2019年04月30日

題名のない音楽会、三ツ橋敬子、牛田智大、奥田弦。(敬称略)


この三人について、spontaは、たびたび言及してきたが、先日の「題名のない音楽会」で競演していた。



形式批評(評価基準を明確にした吟味)することが、「批判」なのかどうかは、分からない。

モダニズム的な主観評価ではなく、ポストモダンな客観評価なのであって、事実を明らかにしているのであり、私の主観は「メタな次元」に存在する。

というか、「メタな次元」のspontaは、この三人のファンである。
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2019年04月29日

TBSプレバトが凄い。


というのも、

テレビというジャンルの人たち を、一流の人たちに出会わせているから。

これにより、

「芸能人俳句王」的な人たちが、俳句界につながっていく、デビューしていく。

このあたり、夏井いつき嬢の凄さ・やさしさと思える。
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2019年04月28日

跳ね上げ式のハズキルーペ代替品を購入した。


購入理由は、跳ね上げ式のほうが、便利と結論したからである。

このプラスチック製の製品。
アマゾンで2390円だった。

このようなプラスチック製品が、正規品だと約一万円というのは、いささか不自然という感が禁じえない。
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2019年04月27日

ホーキング博士がやったこと。


博士がなくなって、1年ちょっと。

ほとんどの人は、ホーキング博士は、難病(筋委縮性硬化症)と闘いながらも、物理学者としての人生をまっとうしたと彼のことを思っているのであって、「第二のアインシュタイン」との評価があるとは思っていないだろう。

というのも、アインシュタインは、

・時空を関連付けて定義した。

のに対して、ホーキング博士は、

・ブラックホールの特異点の定理を発表した。

のであって、ブラックホールが、そして、ビッグバンが、「この世界のはじまり」を形容・表現するとしても、時間と空間の関係を定義するような「この世界そのもの」を扱ったのではないからであろう。
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2019年04月26日

東北も、熊本も永遠に復旧しない。

熊本では、いまだに1万6千5百人の仮住まい被災者が存在するという。災害発生からすでに3年が経っているいるのに・・・。


spontaは考える。

被災地の公共施設は税金(地方自治体が経済的に困窮しても、国が補完する)を投入して再建されるが、被災民の個人の建物に税金による支援はない。

被災地に民間の施設が建つとしても、それは、被災によって経済的に困窮した人たちの持ち物ではなく、他地域の民間人の投資によるものに違いない。

*

同じような構造に、バブル経済後の復活がある。

バブル崩壊後に復活したからといっても、復活後の主は、「バブル崩壊で資金を失った人たち」ではなく、「外資」。

災害後の被災地が復活・復興したとしても同様。
地域民の個人商店は自己資金での復活は無理だから、よそ者の傘下になることで復活せざるをえない。
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2019年04月25日

娘とspontaの現在の関係


川越高校在学中に在任していた萩原校長は、

・教える側と、教わる側は平等ではない

と、入学直後の朝礼で話されたのを、印象的に覚えている。

学生運動の余波が県立高校にも飛び火し、制服を着ることは義務ではなくなった。

校長は、生徒のための「個人用のロッカー」を導入する労をとった。
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2019年04月24日

形式批評とは何か。「現代文の科学的研究」(松本成二著)から・・・。(その2)


モールトン曰く、「批評には4通りしかない」。

1.印象批評。(美しい、素晴らしい、醜いと自由に述べること)

2.機能批評。(読解・解釈)

3.思索批評。(提示された作品に触発されて、自分の人生観・世界観を展開する)

4.裁断批評。(形式批評に近い)
※ 形式批評とは、評価基準を明確にして吟味すること。

松本先生は、出題者は、「思索批評」を求めていると断じている。

そして、何よりも、それこそが、批評の最高峰とする。
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2019年04月23日

形式批評とは何か。「現代文の科学的研究」(松本成二著)から・・・。(その1)


・すべての芸術的所産は科学と同様に真実なる、独自の真理を有する。(R.G.モールトン)

我が恩師・高校の吹奏楽部の顧問教師・現代国語担当の松本成二先生の著作「現代文の科学的研究」の第一章は、必ずお読みいただきたい序文と題され、その冒頭を飾るのが、ケンブリッジ出身で、シカゴ大学で文学理論を展開した文芸評論家の言葉である。

松本先生は「現代国語」の高校教師である。先生が直面したのは、「現代文」という主観の世界と、「大学入試問題・正解」という客観が求められる世界の桎梏(しっこく・檻の意味)である。

先生は筑波大学の前身・東京教育大学の出身であり、わが母校を勤め上げた後、東大合格者を輩出する上位校として知られる県立浦和高校に転出され、読売新聞の共通一次試験の解説を担当したことで知られている。
松本先生は、序文の中で、モールトンの「文学の近代的研究」の一読を薦めている。そして、彼の「すべての芸術は科学である」との言葉を紹介する。

そして、国語の授業がとりとめもない曖昧な学問と諦観しつつ、近代批評学、記号論、意味論、構文法などの最新の学問を引用しながら、「大学受験問題」に切り込んでいくと宣言する。

spontaに言わせれば、「とりとめもない曖昧」とは、「主観に起因するもの」であり、それを排除するなら「ポストモダン(客観論)の立場」となる。だが、先生は「モダン(主観論)な立場」に位置する。

*


先生は記す。

「<国語>の授業がともすると、語句の意味や文法などを教えたあとは、適当にとりとめない感想と雑談の時間であることが多いのですが、戦後、その分野の長足の進歩を、いち早く教科書に取り込んだ理数科と同じく<国語>の授業にも、周辺諸科学の最近のすばらしい成果を取り入れた徹底した科学的な方法があるはず」

*

spontaは思う。

まず、芸術とは何か。科学とは何か。を定義しなければ何も始まらない。
手垢まみれになっている語。

芸術。科学。
それらを明確に定義しなければ、その後の論理も曖昧なままである。

*
スポンタによる定義は以下。

芸術 : 現実の本質を表現するもの。

科学 : 宗教(中世のキリスト教)にとって代わった近代の思考方法。神秘や超越は排除される。
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2019年04月22日

TBS「わたし、定時で帰ります」の第一回を観た。


娘の評は、NTVのドラマみたい。

spontaもそう思う。

感想を一言でいえば、「糞」である。

視聴者が「主観批評」するだけでは、ドラマはおもしろくならない。
「形式批評(評価基準を明確にした評価)」によって、客観的な評価をくださなければ・・・。

詳しく知りたければ、spontaの記事。「映画・ドラマの評価基準」を。

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2019年04月21日

赤江珠緒嬢 真実の行方。


TBSラジオのパーソナリティー嬢が、週一共演の芸人氏と、花見でにぎわう公園での2ショットをFRYDAYされたという。

まっぴるまの人通りの多い公園で、「密会・不倫」もないだろうとと、思っていたら5チャンネルには以下のコメントが・・・。


やはり撮り直し写真と判明
 「たまむすび番組終了へ 
ホテルSEX写真はNHK TBS よしもとが全力隠蔽
バーター撮り直しの芝生写真掲載」 youtubeで検索
FRIDAYは本来幼稚園遠足写真など絶対に掲載しない。
すでに別日に六本木ホテルでの密会写真多数撮影。
この誰もいないガラガラ公園、ヤラセじゃないと絶対に撮影不可能。
フジテレビグッディが現場検証
 安藤優子、木村太郎、高橋克典、宮澤智他
 全出演者が「これは差し替え写真で絶対にヤリまくってる」と生放送で断言。
それにしてもコカイン瀧を異常な擁護 
これは間違いなく薬物常用していると思われる。



入社後のキャッチコピーが「マイクを握ってお口でお仕事。赤江珠緒です」だった彼女。


赤江嬢は、「事実無根ではなく、事実在根」と白状するが、もはや、事実は闇の中である。

FRIDAY氏の掲載予定に対して、芸能プロダクションが「撮り直し」で穏便にすませる手法は、過去に存在しており、今回が例外と断言できるはずもない。
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2019年04月20日

親に騙されたままのspontaの人生。


仕事で一緒になった人があり、車の移動時間に、お互いの自己紹介などをする。
そんな日々が数日続くと、打ち解けてきて、お互いの幼少期を明かしあう。

同僚氏は、幼い頃に両親が離婚し、母親と同居していたが、小学3年の時に、母親が恋人を連れてくる。
その男性により虐待を受ける。

孫の様子を心配した祖母は、彼を引き取り、以来、彼は母と離れて暮らすようになった。彼が小学5年の頃の話。


詳しくは書かぬが、シナリオライターが書きそうなありがちな波乱万丈な設定。だが、まぎれもない事実。

一方の私。

厄年の時に母からファックスが来て、「お前に行ったDVのことがフラッシュバックするから・・・」と、絶縁を申しわたされる。

親孝行な私は、以来、両親と会っていない。

そして、先日、父親がすでに亡くなっていたことを確信する。

あなたって、幼い頃から精神を鍛えられましたねぇ・・・。

一方の私って、うっかりもの。

・・・なんて話をした。
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2019年04月19日

芸術における「フランスと日本の誤解」。



ジル・ドゥルーズの「シネマ」。


この本は糞である。

なんで糞かというと、映画にもっとも近いのは、文学なのに、そのことに関する言及がないから。

結局のところ、哲学者・思想家として有名になった御仁が、「言いたいことを言える立場」になり、映画をネタに「自説でしかないもの」を披露した。

それだけのこと。
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2019年04月18日

昭和初期・戦後まもなくの歌謡曲の特徴はノンコード。


Am-Em-G7-C
というようなコード理論は、バークリーメソッドである。
バークリー音楽院が開学したのは1945年。
日本にバークリーメソッドが移入したのは、ジャズピアニストの秋吉敏子が学んで以降。渡辺貞夫氏がバークリーに留学したのが1962年。彼の自宅で、バークリーメソッドの勉強会が開かれ、そのあたりから、日本にコード理論が拡散していったに違いない。
そんなことを認識して、戦後のヒット曲のアレンジを聴いてみると面白い。
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2019年04月17日

要約・古代の宇宙人。ピラミッドはエネルギーの受信施設だった。


ヒストリーチャンネルの「古代の宇宙人」を継続してい観ている。

このシリーズのもとになったのは、エーリッヒ・フォン・デニケンの著作「未来の記憶 : 超自然への挑戦 エーリッヒ・フォン・デニケン著 松谷健二訳 早川書房 1969年 (ハヤカワ・ライブラリ)である。



原題は、「チャリオット・オブ・ゴッド?」。

つまりは、聖書関連図案に描かれている「神の戦車」に疑問符をつけたもの。

デニケンさんか問題提起したのは、「神々」が万能なら、空中浮揚・空間移動のために「戦車」など必要ないこと。

キリスト教系の学校に通っていた彼は、教師・牧師に自分の意見を述べると、エノク書(古代においては、聖書のひとつだったが、のちに異端として排除された文書)を読むことを進められる。

スイスのホテルの支配人になった彼は、「未来の記憶」を出版し、スイス・ドイツだけでなく、アメリカでも大ヒットし、研究活動・著述活動を経て、今日にいたる。
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2019年04月16日

あるべき「令和時代」。


平成はポストモダン(客観・相対主義)の時代であり、200年余続いたモダン(主観・進化論)の時代は、ベルリンの壁崩壊・ソ連の解体と同時期。つまりは、1980年代に終焉している。

というのが、この世界の実相である。

これは、フランス現代思想の結論であって、それが日本に移入・報道されないことが、日本のマスコミ・教育界の不実である。

---というのが、spontaの指摘である。
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2019年04月15日

「安らぎの刻。〜道〜」の第一印象は、サイテー。


テレビ朝日の昼帯ドラマ「安らぎの里」が好評だったので、第二弾。つか、続編が、今秋からオンエアされている。

ひとことで言えば、サイテー・最悪である。


結局のところ、自身の過去にボツになった作品の経緯をシナリオ化して披露して、自らの正当性を印象付ける。

そんな、卑劣な脚本家の感情・意図が、視聴者に素直に伝わってくる。


脚本家の大御所だった新藤兼人氏は、「シナリオは三部制」とシナリオの本質を説いている。

だが、早回し視聴が可能な現在、「第三部を見なければ、第一部に価値がない」などというシナリオは、「時代遅れ」。
小説でも、ドラマでも、映画でも、「最後まで、鑑賞しない」で、批判を言うべきではないという規範があったのかもしれぬ。
だが、「腐ったリンゴ」を最後まで食する義務・必要はない。


老優となった、加賀まりこ・浅丘ルリ子が、視聴者を生まぬ。さらに、「満蒙抑留生活での、悲惨な体験」は暗いから没。

視聴率を取れる若手女優を主役にした明るい話。この場合は、李香蘭の人生を扱った作品に、石坂浩二演じる主人公のシナリオライターは企画を奪われた。


何度も指摘してきたが、ドラマとは、「対立」であって、過去のできごとを「記述」するだけでは「説明」であって、ドラマにならない。

向田邦子のドラマは、「対立」の要素は薄かったが、心理的な「立場の違い」は明確に描写されていた。
だが、今回の倉本作品は、「立場の違い」はあるにしても、「自分を投影した主人公」が「正しい」とばかりに作劇されている。

円熟期に入った巨匠が、自らを肯定するために作品を紡ぐとは・・・。

それをして、恥じない巨匠。


前作の好評を得て、今回も視聴率が上がったりすると、巨匠本人は勿論、世の中も勘違いする。

困ったものである。




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2019年04月14日

音楽は、世界共通ではない。


spontaは、日本の民謡をオーケストラアレンジしたような楽曲が嫌いである。

長い間、その理由が分からなかったが、最近、ようやく分かった。

日本の伝統的な音楽には、和声が基盤として存在しない。

さらにいえば、拍の概念も薄い。つか、ほとんど存在しない。


たとえば、国家・君が代。

四分の四拍子になっているが、楽曲から、拍の概念は感じられない。

さらに、コードも感じられない。

・・・つ、感じ。

これに、コードを付けるのは、オカシイ。

つか、ウェブで探してみたが、コード感覚が希薄だから、メロディーの単音ごとに、コードが付く。



日本人には、伝統的な音楽感覚が存在し、それは独特なもの。

明治期以前の日本には、ハーモニーという感覚はなかった。

明治になって、西洋音楽を入ってきた時、日本の音階には4度と7度がなかったから、その音程がとれなかったとか。

音楽は、言語を超えるなんてことを言う人は、いい加減。つか、間違っている。
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2019年04月13日

藤原和博氏、クリティカルシンキングをメタな視点と読み替える。


リクルートから、杉並区の公立中学の校長に転身し話題になった藤原氏。


彼が、Eテレに出演して、クリティカルシンキングのことをメタな視点として、発言していた。

ふむ。
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2019年04月12日

ノーコメントが「男のやさしさ」のはず・・・。


どうでもいいことだが、

三船美佳嬢が再婚したという報に対して、泥沼離婚裁判を行った前夫・高橋ジョージ氏は、事務所を通じて「幸せをお祈りしています」とのコメントを発表した。
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2019年04月11日

近代日本の明治・大正・昭和・平成・令和を総括する。


ポストモダンのすすめとしてブログを続けている。

本質的に世の中を眺めていれば、モダンの時代は、1980年代で終了したことが理解できるはず。

だから、ポストモダンなのである。
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