原作・脚本の池端俊策先生のクラスの生徒だった私。
池端俊策はタツノコプロダクションで「みなしごハッチ」のシナリオを書いた。子供向けのアニメ・童話とはいえ、スズメバチに仲間・家族が皆殺しにされたり、壮絶・陰惨な話だった。
このテレビ番組をめぐって、兄弟喧嘩が発生し死亡事故が起きたことは、作品とは無関係とはいえないだろう。
この作品で先生の作品を批判しているが、過去の作品は賞賛している。
題名は忘れたが、主演の八千草薫は、荒川の橋を挟んでこちら側に住んでいる。彼女には出奔した夫がいて、橋の向こう側の愛人(五月みどり)のところで死ぬ。「夫が死んだこと」を知った八千草は「象みたいに、知らないこところで死ねばいいのに」と、死んでからの騒動を嫌悪したセリフを覚えている。
別のドラマだが、父親が自殺した兄弟の確執。父が無理心中を進めたとき、「抗った弟」「従った兄」。弟は「従った兄」を恨んでいたが、兄は「あの時、一緒に死ぬ」は言ってあげれば、父は「死ぬことを諦める」と思っていた。「こどもに反対された絶望」が父親の命を奪ったと、弟を責める。
過去形になってしまうのが残念だが、「池端先生は優秀なシナリオライター」だった。
その原因を憶測するなら、
NHKの大河ドラマのプロデューサー・編成の人たちの「かつて倉本聰氏を北海道に追放した」伝統が今も生きている。
倉本氏はノイローゼになり、北海道に出奔したが、心優しい池端先生は、「台本直し」を受け入れたのだろう。
先生は、鶴橋康夫氏・フランキー堺氏を「ホン(脚本)が読める」と学校で語っていたのを覚えている。
だが、「権力を持った」NHKの方々は、そうではなかったのだろう。
※
私はTBSのアニメ「まんがはじめて物語」で首藤剛志氏と付き合いがあった。
シリーズが終わって10年ほどたった時、記念番組の企画があり、久々にシリーズ構成の首藤氏がシナリオを書くことになった。
単発の企画ということで、駆け出しのテレビ局員の女の子が担当になった。
開明なTBSらしいやり方だと思うが、アニメ専門誌で連載小説を掲載していたのは宮崎駿氏と首藤氏のふたりだけ。第一回アニメ大賞を日本武道館で受賞したことをしらぬ若手テレビ局員は、首藤氏の経歴も知らずに「言いたい放題」。
出来上がったシナリオは最悪だった。
パワーポイントでは「1ページで提示する訴求内容は5項目まで」とかの鉄則があったが、シナリオも同じ。情報が多いと、シナリオは散漫になる。「シナリオが分かっていない」テレビ局員は、「情報を増やすこと」をシナリオに求め、作品は散漫になった。
それも、これも。あれも、それも、
・「シナリオの評価基準」が定義されていないから。
とはいえ、当該テレビ局員は、被害者である。シナリオ学校でも、映画の学校でも定義されていないのだから、仕方がない。
芸術作品に対する「神秘主義」で、「評価基準は定義してはならぬ」。
・鑑賞者の「独立した感性」こそが大切。
と、義務教育の時代から「洗脳されている」から、素直に感じたことを「言いたい放題」になる。
・エリート大学を卒業して、(運・縁があって)一流企業(放送局)に就職できた人たちは、「シナリオ」はもちろん、「映画」も勉強していない。
つか、我が娘が在京キー局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS)のインターンに合格しながら、就職できなかったのは、「コネ入社」が横行していることとともに、現場が「すでに知っている人たちを嫌う」からである。
結果、
・池端先生や、首藤剛志氏のような「大家・大御所」であっても、「素人のテレビ局員」に台本直しを食らう。