2020年07月31日

「人生劇場 飛車角」(1963年東映)の評価。

012_人生劇場飛車角.jpg





以下、Wikipediaより。


【出演】

飛車角:鶴田浩二
おとよ:佐久間良子

宮川:高倉健

吉良常:月形龍之介

青成瓢吉:梅宮辰夫
小金:加藤嘉
寺兼:村田英雄
おいてけ堀の熊吉:曽根晴美
奈良平:水島道太郎
杉田清七:田中春男
浜勝:山本麟一


【あらすじ】

大正時代、遊女のおとよと駆け落ちしてきた飛車角は、小金親分の配慮で深川に隠れ住んでいた。

小金一家は丈徳組と喧嘩になり、一宿一飯の義理がある飛車角は宮川と熊吉を連れて丈徳を刺し殺す。

逃走中に逃げ込んだ庭先で出てきた初老のバクチ打ちの吉良常は「おめえさん、無職(ぶしょく)だね」と事情を聞かずに匿う。義理のためとはいえ人を殺し女房を残していく飛車角の心を慮った吉良常はしょせんヤクザの行く道は赤い着物(囹圄の人となるか)か白い着物(仏になるか)かと渡世の定めを語り、吉良常は親分の忘れ形見である青成瓢吉のことを語る。

飛車角は警察に自首して懲役5年を食らい、おとよは小金の弟分の奈良平が預かる。

深川不動の夏祭りへ出かけた奈良平とおとよだが、そこで小金が何者かに暗殺される。奈良平の表情で真相を察したおとよは逃げ出し、宮川に匿われる。

似通った境遇の2人はやがて結ばれるが、宮川はおとよが飛車角の情婦だと知り青褪める。

そこへ飛車角が恩赦で出所するが、迎えに出た吉良常はおとよの事情を話す。おとよを諦めた飛車角は吉良常に誘われ、吉良へ向かう。

酒屋の女お千代にも慕われてこの街で平和に暮らす飛車角だが、そこへ宮川とおとよが現れる。飛車角は黙って2人を許した。

それからしばらくして、吉良の地の仁吉祭りを巡って吉良常と浜勝が諍いを起こす。

飛車角は浜勝に祭りには指一本触れないよう念書を取り、浜勝も飛車角の男意気に感服する。そこへ熊吉がやってきて、小金暗殺の真相を知った宮川が単身で奈良平に殴りこんで殺されたことを告げる。

飛車角は引き止めるお千代を振り切って東京へ戻る。奈良平は飛車角を迎え撃つために総力を結集する。おとよは泣きながら飛車角を止めるが、振り払って飛車角は言った。

「あの世で逢おうぜ」

奈良平と手下が待ち構える屋敷へ向かい、飛車角は坂道を登って行った……



今村昌平の映画学校在学中、佐藤忠男氏の講義を週一で受けていたが、感心したことは一度もない。だが、彼の出世論文が「任侠もの」と、なんとなく覚えていた。


【佐藤忠男氏(81歳のときの記事)】

出版社の方から貴方は何派ですかと問われ、何派なのかと友人のフランス人に聞いてみたところ。ヒューマニズムだと人間派なんだと自分で気付いた。
 
人生論的であるし、映画による社会学であると 若い映画評論家は社会学の論文として批評してますね。

例えば日本のジャンルの一つに任侠映画がある。日本の社会構造の親分子分的な面。そう言ったものを抜きにしては任侠映画は成り立たないわけですよ。

 日本社会における親分子分的なものと言うのはやくざの世界だけではない。 広く悪い意味ではなく 親方 子方的な社会は広く産業社会から農村まである訳ですよ。

歴史的な変化まで調べないと単純にやくざ映画だけを論ずると言うわけにはいかなくなる。だから社会学になってしまう。
 
映画と出合ったのは4歳 アメリカ映画の「キングコング」が鮮明に覚えている。
淀川長治も小さい頃の映画を鮮明に覚えていると言っている 。
エノケンのドタバタ喜劇、愛染かつら、・・・ 当時はあまり映画を見る事が奨励されていなかった。(戦時中)小学校は戦争の時代
小学校卒業するときに中学に行く時に受験する。
講堂でいきなり校長が出てきて明治天皇の御声を三種朗読して挨拶もせず去って行った14歳で敗戦迎える。
面接の時に出るのだろうと一生懸命覚える事にした。
 
試験はうまく言ったと思ったら試験に落ちていた 来年もう一度受けようと高等小学校にいく。受験担当の先生からあの学校は愛国主義者で試験成績よりも人格を見ると言う。 校長先生が話をするときに頭を下げるがそれをしないものがいるので、それを落第にすると云うそれを聞いて中学に行くのが嫌になってしまった。
 
理由を問われて仕方なく少年兵に行くと言った (兵役に行くと言うと当時の親は逆らえなかった)
戦争に負けてどうしようと思っている時に アメリカの映画を見た 若い女性がニューヨークに行く。若い男性が振りかえる その目がやけに爽やか、健康的に見えた 。これを見て文化的に負けたと思った  (戦争の背後に有る文化の差)
   
我々は世界の事を知らなかった それからアメリカ映画を夢中に見るようになる。自分がどれだけ世界を知らないかを痛切に感じた。
「キューリー夫人の映画」。文化の差を痛切に感じる。それを理解するために一生懸命勉強した今から考えるとファンと言うより映画の研究者だった。
鉄道教習所の生徒だったのでパスを貰える。
土曜夜 夜行で東京に来て古本屋に行って映画の文献をあさり、地方では見れない新劇とか観て、夜行でまた帰って月曜の朝に教習所の学校に出席すると言う事をよくやっていましたね(3年間)
認められるようになったのが20歳を超えてから(17歳くらいから映画雑誌に投書し始めたが)
鶴見俊輔さんが「思想の世界」 投稿を歓迎すると言っていたのでこれに投稿すると、手紙が来て之ぐらいのものを3つ書けば君はプロとしてやっていけると言われる。
これが決定的だった。 
一般民衆の思想を哲学者が考えたりしている 「任侠について」。
「長谷川信論」 日本にまたたびもののジャンルを創り出した人
「沓掛時次郎」 ウィリアム・S・ハート アメリカの無声映画の1910年代の西部劇の大スター。影響関係がある 原点がある。
さらに遡るとヨーロッパの12〜13世紀の騎士道物語が原点であると それがヨーロッパ人にとっての恋愛と言う概念の型がメロドラマに変質してヨーロッパからアメリカに移民してきたときに、西部小説と言うような形になってそれが基本になって 西部劇が生まれる 
  
一貫して有るものは強き者は貴婦人に真心・正義を捧げる。貴婦人に認めてもらい為に正義を行う。ここが重要なポイント。
  
日本の武士道物語と西洋の騎士道物語は似ていると言われるが、決定的に違うのは、騎士道物語には必ず貴婦人崇拝と言うものが付いて回る恋愛がある。  
 
日本では殿様に忠義を尽くすために女を捨てると言うのが日本の武士道の不動の基本のパターンであって アッこの時に私は軍国少年を脱却できたと思った。
  
忠義よりも恋愛が大事と言うのは基本なんですよ。
  
何故日本には忠義の為におんなを捨てると言う観念があるかと言うと、これは儒教ですよね。仏教も多少有るでしょうね
 
女性差別の観念と言うものがある これはアジア、イスラムから儒教文化圏 それから仏教文化圏を含めて 東西の考え方の違いは恋愛に対する考え方の違いが基本で、それから一生懸命一人で考えた そのためには文学書を読んだり 歴史書をよんだり、心理学、社会学を読んだりしてした。
そこに気が付いたら色んな事が判る気がしてきた。
 
「任侠について」は自分では幼稚な文章だと思っているが、ただ色んな人が認めて下さったんですが、(23歳) 国鉄を追い出された。
何とか映画の仕事はやりたいとは思っていたが 一流大学の人でないと入れない状況だった。  
 脚本家の道を目指したが、片手間に書いていたものが認められた。
大衆映画論者と言われた 鶴見俊輔さんは映画の評論をして哲学者も評論してくれるようにもなった
鶴見さんは偉い人だなと思った 最初に会った時に鶴見さんは「この人は分析的な文章を書く人です」とおっしゃってくれた。
俺は分析的な文章が書けるんだと思いましたね。   
 大衆映画と言うものは皆にているように見えるけれども、重要なところが違う。それを分析するのが私の仕事だと言う風に自覚しましたね。
50年代終わりに評論家の地位を確立した評論を仕事にする 60年を頂点として観客が半分に減る。駄目だと言われ続けてきたが、何とかやっている
 
撮影所が映画を作っていたが、スターがいてパターンが決まっていた 
撮影所がつぶれてパターンが成り立たなくなっていった てんでに作る様になる。
ファンは自分の好きな映画がどれか判らなくなってしまう。映画は益々衰退した。自分で出資者を探して自分の映画を作る様になる。
  
一本一本の作品が非常にそれぞれ違う作品ができるようになる。そうすると批評家の働き場所となる。
一本一本違うと其れをどこまで分析できるかと言う事が重要になってくる。
政治の映画ができなかったが出てくるようになって 左翼でもいろいろ有るのでその辺を理解しないと、評論できないような時代になってきた。
 
60年時代にやってきたATG、外国映画もアメリカ、フライス、ドイツ映画しかなかったものが、ポーランド、スエーデン映画とか型にはまらない映画が世界から表れてくる そうなると批評家の仕事は益々重大に成ってきます。
批評を書く事に対して力が入ってきましたね
作家の個性が重大になってくる 黒沢明論の単行本を最初に書いた 
溝口健二、小津安二郎、今村昌平、等々監督に対してそれぞれ8冊ぐらい書いた 型にはまらない映画がどんどん出てくる  
本格的に議論できる時代が来た。


結局のところ、佐藤氏が「大衆映画に哲学をからめた」ことが、映画の文学への劣等感を弱めた。


佐藤氏の瑕は、

・(卑近な大衆娯楽でしかない)映画と(高尚な学問)哲学を結び付けたこと。

結果、映画関係者のプライドをくすぐったし、(象牙の塔の住人として批判されていた)アカデミストたちを解放した。

しかし、「思索批評が尊ばれる〈近代主観主義の時代〉だからこそ、価値がある。

「ポストモダンの時代」に価値はない。


・映画は「映画として評価されるべき」

であって、

・「社会学・哲学」を翻案したもの

として評価されるのは、本筋ではない。


同様に、彼を学長にした「横浜映画放送専門学院の末裔」が、アカデミズムに移行しているのは、「ああ、勘違い」である。


話を戻そう。

「人生劇場 飛車角」は、東映任侠映画の第一作である。ならば、人気シリーズの本質が作品に現れているはず。

つーことで、鑑賞・分析した。


まず、感じたのは、歌詞にもなっている「義理と人情」。

これが分りにくい。映画を通じて解釈できるのは、以下〜

・義理 = 男のプライド

・人情 = 恋情

「義理」というから、生きていくための「しがらみ」と思ってしまう。だが、映画で表現されているのは、

・「男の心意気」(プライド)

と、

・恋人に向けた「恋情」

である。


「高慢と偏見」という小説があるそうだが、「プライドと恋情」とすべきだった。

・鶴田浩二:プライド第一、恋情第二。(だが、心の底では、恋情第一。ここが、カタルシス)

・佐久間良子:恋情第一、しがらみ第二。

これは、王将・坂田三吉と対照できる。

・坂田三吉(勝新太郎):勝負第一、気品第二。(三吉は、終始勝負第一。妻の死でやっと悟る)

・小春(中村玉緒):感謝第一、勝負第二。

・娘(音無美紀子):気品第一、勝負第二。


「プライドと恋情。」。

このふたつがアンビバレンツ(二律背反)になって♂を苦しませる。

これを浄化(解決)させるのは、「死のみ」。

舎弟・高倉健は「無理な出入りをして、死ぬ」。そして、兄貴・鶴田浩二は「無数の敵を前にして、エンドマーク」。傍らには「一緒に死にたい」と心情を吐露する情婦・佐久間良子が侍る。(英雄の死を暗示して、物語は終焉する)


spontaは、

主人公・ヒーロー(男): ♂

主人公・ヒロイン(女): ♀

と記述する。


佐藤忠男氏は、武士道と騎士道の違いを「お姫様への忠誠」の有無だという。

・武士道: 男の世界。

・騎士道: お姫様も加わる。

だが、それは「時代劇の世界のこと」である。時代劇はファンタジーであって、騎士道と武士道の違いをそこから図るのは、間違っている。

「カタルシスの浄化(葛藤・矛盾の解放)」を解決することが、ドラマの本質とするとは、そのためのパラダイムが、日本と西欧では異なる。つまり、

・日本:  正義  vs.   主君への忠誠。

・西欧: 女性(姫君)への想い  vs.  主君への忠誠。

アンビバレンツ(矛盾・葛藤)を抱えなければ、カタルシス(浄化)は起きない。そのために、西欧のドラマツルギーは「姫君を必要とした」のである。


音楽におけるドミナントモーション(G7 → C )を想起すれば、

アンビバレンツ(葛藤・矛盾) → カタルシス(浄化)= 葛藤・矛盾の解決 → エンドマーク

である。

戦後の日本人は、「ルーシー・ショー」「奥様は魔女」を観て、アメリカの人たちの日常生活に憧れたが、あの世界は、WASPのアッパークラスの日常であって、黒人社会は勿論、エスニックな人たちの貧困生活を捨象している。

マーチン・スコセッシ監督「タクシードライバー」を観ていたら、日本人が「アメリカに憧れる」ことはない。つまり、「わんぱくフリッパー」「ギリガン君SOS」は、アメリカのプロバガンダ(洗脳のための作品)だった。

三銃士や、アーサー王騎士伝、ロビンフッドを観て、哲学する佐藤氏は、浅薄である。

私たち日本人は「忠臣蔵」を愛でてきた。そこには〈主君への忠誠〉と〈切腹〉という自己犠牲があった。それは真実である。

だが、西欧において、「十字軍の物語」において、(都合よく)略奪・殺戮は捨象されている。


我々日本人が「物語に求めるもの(真実)」と、西欧人が「物語に求めるもの(自分たちをだましたい)」は異なる。

spontaが確信する両者の違いは以下。

・武士道: お家のため。

・騎士道: 主君のため。

日本の江戸時代も時代劇の世界も、「自殺を決意する」なら、「正義を貫く」「主君に討つ」ことも許される。つまり、「主君を討った」としても、大衆の支持を受け続けられる。

一方、西洋では、「主従関係を解消」しなければ、「主君を討てない」。どんな事情があろうとも、「主君を討てば」、裏切り者・悪者である。

日本では、義理のために「女を捨てる」が、西洋では、女(姫君)のために「わが身を捨てる」と、佐藤氏は言いたいのだろう。

だが、

(少なくとも日本人にとって)

・「恋愛の当事者」としての自分

と、

・「誇りを貫き通す」自分

を秤にかければ、後者が重要なのは明らか。


「少なくとも日本人にとって」とことわったのは、数学者の岡潔氏が、日本人と西欧人の特性を以下に指摘しているから。

日本人: 真情(自分の思い・相手の思い・自然の思い)

西欧人: 感情(自分の思い)

岡氏の発言に従えば、西欧の騎士道ドラマが「恋情(自分の思い)」に従順なら、観客の共感を得られる。それだけのこと。


エディット・ピアフで有名な「愛の賛歌」のフランス語歌詞には、

・お前のためなら、盗みも犯罪も犯してやる

とある。

佐藤氏の推論と同じ現象だが、それを「私たち日本人が、愛でてよい」と思えない。

フランス人は、「人が見ていれば、犯罪をしてもオッケイ」。

だが、日本人は「いつもお天道様が見ている」感覚がある。だから、街角の自動販売機が荒らされない。


つまり、アリストテレスのミメーシス理論の第二項。

・作品は、現実の(散文性を取り除いた)ミメーシス(模倣・再現)でなければならぬ。

に反している。

ミメーシス論.jpg



・女のために、わが身を徒する主人公

を(フランス人はともかく、日本人は)観客はリスペクトできない。


では、OZ理論における評価。


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「ミックス」(新垣結衣主演の卓球映画)、解題。

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【あらすじ】

新垣結衣演じるヒロインは、亡き母に、「スパルタで卓球少女」としてシゴかれる幼少時代を過ごす。
母が早世すると、彼女は卓球をやめ、普通のOLになるが、人生に挫折。
人生挽回の手段として、再び卓球を始める。

「ハイパーOZ理論」による評価。

【総合評価】

+1

【5味】

事件: △ アクシデント性
怪物: × 驚異的か?
哲学: △ 行動原理の有無・有効性
感情: ○ 情緒・忖度
意志: ○ 主人公の物語推進力

【非ドラマ要素】

・卓球試合の勝敗
・瑛太の前歴・現在(ボクサー・アルバイター)


主演女優・新垣結衣の魅力と瑛太の親しみやすさで、最後まで飽きずに見続けてしまう。
「感度する」ほどでもないが、「悪くはない」。

家族で観れる「正月映画」そんな趣き。


とはいえ、これが有名女優・男優が主演していなかったらと考えると、ストーリーは(あまりに)凡庸。
見るべきものはない。

というか、映画鑑賞が「暇つぶし」の類(たぐい)と
するなら、過不足ない。

・凡庸

と決めつけてしまったが、これは、

・サザエさん
・ドラえもん
・水戸黄門

に類する凡庸さ。

マンネリズムだとしても、観客を不安にしない。

「珠玉の作品」ではないかもしれぬが、「プログラム・ピクチャー」としては申し分ない。


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2020年07月30日

「ハケンの品格」辛口。「私の家政婦ナギサさん」甘口。「それは経費で落ちません」中辛。

#ハケンの品格 #それは経費で落ちません #私の家政婦ナギサさん



OZ理論の総合点でいえば、

・「ハケンの品格」: +7 = 辛口

・「それは経費で落ちません」: +3  = 中辛

・「私の家政婦ナギサさん」:  +1  = 甘口





カレーの「辛口・中辛・甘口」にたとえてみたが、平日の夜。リラックスして観る・大人が観るなら、どれがいいかなぁ〜〜。

つまり、以下。


総合点:

+1 〜 +10  までは及第点。

+1 〜 +10 は、作品の〈ポジショニング〉つーことか。

-1 〜 -5 は、落第点。(出演者のファン以外、観る価値なし)


「カレーの辛さ」に例えてみたが、

「味覚が敏感なこども」は〈甘口〉が好き。でも、〈辛口〉が好きな子もいる。

辛い物が平気。〈極辛〉もへっちゃらな大人が「味オンチ・味盲」というのでもない。


〈辛さ〉と〈美味さ〉は、別物である。


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posted by sponta at 08:34| 東京 ☁| Comment(0) | ドラマ・映画・演技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「男はつらいよ」シリーズの評価。


spontaの〈OZ理論〉による評価は以下。(ハイパーOZ理論では長いので、OZ理論とした)


【作品名】

「男はつらいよ」シリーズ

【作品属性】

松竹映画のプログラム・ピクチャーで、日本の大衆娯楽作品の王道。

左翼的な思想で批判される山田洋次監督だが、このシリーズにその傾向はない。

【総合点】

+1(満点+10、最低点-5)

【ドラマ成分・5味】

・事件: △ 団子屋茶の間の日常が中心。(法律を侵す言動はない)

・怪物: ○ 寅次郎は、純情の化身。彼の愚考は「放浪記画家・山下清」に通じる「軽度の白痴」ともいえるが、「しがらみに巻き込まれている)現代人」にはひとつの理想である。

・哲学: × 社会通念・常識に従うだけ。オリジナルな哲学はない。

・感情: ◎ 家族の愛情・忖度。(下町情緒)

・意志: × 「良き人でありたい」という意志は凡庸。特記すべき〈意志・情熱〉ではない。

【非ドラマ成分】

・放浪先の旅情。

・マドンナが「寅次郎への淡き思い」と決別するエピソード。(失恋理由の説明・設定である)


追記:

        評価のもとになった「ハイパーOZ理論」は、以下で、詳しく解説している。

2020年07月17日 『 採録: 日本の「演劇・ドラマ・映画」の吟味法。(ハイパーOZ理論最終形) 』

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2020年07月29日

「刑事コロンボ」「007シリーズ」。OZ理論による解析。

ハイパーOZ理論が画期的なのは、

・ドラマ成分と、非ドラマ成分を分けた

ところ。


トリュフォーは「ヒッチコック/トリュフォー」という名著を遺したが、その内容は一般化できない。

何故なら、ヒッチコック映画を成立させているのは、

・サスペンス

サスペンスは、非ドラマ成分。

ヒッチコック映画は、サスペンス成分が映画として成立させる。つまり、ヒッチコック映画の進行感(観客を飽きさせない)は非ドラマなので一般化できない。


spontaは、小津安二郎の

・映画はアクシデントではない。ドラマだ。

から、ハイパーOZ理論を生み出した。
その本質は、

・ドラマ成分"のみ"切り出して、作品を吟味せよ。

である。
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2020年07月28日

「君よ憤怒(ふんど)の河を渉(わた)れ」(1976年松竹映画)の評価・批判。

古代ギリシア演劇の定義は以下。

・ハッピーエンドで終わる: 喜劇

・主人公の死など、悲しいエンディング: 悲劇

だが、一般的には、

・賢者・英雄の物語: 悲劇

・愚者のもの語り: 喜劇

である。

ディドロ(1713〜1787年)は、

・悲劇と喜劇が混じりあった演劇はグロテスク

と指摘し、

・一般的な市民が主役の演劇の不在

を説き、「真面目なジャンル」として市民劇をつくった。
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2020年07月27日

spontaは、大林宣彦が嫌いだ。(追悼記事)

2020年4月10日。映画監督の大林宣彦氏がなくなったという。享年82歳。

死者に鞭を打つ趣味はないので、付け加えるが、

spontaは、

・リューベンス・レンブラントが好き。ゴッホが嫌い。

・モーツアルトが嫌い。ベートーヴェンが好き。

その本意は、

・〈芸術家〉は嫌い。〈職人〉が好き。

※ ちなみに、ドイツ語の芸術は "KUNST"。技術と同意。職人と芸術家を分類するのは、日本人だけかもしれぬ。
※ ドイツのバウハウス。イギリスのウィリアム・ブレイクは、日本では芸術として評価されている。

ゴッホと同格なら、大林氏を賞賛していることになるのかも。

だが、大林演出の

・(バレバレの)特殊効果。2次元合成。スクリーン・プロセス

は、「8ミリの時代なら斬新」でも、今となっては「大林作品としてのサイン」でしかない。


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2020年07月26日

「才能+平常心+攻める」が、しぶこ・久保タケフサ・藤井ソウタ・大谷翔平の共通点。

誰も指摘しないので、「世界的に活躍する若い人たち」の「共通点」を指摘する。

それは、

「才能+平常心」。そして、攻める。

昭和のスポーツ根性。

アタックナンバー1、星飛雄馬、リアルでいえば、貴乃花光治的な「滅私努力」とは異なる。
そもそも、本田圭佑的な「大言壮語」をしない。


彼らは、好きだから「日常習慣的」に努力するのであって、その為に「何かを捨てたり・あきらめたり」しない。
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2020年07月25日

「純平、考え直せ」(2018年)解題。

主演・野村周平・柳ゆり奈

原作もので、歌舞伎町の半端者の若者が、ヒットマンとして「一旗あげる」までの数日を描いている。

ヒロインの女性は、SNSで匿名のコミュニティーに書き込みをつづけ、ウェブ友人たちのコメントが紹介されるのが、新機軸といえば新機軸。
とはいえ、若者が任侠道に入っていく。彼に惹かれる女の子という設定は、ありふれている。

さしたる工夫もなく、数日が描かれるのであって、イケメン俳優・野村君のファンや、柳嬢の乳首の色を確認したい好事家以外には、何のとりえもない作品といえるかもしれない。

私は、自殺までの数日を淡々と描いたフランス映画の「鬼火」(ルイ・マル監督)を思い出した。

「鬼火」も自殺までの日常が淡々と描かれるのであって、劇的な構造が希薄であって、自殺の動機もわからぬままエンドマーク(主人公の自殺の瞬間)を迎える。

今は、限られたエリートだけが映画を作れる時代ではない。「誰でも、スマホで動画が撮影できる時代」なら、「作意のない作品」に価値はない。

わかりやすく言うと、「勧善懲悪」がダサい(説教臭い)と感じられたから、「リアリズム」の作品が生まれた。さらに、「勧善懲悪」と乖離するために「露悪的な物語」が綴られる。


江戸時代の「勧善懲悪的な小説」から「(漱石な)内省的な小説」が生まれる。

内省の臭さ(自分は知性的と誇っている)に嫌気がさし、「(谷崎的な)露悪趣味」が生まれる。

しかし、わざと「小説になるような人生・生活・女性関係」を過ごしているのではないかとの疑念から、芥川は現実を離れ、「昔話の世界・中国の昔話の世界を舞台」に小説を構築しようとする。
太宰治は「走れメロス」で露悪から距離をとったが、「人間失格」で「小説たらんとする人生」を選択した。


だが、時代は令和。

小説・映画の進化論的な展開はすでに修了している。

ルイ・マルの時代や、谷崎・太宰の時代は良かったのかもしれぬが、今の時代は、芸術も娯楽も世の中に溢れている。
その中で、

・「何も描かれないこと」に価値を見いだすような作品は価値を持たない。

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2020年07月24日

WOWOWドラマ「誘拐」(2009年)を吟味する。



【あらすじ・ストーリー】  ※ ネタバレ含む。要注意。

現職の総理大臣の孫娘が誘拐された。

犯行予告が「伝言ゲーム」を装っていたり、身代金のやり取りはなく、総理大臣の2度の公式会見による「株の乱高下」により犯人グループはで身代金を奪取する。

誘拐犯と孫娘には過去のいきさつがあり、硬い絆があった。


犯罪ドラマだが、高校生・中年男、総理大臣、それぞれの人生観をかけた人間ドラマに仕上がっている。




spontaの〈OZ理論〉による評価は以下。

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【作品名】

ドラマW「誘拐」


【作品属性】

2009年 WOWOW, 出演: 三上博史、中越典子、石坂浩二、西島秀俊、三吉彩花。
原作「交渉人」(五十嵐貴久)


【総合点】

+8 (最高点 +10 〜 最低点 -5)



【ドラマ成分・5味】


・事件: 総理の孫の誘拐事件。


・怪物: △ 「生命も幸福もお金で買える」と強説する総理大臣。


・哲学:  「お金よりも、人の心」。


・感情: 孫娘たちの友情。


・意志: × 完全犯罪を遂行する執念。



【非ドラマ成分】

・「サスペンス・推理」成分が、「ドラマ化・ドラマと一体化」されたので、非ドラマ成分はない。




[総評]

最近、自殺された三浦春馬氏の元カノ・三吉彩花嬢が高校生役で出演している。

完全犯罪が遂行される中、次第に事件の全貌が見えてくるが、単なる「サスペンス・犯罪もの」ではなく、人間ドラマとして成立している。

WOWOWのオリジナルドラマだが、秀作といえる。

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追記:

評価基準「OZ理論」は、以下で、詳しく解説している。


2020年07月17日 『 採録: 日本の「演劇・ドラマ・映画」の吟味法。(ハイパーOZ理論最終形) 』





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「半沢直樹」。2ちゃんねるの感想から。

以下は、旧2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のコメント。
>>5

1 何故いつも銀行が悪なのか意味が全く分からない
2 反エリート主義を装いつつ演技エリートで固める
3 主人公の動機が不明(単に嫌がらせしてくる敵に対する報復の繰り返し)
 何なのこのドラマ?

>>32

結局誰一人>>5には答えられない
 このドラマは何を描きたいのか皆目わからないんだよね
描かれる銀行内部の描写や人間模様は荒唐無稽なものだし
かといって銀行の公的な役割、責務とはなにかというような話でもない
主人公は報復以外に動機を持たず、それ以外何がしたいのか全く分からない
 やっぱ「アタマ空っぽにして顔芸大会を楽しめ」ということですかね?

>>556

まともな会社のサラリーマンなら、居酒屋や赤ちょうちんでマジな仕事の話はしない
 どこでだれが聞いてるかわからないから、絶対飲み屋で仕事の話はするな、ときつく指示されてるはずなのに
 しかも昔と違って、いまは関係ない奴に聞かれてもSNSで「隣の席のおっちゃんたちがこんなヤバい話をしてた(はぁと」 と書かれるリスクもある。
東京中央銀行も東京セントラル証券もザルなんだな。

>>624

みんなやりすぎ
漫画みたい

>>644

シリアスドラマのように見せかけたコメディという新機軸ドラマだからです


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2020年07月23日

「ハケンの品格」(第6回)の表象分析。

番組のテーマ・対立構造は、

・AI  対  人間

という極めてスタイリッシュになってきた。

第6回の冒頭は、

・AIによって最初に切られるのは、ハケン。

と訳の分からないことを言っていたが、ラストシーンでは、

・AIによって最初に切られるのは、社員

とのスーパーハケンのセリフがあり、クルクルパーマこと大泉洋演じる中堅社員のリストラ人事が発せられ、元首相の御曹司演じる同期社員が頭を抱えるところでエンドマークとなった。
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「私の家政婦ナギサさん」(第3回)の「OZ評価」。

spontaの〈OZ理論〉による評価は以下。

【作品名】

私の家政婦ナギサさん(第3回)


【作品属性】

TBS月曜22時のドラマ。

主演:多部未華子


【総合点】

−1

※ ◎:2点、◎:1点、△:0点、×:−1点。
※ 5項目なので、最高点:+10点、最低点:-5点。


【ドラマ成分・5味】

・事件: △ MRの日常。

・怪物: × 「良い人ばかり」。

・哲学: △ 「仕事と家庭の両立」。凡庸な哲学テーマ。

・感情: ○ 親子の愛情。家政婦・なぎさの思いやり。

・意志: × 仕事熱心だが、結婚願望もあり、中途半端。


【非ドラマ成分】

・MRの日常。

・医者・ライバルMRの彼女に対する恋心(この回では、まだ伏線でしかない)

・母の「娘への思い」。忖度ばかりで対立・摩擦もないから、ドラマではない。

・妹の存在からドラマは生まれない。(家政婦なぎさ。ストーリーの回し役でしかない)


        評価のもとになった「ハイパーOZ理論」は、以下で、詳しく解説している。

2020年07月17日 『 採録: 日本の「演劇・ドラマ・映画」の吟味法。(ハイパーOZ理論最終形) 』

           http://sponta.seesaa.net/article/476364266.html

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2020年07月22日

「半沢直樹」批判。(コントである)

ルネ・ブレイの〈17世紀フランス古典演劇理論〉の第一項目は、

・「ありえない」がないこと。

である。

「半沢直樹」の第一回。

上戸綾演じる主人公の細君は、「結婚記念日にレストランを予約したこと」を何故か、家ではなく、仕事中の夫に告げ、「行けぬ」と言われる。
仕事一筋・熱中派の旦那を持って、かなり経つ彼女が、「結婚記念日だからといって、仕事のある平日の夜に、自分のために時間を割かせる」など、

ありえない。

つまりは、上戸綾を登場させるため「だけ」のシーンであり、夫婦関係の「説明シーン」。



「半沢直樹」の制作者たちは、

・視聴者を舐めている。

つか、前回最終回の高視聴率で、

・視聴者だけでなく、ドラマも舐め切っている。


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posted by sponta at 06:53| 東京 ☁| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

久保健英君、最強説。

レアル・マドリードからレンタル移籍先で半年。ようやくレギュラーで使われるようになり、頭角を表した久保選手。

ウェブには、いまだに「彼の実力を認めない」コメントがあるのが不思議。彼には圧倒的な才能がある。


先日も、「ごっつぁんパス」をしたのに、アシストとしてカウントされたとの批判があった。

だが、元日本代表の都並氏は、

・久保選手のパスは「メッセージに溢れている」

と絶賛。

・久保選手が、相手ディフェンダーを3人、自分に引きつけたから、スペースが出来、シュートが生まれた

と解説した。

久保選手のプレイは、バルサの下部組織・マシアで「徹底的に教え込まれた」ものである。
サッカー記者によると、

マシアの育成方針は以下。

・ボールゲームを徹底的に行う。

・・スペースを支配し、ゴールに迫るために、
・・・ボールを早く動かす。
・・・味方とのコンビネーション。

上記が、小中学生だった久保選手に教え込まれ、「バルサのオートマティズム」として彼のものになった。


一方、レアル・マドリッドの下部組織の育成方針は、

・どんな闘いにも対応できる

・・タクマシサ。
・・雄々しさ。

レアル・マドリッドのトップチームでも、同様なものが求められているはずで、久保選手は、対極なふたつのコンセプトに対応することを求められ、それを満足させつつある。
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2020年07月21日

「半沢直樹」は、韓ドラ「梨泰院クラス」「愛の不時着」に劣る。

#半沢直樹 #梨泰院クラス #愛の不時着

本年6月21日、客観的で妥当性のある「映画・ドラマの評価基準」を完成した。

小津安二郎の遺言に発想を得た「理想郷のシステム」なので、「OZ理論」と名付けた。

(当初、小津監督を越えるという意味で「ハイパーOZ理論」としたので、OZ理論と混在しているが、同じ物である)
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posted by sponta at 03:18| 東京 ☔| Comment(0) | OZ評価 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

CIAは、アメリカ軍の特殊工作部隊と同じになった。

アメリカ系ドキュメンタリーチャンネルで、CIAの歴史をやっていた。

冷戦下では、

・ソ連・共産主義国家への諜報活動

がもっぱらだったが、
ソ連の解体により冷戦構造が崩れると、CIAの相手は

・テロリストの諜報活動

に変わった。

さらに、2011年。9.11が起きると、大事件を未然に防げなかった反省から、

・テロリストへの武力行使

も視野に入れるようになった。
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2020年07月20日

世界中の研究者が、「新型コロナウィルス」の情報を「無料発信」を始めている。

マイクロソフトのビル・ゲイツは、

・ウィンドウズは、マイクロソフト社の「所有物」である

と宣言している。

だが、ウィンドウズOSの構成物の殆どは「過去のプログラマーたちの成果物」。

南半島のように過去のプログラマーたちが「存在訴訟裁判を起こす」なら、ウィンドウズOSは大騒動になるが、そんなことは起きていない。

過去のプログラマーたちは「情報技術が進化して欲しい」。だから、情報を公開してきたのである。


製薬会社の競争は厳しく、情報公開も限定的だったらしい。

だが、今回の未曾有の事態に際して、

・新型コロナウィルスの情報が、広く公開・拡散されている

らしい。

そのことに、新型コロナウィルスの「CGによる映像化」を試みている瀬尾氏は歓待している。

瀬尾氏も、CGによる可視化による「イメージの共有」により、

・病理の解明

・対処法の開発

・新薬の開発

・ワクチンの開発

などを目指しているに違いない。

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2020年07月19日

絵文字は "emoji" で世界語になっている。

オランダのドキュメンタリーで「絵文字」についてフォーカスしていた。
曰く、

・絵文字は「(世界中の人々をつなぐ)新言語」。

・絵文字が存在しないなら、世界から抹殺されているに等しい。

だが、ユニコード協会、マイクロソフト、アマゾンなどに、絵文字の作成権は独占されている。
それが問題だと、番組は指摘する。

・あなたはフェイスブックのお客ではなく、フェイスブックの商品なのだ。

の発言で知られるダグラス・ラシュコフ氏も、

・企業の利益のためにウェブ空間が設計されている

と指摘している。


中国政府をおそれた企業は、

・チベットの旗

の絵文字化を許さない。
保護者からの反発・企業イメージの失墜を恐れたため、

・生理の絵文字

・トランスジェンダーの旗の絵文字(LGBTの絵文字は存在する)

は存在しない。

番組では、「白ワインの絵文字がない」ので、ロビイ活動をするカリフォルニアワインの関係者を取材していた。

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2020年07月18日

「ケリョン仙人伝〜恋の運命はどっち!?」の評価

#ケリョン仙女伝 

2018年制作の韓流ドラマである。


惹句は以下。

ある日突然、最愛の夫が行方不明になり699年。愛する人の生まれ変わりを探し続ける仙女オクナムの前に現れたのは、2人の夫候補!
ぶっきらぼうで潔癖症なエリート准教授イヒョンと、動物や昆虫と会話ができる最強癒やし系年下男子グム。
正反対な2人の間でオクナムの心はドキドキ&ゆらゆら? 果たして、オクナムが待ち続けたダンナ様は一体どっち!?
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