2020年01月02日

写真家・奈良原一高につき。

奈良原氏には、二度会っている。

一度目は、彼の写真集(スペイン・偉大なる午後、1969年)に触発された先輩プロデューサーに連れられて南青山のご自宅を訪問した時。

二度目は、東京都写真美術館の開館用映像「写真都市Tokyo」の映像取材で・・・。

公共放送の番組では、一世代前の写真家・土門拳氏から「写真ではない(意味の不在)」と批判されたエピソードが紹介される。

・土門拳「筑豊のこどもたち」
・・・劣悪な状況で暮らすこどもたちが露出される。作品は「疎外された人間」が存在する現代を告発する。

・奈良原一高「人間の土地」
・・・作品は、廃鉱となった軍艦島の無人な風景を描出する。

スタジオの研究者は「分からないことが大事」と奈良原の作品は「詩的」などと「分かったようなこと」を言うので困る。

・戦中・戦後の芸術の流れを思えば、土門の芸術と奈良原の芸術の違いは構図化が容易である。
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posted by sponta at 00:00| 東京 🌁| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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