2019年11月03日

雅子皇后が選ばれた理由(を推理する)。

spontaは、「評価基準」を明確にすることで、昭和な「主観の時代」を払拭しようとしている。

「主観の時代」とは、「権力者の時代」。「弱きものが強きものを払拭する」などありえない。


萩本欽一氏のかつての番組では、

・めだかの兄妹が、鯉や鯨になろうとしても、所詮は、めだかにしかなれない。

と、諦観している。

だが、それでよいのか。

「評価基準が開かされない」なら、すべてのコンクールは、審査員の好き嫌いがものを言う「ビューティーコンテスト」と変わりない。

つか、ビューティーコンテストも「人気タレント(土屋太鳳)の姉」という「(秘された)評価基準」で優勝すると批判される。


人気俳優・水嶋ヒロ氏は「(某)文学賞」を受賞し、ヒット小説を生み出した。だが、次回作の不発などにより、「(某)文学賞」の審査の恣意性を証明してしまった。

一方、吉本芸人は「芥川賞」を受賞し、いまも文学者としての地位を崩していない。彼のサバイバルを許しているのは、「評価基準を明確にしない文学界」があるから。これにより、「出版社の強権」が保持されている。

−−−だが、「芥川賞」がツマラナい・理解できない、そして、それが業界関係者によって批判されないなら、「芥川賞」自体が地盤沈下を起こす。
つか、原因と結果は逆で、文学界・出版界が地盤沈下を起こしているから、吉本芸人の著作が「芥川賞」を受賞したに違いない。


「評価基準が明確になれば、妥当性のない主観は否定される」。

だが、それを「強権者たちは許さない」。

そういう構造がある。

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