2016年12月12日

インディゴの恋人

昨日、地方ドラマ賞をとったという1時間単発ドラマを観た。

http://www.nhk.or.jp/okayama/indigo/story/

前半は、すべて説明セリフ。したがって、ラジオドラマであっても、一向に差し支えないドラマである。

さらにいえば、設定だけで、物語が盛り上がっていく。
人が死ねばかなしい。別れがあれば寂しい。結婚式があれば嬉しい。
そんなドラマである。

何故、賞を取ったのか。私には、理由が分からなかった。




私は、かつての東芝日曜劇場を思い出した。

地方の小都市で、男と女が出会うが、結局、何事もなく、エンドマーク。
男も、女も、自分の言いたい事を言うでもなく、決定的な対立がある訳でもなく…。

作品の盛り上がりは、女性主人公が捨ててきた娘が中学3年生になって、尋ねてくる。
そんなところ。

自分が捨てた娘に対して、ハグする女性主人公。それが、私には理解できない。
本来であれば、自分にはハグする資格などないと、固辞するはず…。



大原美術館の収蔵作品の目玉が、エルグレコの受胎告知だとしても、マニエリスムの作家であり…。エルグレコの表現主義と、女性主人公の芸術は、どうかかわっていくのか。そのあたりもよく分からない。
同様に、男性主人公がラジオのスイッチを切るのが、山下洋輔というのも理解に苦しむ。山下氏の音楽はコンテンポラリー的であり、所謂ジャズピアノではないのだし…。



映画学校にいた時、撮影所がなくなり、撮影所の伝統が消えてしまうと、映画出身の先生たちが嘆いていたのを覚えている。
あれから、30年以上が経っているが、日本にドラマの伝統が消えてしまったのを実感する。
だが、それは先生方が心配した技術の分野ではなく、プロデュースやシナリオの分野であった。


結局のところ、先生方が、プロデュースやシナリオの分野で、揺るぎない伝統を確立できなかったために、現在の日本ドラマの低迷がある。



若い人たちが、賞をとったことを良いことに、この作品を秀作だと勘違いして、真似しないことを願うばかりである。

そして、日曜日の9時からTBSでやっていたことを理由に、東芝日曜劇場を秀作だと勘違いさせられていた自分に、腹が立つ。

当時、ドラマが分かっているような人たちは、「東芝日曜劇場ねぇ…」と、口を濁すばかり。その本質を指摘しなかった。

たしかに、そのようなドラマはあっても悪くはない。だが、それがドラマの王道などと思われてしまったら…。

アンチドラマである。

posted by スポンタ at 18:49| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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