2016年12月26日

中園ミホさんは、間違っている。

「サワコの朝」を観ていたら、シナリオライターの中園ミホさんが、「最近は、恋愛ドラマはヒットしない。だから、逃げ恥のヒットは大歓迎である」と言う発言していた。

だが、逃げ恥が恋愛ドラマのヒット作だとしたら、今後、恋愛ドラマの制作は難しくなるに違いない。

逃げ恥は、ドラマではなく、バラエティーである。
なぜなら、視聴者は、感情移入ではなく、外部性をもって作品を鑑賞したに違いないから・・・。




主人公のおかしなカップルは、リスペクトできないから、感情移入できない。それでも、作品がヒットしたなら、この作品はドラマではなく、バラエティーなのだ。

バラエティーなら、感情移入は必要ないから、主人公たちの行動に違和感があっても、許容できる。

ドラマ=感情移入(内部性)
バラエティー=外部性的な鑑賞

ドラマ=筋の統一感
バラエティー=多様性


このパラダイムからいえば、「君の名は。」「シンゴジラ」がドラマではなく、バラエティーなことが理解できると思う。

ここで重要なことは、バラエティーなら、一度観れば満足する。二度観たいとは思わないこと。

バラエティー=ネタ消費・情報消費。
ドラマ=演技鑑賞

ドラマがあれば、再放送でも何度も観たい。ドラマ的な要素がなければ、結末を知ってしまうと、観たいとは思わない。

テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」の犯人探しでどんでん返しが連続するような作品は何度も観たいとは思わない。

一方、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」のように、バラのつぼみの正体が、幼児期に使っていた橇のマークだと知っていても、観客の多くは、何度も観たいと思う。



たとえば、ジャズ。
言うまでもなく、ジャズで一番重要なことは「スウィングしているかどうか」である。
なのに、スウィングしていないジャズミュージシャンがヒットしてしまうと、大衆のほとんどは本物のジャズを知らないことになる。
それが日本のジャズ界の惨状を生んでいる。

J○○Uさんは、グルーヴしていないし、ジャズヴォーカルに求められる声の倍音構成も薄い。
彼女が有名人ジャズヴォーカリストになってしまうと、世の中の人のほとんどは、ジャズと歌謡曲の違いがわからなくなる。

そして、知名度の低いけれど、グルーヴしていて、声の倍音構成も豊かな優秀なジャズヴォーカリストのことを、大衆は「だめなアーティスト」と誤解する。
結果、大衆は、ジャズはおもしろくないと思ってしまう。

「君の名は。」も同じこと。
いままでの作品の設定をつぎはぎにして、統一感・整合性の欠いた作品が大ヒットしてしまえば、鑑賞経験が少なく、自らの価値観を持っていない大衆は、「すばらしい作品である」と勘違いする。
その結果起きるのは、映画はつまらないものである。と思いは始めること。

私の分類では、この作品は、ドラマではなく、青春あるあるバラエティーである。したがって、ドラマの分類で、低評価を下すことは無為である。
バラエティーとしてみればよいのであって、映画本来の魅力は別のところにある。

小説でも同じこと。
火花は、芸人小説というジャンルの作品であって、それ以上でも、それ以下でもない。
実は、吉本芸人の又吉氏は、そのことが分かっていて、「僕の作品を読んでおもしろくないと思っても、すべての小説がおもしろくないって思わないでください。いろいろな作家の作品を読んでください」との発言を残している。

たしかに、又吉氏の小説は、面白くなかった・読むのが苦痛だったが、彼は悪い奴じゃない。愛すべき奴であり、物事が分かっている・・・。



「逃げ恥」は、ドラマではない。バラエティーである。

TBSドラマ「逃げるは恥だが、役に立つ」がヒットした。私は、第一回、第二回、第三回あたりまで観たが、辛くて観ることができなくなった。

リストラされた主人公が、見ず知らずの一人暮らしの男性の「住み込みの家政婦」になるだろうか・・・。未婚女性が男性と暮らすことは、まぎれもなく同棲であって、好きでもない相手と暮らす女性をリスペクトできない。
雇用主と家政婦が、食卓をともすることにも違和感がある。

そのような設定のヘンテコリンな女性と、ガッキーの魅力的な容姿はあまりに隔たりがある。

シナリオライター氏は、昔だったら、ガメツイ女と思われたが・・・。と、発言しているようだが、ガメツイという形容以前に、おかしな女性である。
それを補っているのは、ただひとつ。
ガッキーの魅力である。



しかし、「逃げ恥」がヒットした。
とすれば、「逃げ恥」はドラマではなく、バラエティーである。
さらにいえば、作品の中にパロディーがあるので、パロディー・バラエティーということになるだろう。

バラエティーなら、「感情移入」とは関係のない、というか阻害する「(家政婦として)生活ちょっと情報」が挿入されているも許される。

名作ドラマ「冬のソナタ」に、そのような「生活ちょっと情報」が入っていたらどうかと考えてみれば、「逃げ恥」がドラマでないことが理解できるだろう。生活ちょっと情報は、ドラマの進行を停滞させる以外の何ものでもない。

テレビ番組のパロディーシーンがあることも、「ドラマの虚構性を強調している」のであって、「虚構をリアルに感じさせる」というドラマの本質に逆らっている。
つまりは、バラエティー番組であって、ドラマではない。



結局のところ、「逃げ恥」は、主演のガッキーが数字を持っていた。それにつきるだろう。

台本には無理が多く、「家事のちょっと情報」や「パロディー・シーン」で、表面をつないでいる。

ドラマ枠でオンエアされているからといって、この作品はドラマではない。高視聴率の番組だから、再放送もされるに違いないが、これがドラマだと思ってしまうなら、日本のドラマ界の混迷は、より一層深くなるに違いない。



というか、もしこの作品が映画化されたなら、映画館でバラエティー番組を観るという実験が試みられるということになる。
posted by スポンタ at 11:21| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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