2017年04月27日

私が、ブログを書く理由。

私のブログを1日数百人の人が見ている。ただし、読んでいるかどうかは分からない。
この数が少ないのか、多いのかは分からない。
長期間、更新しないでいると、続けてくれと、嬉しいコメントを頂戴するので、なんとか続けている。
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2017年04月24日

いくつかの至言。

「企画書なんて書かなくてよい」というのは、至言である。

そんなこんなで、いくつかの至言があるよね。なんて、話をした。
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2017年04月23日

企画書なんて書かなくていい。

君は、自分の意見を言ってくれれば…。



4月から従業員100人程度のベンチャー企業で働き始めた娘が、重役面談で、
「今年中に、企画書を書けるようになりたい」と言った言葉に対する返答である。

こんな言葉を吐く重役も凄いが、それ以上に、そんな言葉を投げかけられるポジションに就職できた娘の幸運に感謝する。

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2017年04月13日

親の言葉のすべては「刷り込み」になる。

ということで、注意が必要である。

つまりは、親が「あなたは、こういう人」なんて決めつけようものなら、こどもは、それがトラウマになって、そういう人になってしまう。

自動車教習で、新人ドライバーは、見ている方向に車が向かってしまう。そういうことが起きるのである。



戦時中に、東条英機が、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という戦陣訓を発して、玉砕を生んだと批判されているが、同様に、純潔教育などすべきではない。



私が子育てで心掛けたのは、「親は嘘をつく」とこどもに教えることで、「刷り込み」を抑止することだった。




娘が高校生になって、「ファルセット(裏声)はダメだ」と、私が娘に刷り込んだとのクレームを歌の先生と娘から受けた。

私は「逃げのファルセットがダメ」と言ったのであって、「攻めのファルセット」を否定していない。
スイスのヨーデルなど、ファルセットの文化もある。
だが、私がファルセットを否定したばかりに、娘はファルセットが苦手になってしまったよう。



親に刷り込まれたことを、払しょくするのは、なかなか難しい。

50歳をはるかに超えた私の年代になっても、
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2017年04月11日

〈量〉よりも、〈質〉。そして、客観的な〈質〉。


ディープラーニングに興味があって、数学が苦手という人は、「機械学習入門」という本を読むといい。

https://www.amazon.co.jp/%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E5%AD%A6%E7%BF%92%E5%85%A5%E9%96%80-%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%84%E3%83%9E%E3%83%B3%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E5%AD%A6%E7%BF%92%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B7%B1%E5%B1%A4%E5%AD%A6%E7%BF%92%E3%81%BE%E3%81%A7-%E5%A4%A7%E9%96%A2%E7%9C%9F%E4%B9%8B/dp/4274219984

この本はどんな本かといえば、以下

「私が世界で一番美しい」と思っているお妃さまがいる。
だが、真実の鏡は、「あなたが世界で一番美しい」ではないとして、「世界で一番美しい人の割り出し方」を、人工知能的に開発する。
その物語の中で、人工知能やディープラーニングに関する基礎的な考えや用語が解説される。
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2017年04月09日

娘の就職ライフ。

娘が就活で苦戦していた時に、自分で見つけてきた就職先に通って、一週間が経つ。

週なかばには名刺を渡されたが、娘も就職したか・・・。と、私は感慨にふける。就学前から、写真を取り込んだ娘の名刺をいろいろと作ってきたがお役御免である。
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2017年04月06日

厚顔無恥な倉本聰氏。「やすらぎの里」批判。

自らを投影したシナリオライターの主人公を石坂浩二氏が演じている。

びっくりするのは、今のテレビをダメにしたのは、テレビ局員たちであって、シナリオライターの自分はそうではないと、作中で表現しているからである。

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2017年04月05日

新入社員諸君

というサントリーのウイスキーの新聞広告があった。昔は、山口瞳氏だったが、今は、伊集院静氏だという。

記憶にあるのは、「今、君が会社について思っていること(改善提案?)は、今、口にするのではなく、20年たってから言え」というような内容だった。

今、ウェブで、伊集院氏の言葉たちを読んでいると、なんとも人生論めいていて、気恥ずかしい。

http://bookreader.blog.so-net.ne.jp/2015-04-01-1



さて、テレビ番組の情報系メディアのベンチャーに就職した娘が、昼休みに電話をかけてきた。

私は、山口瞳氏のような諦観な言葉を言うつもりもないし、伊集院氏のような人生論を言うのも、気恥ずかしい。

私は「希望するセクションに配属されるかどうか分からない」という娘に、次のように言った。



すでにあるセクションに配属されても、使いっぱしりになるだけ。そんなの楽しくない。あるべきは、自分で新しいセクションを作って主導権を握り、そこで我が儘に振る舞えるようにすること。

会社で、我が儘に振る舞うとは、「予算も、時間も、自分の思い通りに使うこと」だが、それを可能にするのは、「利益を生む仕事」していること。とすれば、マネタイズをメインに、新規事業を立ち上げるしかない。

さらにいうと、「やらされる仕事」を無くすには、「自分が好きな仕事」で自分のスケジュールを埋めてしまう他ない。それが利益を生むのなら、社内の誰も、文句はいえない。

それこそが、社畜にならないための、唯一の方策である。




娘の就職した会社は、社員に独立を薦めるような気風があるようであり、社員の社畜化を求めていないようである。

つか、娘がマスコミ大手に内定をもらえなかった理由は、社畜的な素養に欠けていたのだと思う。


牧場を見て、牧歌的などと長閑な気持ちになれるのは、不見識というもの。そこにあるのは、動物たちの安定した奴隷状態でしかない。
言うなれば、海に出る前の「泳げ、たい焼き君」である。
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2017年04月04日

もうひとつは、〈タイム感〉である。

ミーメーシスという言葉・概念があれば、簡単に説明できる。

同様に言うと、〈タイム感〉。

こちらは、〈タイム感〉を持っていない音楽家が殆どなので、〈タイム感〉が広まらない。

〈タイム感〉という言葉があれば、ダメなジャズミュージシャンを見分けるのが極めて簡単だ。

東京ジャズの出演者を見てみればよい。〈タイム感〉のある人しかステージリーダーとして呼ばれていない。
〈タイム感〉が暗黙知になっているから、一般の人には、分かりにくいかもしれないが、〈タイム感〉という感覚を知ってしまえば、〈タイム感〉のある人しか呼ばれない。それが東京ジャズである。



たしかエリック宮代氏は、呼ばれていなかったような気がする。
もし、彼がバンドリーダーとして呼ばれていたのなら、今回の私の説は間違っている。



昔、娘をジャズのワークショップに車で送っていく時、歩道に〈パイオツカイデー〉な女の子が歩いており、歩きが4ビートに対して、胸が8ビートで揺れていると指摘して、呆れられたことがある。

そして、二子玉川の駅のプラットフォームをエリック宮代氏が歩いているというので、娘に、「歩いている時に、グルーブしていたか?」と尋ねたら、「いいえ…」と答えられた。

何故、そんなことを娘に尋ねたかといえば、渡辺貞夫氏のバンドの〈ロイク〉なパーカッショニストたちは、歩きながら、グルーヴしていたという噂を知っていたからである。

※ ロイクとは、黒いのバンド言葉である。反対語は、ロイシ。



ま、そんな感じ。
昭和から平成になり、20年以上も経つというのに、芸術も学問も過去を脱ぎ去ることができない。
…と、呆れている。

その理由は明確である。
昭和の泰斗たちが、自己批判をせぬままに、他界していくから。


ウェブでエッチ動画がふんだんに観れる今、大島渚氏は何をやっていたのか…。と、馬鹿らしく思う。

そして、倉本聰氏。



彼は、時代を描くなどと言っているが、ドラマにとって、時代はノイズである。
芸術家は、時代ではなく、普遍を描くのを理想とするはずであるが…。






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2017年04月03日

ミーメーシス(模倣)について…。

すでに、書いていたかとも思うが、改めてまとめておく。

放送大学芸術学の青山昌文教授によると、芸術作品は、「何ものにもとらわれない芸術家の個性の表現」であり、その「オリジナリティー」こそが尊ばれるという〈近代主観主義〉の時代はすでに終わっている。

つまり、理想主義的な絵画教室の先生が、「自由に描きなさい」などと生徒に言ったり、シャガールの絵を素晴らしい。なんて言うのは馬鹿げている。ってこと。



ミーメーシス理論とは、「芸術作品とは、過去の作品のインパクトを強化した再現・模倣すること」である。

そのことを知っていれば、こどもの落書きと、ピカソの作品が似ていても、まったく問題はない。
つまりは、こどもは、過去の芸術作品を知らないのだから、ミーメーシスしていない。つまりは、芸術ではない。との結論に、容易に至るのである。




しかし、いまだに教育界の人たちは、「我思う、ゆえに我あり」という近代的自我を妄信しているから、たちが悪い。

ドイツ観念論、または、実存主義が、ニーチェによって「神が死んだ」と暴露されてしまった時、神の代わりに人間の思索・思惟を持ってきたことを理解しない。
つまりは、ロダンの「考える人」は、考える人の彫塑ではなく、「新しい神」の像なのである。
しかし、そうしたドイツ観念論、または、実存主義は、サルトルが死んだ頃に、「思索を突き詰めていっても、人間の存在を証明することはできぬ」ということが分かってしまった。それが、フランス現代思想である。


そのことを認めない人たちが、いまだにアカデミズムには多いため、ミーメーシスという語は、一般的に知られていないのである。
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2017年04月01日

純粋・倉本聰批判。

昭和のドラマツルギーが崩壊している。
倉本聰という名前はビッグネームだが、それは、「前略、おふくろ様」や「二丁目三番地」の頃の話であって、私は北海道に移ってからの彼をまったくもって評価しない。

娘の大学の研究は、「客観的で、妥当性のある評価」の実現だったが、その結論は、次のようになる。

1. 個人の主観は、〈主観的〉であり、集団の大多数にとって、〈妥当性〉があるとは限らない。

2. 「人間は神ではない」ので、〈集合知〉によって、「客観的で、妥当性のある評価」を実現しようとしても、SNSは広告代理店や組織団体による発信が大部分であり、〈妥当性〉は感じられない。
というか、大衆の大部分は、パッシブ(受動的)な個である。

3. そこで、アクティブ(主体的)な個。つまり、「人間(自分)の中の内なる神(内観)」によって、「客観的で、妥当性がある評価」を下そうと考えた。
しかし、それでは、〈主観的〉であるとの批判を免れない。そこで、評価基準に基づいた〈形式批評〉によって、「客観的で、妥当性のある評価」を実現しようと考えた。
つまり、〈評価結果〉は、個の主観によって生まれたものに過ぎぬとしても、〈評価基準〉には、「妥当性を期待できる」し、その重要度によって、〈客観性〉の度合いも吟味できる。


その先には、データーマイニングの手法として、〈細分化〉がある。
〈細分化〉によると、次のようになる。


例文:
有名シナリオライターの倉本聰氏の、一流テレビ局が制作する新作ドラマは、素晴らしい品質を備えている。

上記は、以下のような固有名詞、形容詞がリンクした形である。

有名シナリオライター=倉本聰=一流テレビ局=テレビ朝日=新作ドラマ=素晴らしい品質

このリンクを外すことが、〈細分化〉である。

有名シナリオライターだからといって、素晴らしい作品とは限らないし、
倉本聰氏の作品だからといって、素晴らしいとは限らない。
これは当然のことだ。

名プロデューサーの秋元康氏が、トップアイドルだと、前田敦子氏をたたえたとしても、トップアイドルの評価基準に照らし合わせて、「客観的で、妥当性のある吟味」をしなければならない。
美貌、歌唱力、ダンス力、演技力のどれをとっても、前田嬢をトップと評価できる要素は見当たらない。





データマイニングの〈断片化〉の手法は、歴史の分野でも、この手法が注目されている。

たとえば、信長公記という歴史的な信憑性が高い文献であっても、記述のすべてが事実に基づいているとは限らない。
つまり、中世の京都の深夜に、数千人の武士が行軍すれば、甲冑の擦れる音は、闇夜にとどろくに違いない。ならば、本能寺の信長が、寝込みを襲われることなどありえない。
歴史とは文献学だったが、文献をすべて信じてしまうのではなく、文献以外の研究も交えて、総合的に歴史を検証しようというムーブメントが起きているのだ。

いままでは、「細分化」という分析の手法だったが、構成要素と全体の関係をバラバラにして分析する〈断片化〉という手法が新しい。




倉本氏は、番組宣伝の出演で巻物を出し、年度別に何が起きたか、何か流行ったかなどの年表があり、それを登場人物の人生と重ね合わせて、ドラマに活かすという手法を行っていることを誇らしげに語っていた。

しかし、そのようなドラマではない要素が、観客の感動を呼ぶのだろうか。
倉本氏が脚本を書いた神楽坂を舞台にしたドラマでは、初回冒頭の10分以上が神楽坂を紹介するだけで、ドラマ的な要素が一切感じられなかった。

今回は、その「懐かし昭和版」ということだろうか…。



彼は、シナリオ作成にあたって「履歴書」を書くと、自らの手法を紹介していたが、それは、作家が創作をするための地盤としては必要不可欠かもしれないが、それを実作に使うなら、「設定」でしかなく「ドラマ」は発生しない。

「履歴書を書く」とは、黒澤明監督たちの手法として有名だが、それは、準備体操やキャッチボールのようなものであって、それをそのまま、脚本にしたら、「設定だけのドラマ」になってしまうのである。




今回の倉本聰氏の作品は、宮崎駿氏の「風立ちぬ」のようなものだろう。
「風立ちぬ」の後半で、昔、学生たちの間で歌うことが流行った曲で盛り上がる。だが、その時代を知らない世代にはまったく意味がない。ならば、作家の自己満足である。

ドラマは叙事詩的であってはならない。抒情詩的でなければ…。そのことをシナリオ界の重鎮が語らないのなら、日本のシナリオ界の低迷は今後もつづくに違いない。





posted by スポンタ at 12:49| 東京 ☔| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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