2020年02月29日

マスコミは、「過剰報道」・「世相誘導をやめよ」。

無名の80歳代の国民が「肺炎で死亡する」情報は、

テレビニュースで速報するような価値・相対的重要度はない。

それは、

・「桜を見る会」が、「中国発の新型コロナウィルス感染」ほどの相対的重要度がない。

のと同じです。

ただし、

・小中高が2週間、登校自粛の報道

は重要。

それを批判的に扱うのは、

黒沢映画「七人の侍」のセリフ。

・首が取られようとしているのに、ヒゲを気にしてはならぬ。

に同じ。


今回の新型コロナウィルスの件は、

・未曾有の国難である。

もし、そうでないなぱ、

・未曾有の国難の「予行練習」である。

おろそかにしてはならぬし、「阻害勢力」「阻害要因」を今回のことで見極めるべし。



 (商店街に閑古鳥が鳴き、会社がつぶれ、共働きの夫婦が困ろうとも、国の存亡の危機なのだから・・・)

つか、「国家の存亡」を考えない。否、「国家に滅亡してほしい」と考える非国民・被洗脳者が、「過剰報道・世相誘導」をもくろんでいる。

東京五輪のスローガン「感動で団結しよう」はいけません。

組織委員会が胸を張って、大会スローガンを発表したのは、以下。


Unite by Emotion.

感動(感情)によって、一緒になろう(団結せよ)。


困ったものだと思う。

私たちは、

・第二次世界大戦を忘れてしまったのだろうか?


・若い世代が「戦争の悲惨さ」を忘れている。

との社会批判がもっぱらだが、より重要なのは、

・悲惨さ

ではなく、

・何が、(国際社会を)戦争に導いたか?

である。


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2020年02月28日

映画「跳んで埼玉」のすばらしさ。


TBSの演出家・鴨下信一氏は、

・最近のドラマにはアンタゴニスト(主人公を取り巻く対立関係)が足りない。

と最近のドラマが面白くない理由を解説したが、このドラマのアンタゴニストは明確・明瞭である。

テレビ東京の「思いでのメロディー」よりも、NHKの「紅白歌合戦」が盛り上がるのは、「紅勝て、白勝て」と応援合戦が盛り上がり、視聴者が
「どっちが勝か」勝敗の結果を楽しみにするから。

「跳んで埼玉」が興味を引くのは、東京都民と埼玉県民、千葉県民の対立が明確だから。

映画「帝一の国」も、エリート男子校の生徒会長選挙を軸に、親子2代を巡る〈明確な対立〉が、確かな劇構造である。

だが、「帝一の国」の場合は、「父の仇きを取りたい」という息子の情熱であって、観客はそれを「楽しむ」としても「同意・同化」はできない。

しかし、「埼玉県民」に関わらず「首都圏で暮らす人たち」は、さまざまな立場で「同意・同化」できる。
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2020年02月27日

映画「跳んで埼玉」は、埼玉disりではない。(私の埼玉愛)

映画「跳んで埼玉」は、「埼玉愛」に溢れた映画であった。


私は、埼玉国体の翌年の小学4年から、33歳で結婚する迄、埼玉県民だった。

「跳んで埼玉」の漫画家の次回作は「川越の書生さん」とのことだが、我が母校は、映画「ウォーターボーイズ」の男子シンクロで有名な県立川越高校。つまりは、文字通り「川越の書生さん」だったことになる。

「なぜか埼玉」が話題になった頃、ダ・サイタマと「馬鹿にされた」ことがあるが、その「一度だけ」。


筆者に興味のない人は、以下の引用枠内を、飛ばしてもらって構わない。

相手は(一般映画をとったこともある)監督で、私は助監督だった。
「助監督の立場」だから、私は文句も言わず撮影現場を過ごした。

彼の依頼で、彼の(個人的な)スポンサーのご令嬢の結婚式の撮影を頼まれたことがある。
「ご祝儀がもらえる」からいいか、と文句も言わずにやった。

だが、「フィルム代を請求する」前に、ご祝儀をいただいた。
その金額が「フィルム代よりも多かった」のでフィルム代が請求できなくなった。
(うっすらな記憶だが、フィルム代が6000円で、ご祝儀が1万円。そんな感じ。結果、ご祝儀は数千円・・・)

後日、「お礼」ということで、スポンサー夫婦に新宿の和食店で「会食を接待された」。
だが、「知り合いでない人」との会食は、気を使わなければならない。
結婚式のビデオ撮影を行った「知り合いのビデオカメラマン」と同席した。

だが、あとで撮影済みのテープを見ると、ビデオ撮影も問題があった。

・テレビ取材のカメラマンは、(編集することを前提に)「いいところ」しか撮影しない。

本来、

・ブライダルカメラマンは、2時間の披露宴なら、2時間撮影する。

彼(監督)は、

・街場のブライダルカメラマンよりも、テレビドラマやテレビ取材するビデオカメラマンの方が上等。

と思いこんでいた。


当時、私が勤めていた制作プロダクションに「ビデオ編集機」がなかったので、編集には「有料で編集室を借りなければならぬ」。そんな経費を出費してくれるはずもない状況で、(助監督ということで)「任された」私は不運である。

結婚式をあげたカップルにとって、「人生に一度だけの映像」を満足なものにしてあげられなかかったことを、私は「今でも後悔している」。


「ダ・サイタマと嘲る」魂とは、そんな「勘違いな人」に違いない。

・空気が読めない。

・(自己都合で)物事を深く理解していない。


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2020年02月26日

テレビマスコミは馬鹿。即刻、「検査を受けれない」バッシングをやめるべき。

「新型コロナウィルスのための検査」を何のためにやるか? 」を周知徹底しないから、おかしなことになる。

「新型コロナウィルス」の検査は、

・「患者の健康」のために、やっていない。

・「感染拡大の阻止」のために、やっている。


発熱したこどもの母親が、数日たっても、熱が引かないからと、「新型コロナウィルスに感染したのでは・・・」と、考えて、病院に検査を頼むが、「中国帰国者との接触」「濃厚接触者との接触の可能性」がないと断られた。そして、保健所に問い合わせても、同じ。

つーことを「社会悪」だとテレビ報道は告発する。

バーカ。と言ってやりたい。

つか、即刻、専門家に発言させるべき。

・・・マスコミはけっして馬鹿ではなく、日本の国体を瓦解させるためにやっているのだろう。


・「体温を測っても」風邪が治らないのと同様に、「新型コロナウィルスに感染した」としても、熱は下がらない。

・家庭で「隔離状態」にあれば、伝染しない。


YouTubeで世界発信した神戸大の自称専門家の先生は、「マスクなんてしても効果はありません」と馬鹿な発言をした。

・マスクは、自分が「病気にかかること」に関しては、効果がない。(マスクに病原菌が付着するから。不織布マスクに殺菌能力はないから)

しかし、

・マスクは、「咳の飛沫を飛ばさない」ことに効果がある。 → 「伝染させない」


欧米には「マスクをする」習慣はないが、日本には「マスクをする」習慣がある。

その理由は、「聖なるもの」と関わる時、「不浄な」自分の息をかけてはいけない。そのために「マスクをする」。
般若心経の写経のとき、マスクを付けるのは、そういうこと。


西洋の「自己中心的な文化」では、マスク着用の理由を「自分が病気にならないため」と考える。
神戸大学の伝染専門家YouTube氏も、これに倣っている。

しかし、日本人の「マスク着用の文化」は、「自分のため」ではなく、「他者のため」である。


「我思う、ゆえに我あり」などと、西洋の価値観に洗脳された人たちには分からない。
思いやり深い「日本民族の伝統」なのである。

日本映画衰退の原因。

5ちゃんねるに書き込んだ。


撮影所の伝統による、師匠から弟子への「伝承」がなくなったのが、日本映画衰退の原因です。

結果、「近代主観主義(作品は、作家のオリジナルな創作物でなければならぬ)」が業界に蔓延し、「過去の作品の伝統・集積」を踏まえない作品が作られるようになった。

分かりやすくいうと、フランスの美術は、「後期印象派」以降、わけのわからない作品が多出することになった。
ジョットからつながる技法がレンブラントやルーベンスなどの頂点を極めたのに、マネ・モネ・ルノアールぐらいまでは良かったが、ゴッホ以降、ぐちゃぐちゃになった。たしかに、一過性・意外性の作品としては「後期印象派」も悪くはない。だが、通史的な価値はない。

日本映画も同じ。

撮影所の伝統を踏まえない「映像作家」たちが、たまたま良い作品を作る。そんなことが起きているだけ。

*
より具体的にいうと、

アリストテレスのミメーシス理論。
ルネ・ブレイの17世紀フランス古典演劇理論。

の条件を満たした作品をつくれば良いのに、プロデューサーたちが「自分だけの価値観」を重要視して、普遍・観客を無視している。

さらに詳しく知りたければ、ここ。

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2020年02月25日

× 「野村の考え」 → ○ 「野村の評価基準」



× 「野村の考え」= 主観論

○ 「野村の評価基準」= 客観論・ポストモダン。


野村野球は、「データ野球」と勘違いしている人が多いが、そうではない。「形式批評野球」である。

※ 形式批評とは、「評価基準を明確にした」評価・吟味。オリンピックのフィギュアスケート、体操競技の審査で導入されている。だが、文化系のコンクール・コンテストでは、主観批評、印象批評がまかり通っている。




野村克也氏の追悼番組を観ている。地上波にBSを合わせると10本近いのかもしれぬ。

そこで見えてきたのは、彼の「人付き合い」である。

野球評論家の中畑清(元・巨人軍)氏は、引退して初めてキャンプの野村克也氏を訪ねると、開口一番、

「おっ、巨人軍応援団か」

と毒舌された。

だが、その時、

「帰りに寄れよ」

と言われ、監督室を訪れると、「野球談議を3〜4時間ほどしてくれた」。野球評論家になりたての中畑氏は、野村氏の逝去にさいして、恩義を口にした。

野村氏は毒舌家であったが、その裏には「相手への配慮」に満ち溢れていた。
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2020年02月24日

昨日の「麒麟がくる」(第6回)の批評

17世紀フランス古典演劇理論の第2項。

「外的整合性&内的整合性」が極めて重要なことを教えてくれる。



ウェブには、「歴史もの」
と「時代劇」は異なる。との当然の指摘がある。
大河ドラマでなく、「歴史ヒストリア」でやれ。というもの。



カナダの映画監督・クローネンバーグは、

・人間は、「思い出す」という行為を通じて「過去をねつ造している」

と、指摘している。



文化人類学的にいうと、

・人間は、「記録する必要がなければ、記録しない」

つまり、

・事実が、みんなに共有されていて、「それが、都合が良い」なら、記録しない。

結果、

・「事実をねじ曲げる」ために、歴史は書かれる。

「日本書記」「古事記」は、その典型。外征者である天皇家を正当化するために、「先住民の歴史」を神話に取り込んだ。



本能寺の変の歴史的記述は、「信長公記」。つまりは、秀吉に都合の良い記述・事実である。

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「跳んで埼玉」を形式批評する。

フジテレビでオンエアされたので、録画した。

まだ、観ていない。

が、17世紀フランス古典演劇理論で、吟味してみる。
つまり、「シナリオを書く」以前に、作品の価値が決定することを証明したい。


【(ルネ・ブレイの)17世紀フランス古典演劇理論】

1. 本当らしさ(ありえないがないこと)。

2-1. 外的整合性(観客にとって、作品の世界に違和感がない)。
2-2. 内的整合性(登場人物の思想と言動に違和感がない)。

3. 驚異的(観客を驚かせる)。

4. 三一致の法則。(場所・時間・筋の統一感)

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2020年02月23日

挟間美帆さんは「ジャズのターミネイター」である。

※ ターミネイターとは、「最終的に終わらせる人」の意味である。

挟間美帆嬢。


松田聖子の「ハートをロック」の歌詞で、作詞家・松本隆は、主人公をクラッシック音楽のコンサートに連れていかせ、

・「ビートがなければツマラナイ」

と嘆息させる。

クラッシックには「ビートがない」。

ロックには「ビートがある」。

ロックが耳に馴染んでいるヒロインには、「ビートがなければツマラナイ」。

松本作詞家の言葉を引用するまでもないが、「ロックの根幹」は「ビート」である。


では、ジャズでは・・・。

ジャズで一番重要なものは「スウィング」である。

スウィングを説明すると、音出しにおける「メトロノーム(タイム)からの微妙な乖離」。

スウィングとグルーヴは同義だが、コンピューターミュージックでは、グルーヴを生み出すために、「グルーヴ・クオンタイズ」というパラメーター(設定するための指標)がある。

「スウィングしなければ意味がないよ」というスタンダード・ナンバーをあげるまでもなく、「スウィング」はジャズ最大の魅力である。


だが、どうだろう。

直近のグラミー賞でノミネートされた日本人・挟間美帆嬢のジャズは「スウィング・グルーヴしない」。
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2020年02月22日

「麒麟がくる」第五回の批判。

原作・脚本の池端俊策先生のクラスの生徒だった私。

池端俊策はタツノコプロダクションで「みなしごハッチ」のシナリオを書いた。子供向けのアニメ・童話とはいえ、スズメバチに仲間・家族が皆殺しにされたり、壮絶・陰惨な話だった。

このテレビ番組をめぐって、兄弟喧嘩が発生し死亡事故が起きたことは、作品とは無関係とはいえないだろう。

この作品で先生の作品を批判しているが、過去の作品は賞賛している。

題名は忘れたが、主演の八千草薫は、荒川の橋を挟んでこちら側に住んでいる。彼女には出奔した夫がいて、橋の向こう側の愛人(五月みどり)のところで死ぬ。「夫が死んだこと」を知った八千草は「象みたいに、知らないこところで死ねばいいのに」と、死んでからの騒動を嫌悪したセリフを覚えている。

別のドラマだが、父親が自殺した兄弟の確執。父が無理心中を進めたとき、「抗った弟」「従った兄」。弟は「従った兄」を恨んでいたが、兄は「あの時、一緒に死ぬ」は言ってあげれば、父は「死ぬことを諦める」と思っていた。「こどもに反対された絶望」が父親の命を奪ったと、弟を責める。

過去形になってしまうのが残念だが、「池端先生は優秀なシナリオライター」だった。

その原因を憶測するなら、

NHKの大河ドラマのプロデューサー・編成の人たちの「かつて倉本聰氏を北海道に追放した」伝統が今も生きている。

倉本氏はノイローゼになり、北海道に出奔したが、心優しい池端先生は、「台本直し」を受け入れたのだろう。

先生は、鶴橋康夫氏・フランキー堺氏を「ホン(脚本)が読める」と学校で語っていたのを覚えている。

だが、「権力を持った」NHKの方々は、そうではなかったのだろう。


私はTBSのアニメ「まんがはじめて物語」で首藤剛志氏と付き合いがあった。

シリーズが終わって10年ほどたった時、記念番組の企画があり、久々にシリーズ構成の首藤氏がシナリオを書くことになった。

単発の企画ということで、駆け出しのテレビ局員の女の子が担当になった。

開明なTBSらしいやり方だと思うが、アニメ専門誌で連載小説を掲載していたのは宮崎駿氏と首藤氏のふたりだけ。第一回アニメ大賞を日本武道館で受賞したことをしらぬ若手テレビ局員は、首藤氏の経歴も知らずに「言いたい放題」。

出来上がったシナリオは最悪だった。

パワーポイントでは「1ページで提示する訴求内容は5項目まで」とかの鉄則があったが、シナリオも同じ。情報が多いと、シナリオは散漫になる。「シナリオが分かっていない」テレビ局員は、「情報を増やすこと」をシナリオに求め、作品は散漫になった。

それも、これも。あれも、それも、

・「シナリオの評価基準」が定義されていないから。

とはいえ、当該テレビ局員は、被害者である。シナリオ学校でも、映画の学校でも定義されていないのだから、仕方がない。

芸術作品に対する「神秘主義」で、「評価基準は定義してはならぬ」。

・鑑賞者の「独立した感性」こそが大切。

と、義務教育の時代から「洗脳されている」から、素直に感じたことを「言いたい放題」になる。

・エリート大学を卒業して、(運・縁があって)一流企業(放送局)に就職できた人たちは、「シナリオ」はもちろん、「映画」も勉強していない。

つか、我が娘が在京キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS)のインターンに合格しながら、就職できなかったのは、「コネ入社」が横行していることとともに、現場が「すでに知っている人たちを嫌う」からである。


結果、

・池端先生や、首藤剛志氏のような「大家・大御所」であっても、「素人のテレビ局員」に台本直しを食らう。


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(形式批評をしていた)野村克也氏、逝く。

名将・名伯楽の野球人・野村克也氏が逝去された。

西武球場がオープンした春、キリンレモン・キリンオレンジの売り子のアルバイトをしていた(埼玉県人の)私は、晩年の現役生活をおくっていた野村克也氏をスタンドから眺めた記憶がある。

西武ライオンズの初年度。

私が知っている選手は、田淵幸一氏。試合前、観客席から話しかけられ、答えていた相手チーム・阪急の山田久志氏。

そして、かつての三冠王・野村克也氏である。
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2020年02月21日

「まっさらな人」だから選んだ。本田圭佑氏の純情。

昨年のクリスマスにTwitterで知り合って2週間の人(奥山大・慶應義塾ソッカー部マネージャー・22歳)を、自らの「市民サッカーチーム」の運営代表にした本田圭佑氏。

ビッグマウスで有名な本田氏だが、その理由を、

・(就職経験もない・(養う家族がなく)報酬が必要でない・シガラミのない)まっさらな人だから。

という。


奥山君は「就活しない」で、これを仕事にするので、「メンバーの参加費(月1万円 or 月5万円)が彼のギャラに使われる。
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2020年02月20日

意味のないことを誇る人たち。(エリック宮代氏)

娘、エリック宮代氏と同じバスに乗り合わせる。

かつて二子玉川の駅で、エリック宮代(中高生トランぺッターのアイドル)を見かけたというから、

・歩いている時に、グルーヴしているか?

とメールしたら、

・していない。

と返事が来たのを覚えている。

渡辺貞夫が連れてきたアフリカ系のパーカッショニストが、演奏時ばかりでなく、日常でも「グルーヴしている」ことに起因する確認だった。
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2020年02月19日

加藤健一氏の演技論「200%で演じろ」。

加藤健一氏は、近代主観主義を否定している。

「役になりきる」系演技は、間違っていると、ラジオ番組で応えていた。

インタビュアーはNHKのアナウンサーであり、「役になりきる」ことを是として、質問していたを、加藤健一氏が否定したのである。

・役になりきるのではなく、200%で演じろ。

つまり、

・「役柄」の自分が100%。さらに、「演技者」の自分が100%。合計200%。つーことである。

つかこうへいの「熱海殺人事件」で、キンチャンを演じ、マイウェイで登場した彼。「蒲田殺人事件」ではギンチャンを演じた。この時、ヤスは柄本明氏である。

彼は、

・「役になりきる」だけだと、「相手役者を傷つけてしまう」から。

と付け加えた。
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2020年02月18日

関西人は何故、おでんにご飯が成立するのか?

すべからく、世の中の事象を「論理的に考える」べきだと思っている。


故・野村克也氏でいえば、

・根拠は何?


たとえば、

・東京では「肉まん」だが、関西では「豚まん」。

その理由は、関西で「肉」といえば「牛肉」だから。

魚肉ソーセージが成立するのも、東京だけ・・・。
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2020年02月17日

諏訪内晶子さんをチャイコフスキー・コンクール優勝に導いた江藤俊哉先生の評価基準。

ラジオを聴いていたら、国際ヴァイオリン・コンクールの第2位を二度経験していた彼女が、師匠・江藤俊哉氏にアドバイスを求めると、

・私なら、挑戦しないよ。

と言われたとか。

つまり、

・著名な国際コンクールで第2位なら、すでに「世界的な評価を得た」

のであって、それ以下の成績に終わることによるデメリットの方が大きい。

当時、高校生だった彼女は「コンクールに参加すること」は、「留学」の代理行為であり、「勝つこと」が目的ではなかった。といい、江藤師とコンクールの準備をすることになったという。

過去に二度、「2位になった」なら、その原因がある。と江藤師は考えた。

そして、「チャイコフスキー・コンクールのための練習」を開始する。

・チャイコフスキーは、サンクト・ペテルブルグの人であり、モスクワの人ではない。

つまりは、辺境の地・ロシアにあって、フランス語をしゃべる貴族的な人。女帝エカテリーナは、ディドロからの通信(ルーブル宮殿で行われた展覧会の批評=美術批評の先駆け)を読んでいたというから、そういうことなのだろう。

・チャイコフスキーのコンチェルトの「貴族的な楽曲解釈」がどういうものだったのか。

は、分からないが、コンクールの審査員の「満票」で優勝が決定したのだから、江藤氏の解釈は正解だったのだろう。
私が指摘したいのは、

・(チャイコフスキー・コンクールなどという)芸術作品の評価でも、「形式批評(評価記事を明確にした評価)」が行われている。

ということ。

もし、主観批評なら、「審査員の審査結果」が「みんな同じ」など「ありえない」。

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2020年02月16日

岸博幸(元通産官僚)さんへの公開メール。(日韓コンテンツ事情)

はじめまして。「元官僚の映画&ドラマ振興政策」(ダイアモンド・オンライン)を拝見しました。

【私の属性】
・ブロガー: sponta中村「令和は新古典主義の時代」
・世田谷区在住・60歳。
・今村昌平の映画学校卒業生。(大河ドラマ「麒麟がくる」の脚本家・池端俊策氏の生徒)


【本メールの主旨】
岸博幸さん(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)の

ダイアモンドオンラインの記事(2020.02.14.6:00)

・韓国がアカデミー賞をとって日本がとれない「根本的な差」

の感想を明らかにします。
感想の結論は以下。


(コンテンツの)評価に「妥当性・一貫性」がなければ(市場は混乱し)、日本のコンテンツは低迷したまま。

*

岸さんの「社会的な存在感」によって、「この国をあるべき形に導く」ことができるなら幸いです。




〜〜ということで、岸さんあてのポストを探してみる。(-_-;)




///////////////以下、メール本文////////////////////////////////////////////////////////



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2020年02月15日

【映画】<韓国がアカデミー賞をとって日本がとれない「根本的な差」> ★2



に、次のようにコメントした。

日本がアカデミー賞をとれないのは「パクリを嫌う」から。(企画を「一から考える」のが常道)
日本がノーベル賞をとれるのは「パクリを嫌う」から。(オリジナルな研究が評価される)

韓国がノーベル賞をとれないのは、「パクリが横行し、オリジナルな研究がすすまないから」。
韓国がアカデミー賞をとれるのは「パクリを気にしない」ので、「過去の作品をパクリながら」、最高の作品をつくる。

実際は、アカデミー賞の4部門受賞の理由は、「ロビイ活動」つまりは、札束攻勢をかけたことらしい・・・。
posted by sponta at 04:27| 東京 ☀| Comment(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「麒麟がくる」第4回を分析・批判する。

#池端俊策 #麒麟がくる

5ちゃんねるのコメントを見ているが、

・見るのをやめた。

・前作「いだてん」よりもつまらない。

・視聴率の下落率が、前作「いだてん」を上回っている。夏前に視聴率1ケタになるかも。

と、悪評サクサクである。

制作者たちは「(視聴者の)主観批評」=印象批評だから、「気にしない」・「参考にならない」と高をくくっているのかもしれぬ。

だが、「形式批評(評価基準を明確にした吟味)」でも、「麒麟がくる」は、欠格している。

※ ○ 「形式批評」とは、オリンピックのフィギュアースケートやスキージャンプ競技などで採用されている審査方式。技術点・芸術点など「細かい評価基準」を加算することで、総合点を決める。

一方の

※ × 「主観批評」とは「(個人の)印象批評」。「審査者の独断」により、評価が決定する。音楽系のコンクールや英語弁論大会の審査では、この方式が採用されている。

芸術系の吟味で「主観批評」が採用されるのは、「芸術は、作家のオリジナルな創造物でなければならない」という「進化論的な芸術観」によるものであり、歴史的な普遍性はない。

1990年代で「進化論・モダニズムの時代」は終焉している。それ以降は「ポストモダン(モダンの後の時代=客観&相対主義)である。

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