが、彼は「不連続論」を展開した。つまりは、「過去と未来は、不連続」。

ラジカセが進化・小型化して、ウォークマンが登場したのではない。歩きながら、外出しながら音楽を楽しむという文化が初めて登場した。のだと。

私のOZ理論も同様である。

松竹で大島渚・山田洋次と同期だった川邊一外氏は「ドラマとは何か?」(1987年)という本を出している。引っ越しで書棚が無くなるにつけ、大部分が古本屋に移送されたが、この一冊はサバイバルしている。

この本のタイトルのつけ方が卑怯。つまりは、「自立していない」。

本来であれば、新藤兼人氏の「シナリオ人生」のように、「ドラマは人生であり、それは発端、葛藤、終結の三段階で構成される」と、腹帯に記載すべきだった。

そして、付箋が張られたページを見て、spontaなりに川邊論を要約すると、

・ドラマ(の面白さ)とは、弁証法である。

になる。

つまりは、「正→反→合」の三段階。ならば、新藤論に同じ。

とすれば、

・〈設定〉を提示するだけのファーストシーン(弁証法でいうところの正)

を持つ「面白くない脚本」も許容される。


視聴者が第一回を観て、「見続けるか or もう見ないか」の判断は、「第一回が面白いかどうか?」である。

・〈設定〉〈伏線〉の羅列された第一回

のドラマの第二回を、誰も観ようと思わない。

・第一回の視聴者を満足させないドラマは、(視聴者にとって)第二回以降は存在しない。

※ 川邊氏は、ゲーム作家でもあるらしいが、「設定ばかりの糞ゲー」ばかりを作っていたのではないか・・・。勿論、(ゴールしたものだけが出会えるというスーパーマリオの)ピーチ姫を観たことがないspontaにゲームを語る資格はない。

「これはシナリオではありません。ストーリーです」と新藤兼人を罵倒した溝口健二監督。彼の代表作「近松物語」では、冒頭の「京都の商家の封建的コミュニケーション(商店主のパワハラ・セクハラ」の〈説明・設定シーン〉に、小間使いに言い寄る商店主というサブストーリーを設けることで、〈設定〉を避けている。

新藤作品の仔細を覚えていないが脚本監督作品「地平線」でカメラ目線のインタビュー・独白シーンが多かったのが印象的である。シナリオライターがアンチドラマな手法を使うとは、噴飯である。

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「私たちはどうかしている」と大ヒット韓流ドラマの共通点・相違点。

日本テレビ「私たちはどうかしている」は漫画が原作で、売り出し中の新人俳優、浜辺美波・横浜流星が主演している。

TBSの演出家・鴨下伸一は「最近のドラマにはアンタゴニストが足りない」と日本のドラマの低迷を指摘していた。アンタゴニストとは登場人物たちの〈対立・対決〉である。

「私たちはどうかしている」は、ヒロインのいまは亡き母が「無実の罪で逮捕された」過去を究明していくため、和菓子老舗店に乗り込んでいくところから始まる。

ヒロインは、老舗和菓子店のオーナー家の人たちの〈反発〉にもめげない。

そして、「愛し合っていない」ことを承知で、御曹司と結婚することを前提に住み込む。ヒロインの心には〈復讐〉の炎が燃えている。
〈アンタゴニスト・対立〉は十分。見応えがある。
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posted by sponta at 12:55| 東京 ☁| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「君の名は。」をOZ理論で評価・吟味する。

「興行成績が良い」のに、「鑑賞後の評価」が芳しくない。

その代表が、「シン・ゴジラ」。そして、アニメーション映画「君の名は。」。

この記事では「君の名は。」を取り上げる。
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2020年08月26日

「シン・ゴジラ」をOZ理論で吟味・評価する。

OZ理論を結論するに至ったのは、それまでの「評価・吟味ツール」だと、例外が多すぎることだった。

2016年頃、TBS演出家の鴨下信一氏の、

・最近のドラマにはアンタゴニスト(対立関係)が足りない。

なる言葉を信じて、

・ドラマの最重要要素は、〈対立〉

として、「評価ツール」を構想した。

だが、それだと、昭和の名シナリオライター・向田邦子の作品を評価できない。

向田邦子のホームドラマでも、

・娘と父親の〈対立〉

は存在する。だが、それが「親子喧嘩」「家出」などの対決に発展することはない。

だが、昭和の大衆はドラマの最高峰として向田作品の「阿修羅のごとく」「あ・うん」などを傑作として評価した。

西洋のドラマは「親子の対立・断絶」だとしても、日本のドラマは「親子の忖度・思いやり」。

それにより〈自主性〉を発揮しないとしても、〈忖度・思いやり〉があれば、主人公の資格を持つ。

「OZ理論」では、それを〈感情〉として重要項目とした。

西洋では「対立・対決」がドラマの最重要要素だが、日本ではそうではない。

「平家物語」は、源平の合戦の物語ではなく、「奢る平家も久しからず」の無常の物語なのだ。


鴨下信一氏は「岸辺のアルバム」は山田太一氏の脚本。夫の会社のあくどい仕事・妻の不倫・娘の不純異性交遊など、家庭崩壊ぎりぎりの「刺激の強い」家族を描いている。

一方、向田邦子作品の演出は久世光彦氏。

不倫・不貞もあるが、「家族の求心力」が失われることはない。比較的「刺激度の低い」家庭。


「岸辺のアルバム」、向田作品。どちらかを否定するような「評価ツール」ではマズい。

「積み木崩し」には、「積み木崩し」のおもしろさ。「サザエさん」には、「サザエさん」のおもしろさがあるのであって、

「積み木崩し」の娘が「常軌を逸している」と、「サザエさん」の(一切、両親に反逆しない)わかめちゃんと比べるのは、不合理だ。


OZ理論は、小津安二郎監督の

・映画はアクシデントではない。ドラマだ。

※ ドラマとは、人間たちの「対決・対立・葛藤・恋情」


・映画&ドラマの大切な要素は、〈ドラマ成分〉と〈非ドラマ成分〉

と読み替えたもの。

つまり、映画監督には、

・小津安二郎派

・反・小津安二郎派

のふたつが存在する。


同様に、シナリオ・ドラマには、

・刺激度の高いドラマ

・刺激度の低いドラマ

のふたつが存在する。



放送大学・美学芸術学の青山昌文教授は、

・叙事詩

・叙情詩

という二つの分類を重要視する。

・叙事詩: 第三者による客観的な記述(歴史作家の歴史記述)= 間接話法

・叙情詩: 当事者によるドラマ。演劇 = 直接話法。

青山教授の論からいえば、〈ドラマ〉は、叙情詩でなければならぬ。


先日「史上最大の作戦」を観た。
連合軍のノルマンジー上陸作戦を再現した映画である。
だが、この映画は、きわめて「叙事詩」的である。

・「こんなことがありました」= 叙事詩的。

・「こんな人がいました(感情移入)」= 叙情詩的。

ということであって、本来なら、叙事詩的作品はあってはならないが、「史上最大の作戦」は、叙事詩的でありながら、映画として成立している。

たしかに、「主人公に感情移入して、浄化される」ことは無理かもしれない。だが、作品として否定できない。

spontaは、飽きることなく3時間ほどの「史上最大の作戦」を見終わった。


ゴーストライターとして数本の作品を書くも、シナリオライターとしてデビューできなかったのは、師匠・首藤剛志氏が「銀河英雄伝説」のテレビシリーズを企画の途中で降板したことが影響している。

当時、私淑していた私は、師匠に従って、原作からシノプシス(あらすじ)を何本か書いた。

平行して、原作ファンのプロデューサーとの打ち合わせを重ねていた師匠は、

・30分番組に150人ものキャラクターを登場させるのは無理。

と、プロデューサーと決別した。

私は、プロデューサーと師匠の打ち合わせに参加したことはない。だが、今思えば、

ドラマには、

・「アラビアのロレンス」のような叙情詩的な映画

※ 作品の最初&最後の「主人公のバイクの疾走シーン」をみれば、極めて叙情詩的作品なことが分かる。

もあれば、

・「史上最大の作戦」のような叙事詩的な映画

もある。

「銀河英雄伝説」の企画段階。そんなことを誰かが言えば良かったものを。

デビット・リーンの傑作を持ち出したのは、その脚本家が、師匠のお気に入りだったから・・・。



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2020年08月25日

服部百音さん(少女バイオリニスト)を久しぶりに観た。

8月15日オンエアの「題名のない音楽会」に、服部百音さんが出演されていた。

彼女家系は、昭和の大衆作曲家・服部良一につらなる。つまりは、祖父は服部克久。父も作曲家。

豊富な財力を最大限活用し、レッスンを受けにヨーロッパに出かけることも珍しくない。

ドキュメンタリー番組。

コンサートに向けたレッスンで、母親(かつてプロのバイオリニストだった?)から、客席の方向を指示され、そちらに向けて演奏・表現せよと、ホテルの一室で叱咤されていたのを印象的に覚えている。
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2020年08月24日

鑑賞の伝統。

コジルリ嬢の素直な意見に続く、「鑑賞の伝統」のつづき。


世田谷区美術館の代表たる(つまりは高価な)収蔵作品は、アンリ・ルソーである。

美術館の学芸員たちは、「自由に鑑賞して欲しい」と嘯(うそぶ)くものだから、「小中学生は困ってしまう」とかねてから指摘している。

アンリ・ルソーの人物たちは、「古典派が描いた貴族の肖像画・家族の肖像(カンバセーション・ピース)」を否定するもの。

つまりは、

・人間の価値は、容姿の「美醜」では計れない。

・豪華な衣装が、その人の価値を決めない。

であり、そのことを表現するために、「サザエさん」のように「みんな同じ顔」で、ヨソイキの服ではなく、普段着。


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2020年08月23日

「止められるか、俺たちを」(2018年若松プロ)に観る旧映画人たちのおぞましさ。

独立プロ系の映画監督・若松孝二監督のありし日の姿を彼の弟子たちがつくった映画である。

027_止められるか、俺たちを.jpg


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2020年08月22日

「私たちはどうかしている」は、「製パン王キム・タック」をミメーシスすべきだった。

※ ミメーシスとは、傑作のさらにインパクトを強化した模倣・再現。(アリストテレス)

第一回のオンエアで、高評価をしている「私たちはどうかしている」。主演は浜辺美波、横浜流星。

023_私たちはどうかしている.jpg

ウェブ評では、ダブル主演に失敗作が多いとか。

spontaが評価した理由は、「因果律を抗って、人生を切り開いていくヒロイン」だから。

因果律とは、「原因 → 結果」。つまり、現状を肯定するのではなく、現状にめげずに立ち向かう勇気・心意気・健気(けなげ)が、〈ドラマ〉なのだ。

その意味で、「母親の無念を晴らすため」に「愛のない結婚」を選ぶ♀(ヒロインの意味。以下、これで記す)は、素晴らしい。

その姿は、韓流ドラマ「製パン王キム・タック」の♀・ユギョンに通じる。

013_キムタック.jpg

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2020年08月21日

「恐竜が滅んだ理由が、ソーダ水」なんてありえない。(コジルリ嬢)

TBSオンエアの「俳句バトル番組・プレバト」で、

・恐竜が滅んだ理由、ソーダ水

を夏井先生が絶賛すると、人気テレビタレントの小島るりこ嬢が噛みつく。

曰く、

・恐竜が滅んだ理由(は)、ソーダ水。

「ソーダ水を飲んだ」ために、恐竜が滅んだというのが素直な解釈。

夏井先生は、

夏休みの自由研究で汗をかきながら「恐竜が滅んだ理由」を知った小学生の映像が見えてくる。

ソーダ水ではなく、月見草だったら、夜遅くまで勉強している映像が見えてくるし、

試験管だったら、理科室で先生に教えてもらう映像が浮かび上がる。

と解説した。


つまり、

・前半部分と後半部分の「不即不離(近すぎず・離れすぎず)」な関係を読みとる

のが、俳句鑑賞の伝統なのだ。

そう分かってしまえば、

「恐竜が滅んだ理由」が「ソーダ水を飲んだこと」などと、誤解することはありえないし、そのようにしか解釈(帰納批評)できなかった自分を恥ずべきである。

だが、AIなら、「コジルリな解釈しかできぬ」はずであって・・・。などと、思う。

つまり、

・そのまんまやないか

を許さない俳句鑑賞の世界は、極めて因習的であり、「AIの意味抽出」の及ばないところである。

・コノテーション(象徴化された意味)
※ この部屋は暑いですね。(本意は、クーラーをつけてください)(日本語的)

日本語は、「状態を指摘する」ことで、「命令形」を避けている。婉曲表現である。

・ディノテーション(辞書に乗っている意味)
※ クーラーをつけてください。(本意も同じ)(英語的)

英語は、直接的で、自己中心的であり、相手への配慮が薄い。

との分類があるが、この場合の意味は、文脈をたどっていっても無理だろう。

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2020年08月20日

OZ理論の総合点は、果物における「糖度」に近い。

多様な映画&ドラマの評価を、総合点として一本化した。それがOZ理論の目玉である。

だが、オリンピックのように、

・点数が高いなら、優勝

とならないのが辛いところ。


そこで、spontaは、

OZポイントは、

果物の吟味に使う

・〈糖度〉に類似する

と考察する。
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2020年08月19日

OZ理論は、(映像制作関係の)プロの人たちを敵に回している。

娘が大学一年。評価をテーマに発表をした時、「MCの教員」は、

・君はSFCの研究には価値がないとでも言うのかい?

と、 娘に毒ついた。

場所は六本木。慶應義塾SFCの学外発表会での出来事。
娘は降壇後、

・こんな大学やめてやる。

と号泣した。


娘の研究は、「評価」。評価対象は「大学の研究」。

結果、

・学生に優越感を感じていた教員が、「評価される側」に回ることを嫌悪。

娘の発表前のMCで毒ついた。

しかし、

・評価

がなければ、

・価値

は生まれない。

つまり、MC教員は「娘の研究の本意」を理解して、反発したのである。


毎年、六本木で開かれる研究発表会。

だが、教員たちは「相互不可侵条約を結んでいる」が如く、「他人のシノギに口を出さない」。

MC教員の専門は「オーラルヒストリー」というが、「人間は嘘をつく」という基本的な事実を捨象して、

・当事者の発言がベスト

なる学問を展開している。

半島南を思えば、

・当事者発言は、「自己都合を反映したもの」であって、

真実性は低い。1945年に終戦しているのに、75年経った今、慰安婦が存命しているなど、信じがたい。

つか、日韓併合であって、日本軍が半島で戦争をしたのではないのに、いつのまにか「植民地支配」とねつ造している人たちを思えば、「オーラルヒストリー」が真実を表現するのは「きわめて限定的」である。


カナダの映画監督のクローネンバーグ監督は、

・人間は、思い出すという行為を通じて、過去をねつ造している。

と、発言している。

ま、そんなことがあった。


要は、

・「評価される側」からの反発は強い。

である。

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2020年08月18日

ランランの「ゴルドベルグ変奏曲」を吟味する。

spontaが気にしているのは、「古典派」「ロマン派」の別である。

テレビ朝日「題名のない音楽会」で、ランランの演奏を聴く。

曲はバッハの「ゴルドベルグ変奏曲」で20年の研究を経て、ようやく録音したのだとか。

スタジオの日本人音楽家は、この曲は「エベレスト登山に匹敵する難しさ」があると指摘する。

ゴルドベルグ変奏曲といえば、グレン・グールドの録音が知られるが、番組はグレン・グールドの演奏に言及しない。


ランランの演奏を聴いた日本人のバッハ専門家は、「自由な感情表現」と絶賛した。

だが、どうなんだろう? とspontaは首を傾げる。

確か、この曲は、バッハが、依頼主の貴族が「眠りに入る」ために作曲したと記憶する。
ならば、ランランの「ロマン派」的な演奏の是非は?



spontaは、あきれるほどグレン・グールドの演奏を聴き返してきた。

ランランの演奏をロマン派とするなら、グールドの演奏は「古典派」。禁欲的な演奏といえる。


グールドのピアノ演奏は〈タイム感〉を持っている。つまり、メトロノームの感覚がありながら、右手の演奏と左手の演奏が微妙にタイミングをずらすことにより、グルーヴしている。

コンサート開始前に、「私はグールド君の(ゆっくり過ぎる)テンポに同意していない」と異例のコメントを発したバーンスタインは、グルーヴを理解しない。


一方のランランの演奏は、「一つの意志・感情」のもと、テンポを動かしながら、揺らしながら、「感情」を表現している。


番組の最後に、ランランの「ラプソディーインブルー」の演奏が披露された。

ランラン氏は、チック・コリアと協演した時に、この曲のすばらしさを知り、演奏するようになったという。
だが、ランランの演奏は、チック・コリア氏のような「堅調なタイム感(メトロノーム感)」は無く、テンポルバート・自由気ままに演奏された。

結局のところ、作曲者のガーシュインが、ジャズを、スウィングを理解していなかった。だから、ランランの演奏がジャズでない(グルーヴしない)のも不思議ではない。

「スウィングしなけりゃ、意味がないよ」。それがジャズである。


番組はありがちな「ゲストを絶賛する」に終始した。

これでは、ランラン氏の「何が良い」のか分からない。

つか、バッハという「西洋音楽の起源の作曲家」の演奏を「ロマン派的に演奏する」ことの是非を問うべき。

・バッハを冒涜している。

との評価もあって不思議ではない。

タイム感のないランラン氏は、テンポルバート(テンポを揺らす・動かすこと)により情趣を盛り上げるしかなかった。

だが、グールドは、テンポをキープしたまま、グルーヴによって深い情趣を生み出している。・・・のではないか。
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2020年08月17日

「アルプスの少女ハイジ」をOZ理論で吟味した。


※ 「AIによる自動評価」の実現には、「人間による(客観的で、妥当性のある)評価」が不可欠。

以下に、構造化データ(評価マトリックス)のひな型を作った。

00_基本説明_01.jpg

5味は、自然言語処理・オントロジー論における「ダブリンコア」と同じ。作品の「最重要属性」である。

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評価基準「OZ理論」を結論する過程は以下で詳説した。

2020年07月17日 『 採録: 日本の「演劇・ドラマ・映画」の吟味法。(ハイパーOZ理論最終形) 』

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すでに評価が定まっている作品を「評価・吟味する」ことで、評価ツールの「評価」。つまりは、メタ評価ができる。

つーことで、宮崎駿演出の「アルプスの少女ハイジ」をOZ理論によって「分析・評価する」。

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