2016年02月29日

メトロノームで、エモーショナルな演奏が可能なんだ。

昨日、J:comテレビで、「音霊 OTODAMA SEA STUDIO 2015 Winter - 東京」に出演しているDEPAPEPEを観た。

驚いたのは、「本日はゲストをお呼びしています」と呼びかけると、トレンチに乗せられたメトロノームが登場したこと。

二人のギターデュオは、四拍のメトロノームのカウントに合わせて、極めてエモーショナルな演奏を実現した。

DEPAPEPE

2002年11月徳岡慶也と三浦拓也で結成された、2人組ギターインストゥルメンタルユニット。
アコースティックギター2本で、さわやかなメロディーとアコースティックギターの柔らかな音色で心象風景や喜怒哀楽といった感情、四季折々の情緒を表現する。
詩がないのに、唄っている様に聴こえるアコギの音色は耳なじみが良く、多種多様な所で楽曲が使用されています。
ライブ・コンサートでは、アコギ2本だけの演奏から、バンド編成までその場所に合わせて様々な感動を提供している。対照的な2人のキャラ、絶妙なトークも魅力の一つ。
2005年アルバム「Let's Go!!!」でメジャーデビュー。インストの音楽CDとしては異例の15万枚販売数を突破する。インストゥルメンタルのアーティストのデビュー作品としては、日本音楽史上初のオリコンベスト10内7位にランクインした。
第20回日本ゴールドディスク大賞にて、ニューアーティスト・オブザイヤーとインストゥルメンタル・アルバムオブザイヤーの二冠に輝く。
翌年もインストゥルメンタル・アルバムオブザイヤー等、各賞を受賞。日本国内であらゆるライブ活動を展開し続けている。
そして国内だけにとどまらず、海外でも人気の高いDEPAPEPEは、韓国、タイ、インドネシア、台湾、シンガポール等でCDをリリースをすると共に、アジア圏でも毎年ライブを行なっている。
2012年のインドネシアでのJAZZ FESではDEPAPEPEだけで15,000人以上(2日間)もの観客を動員。翌2013年にはタイでワンマンライブも開催し3000人もの動員を記録している。
「インストミュージックをポピュラーに!」を掲げ、さらに世代、国境も越えて勢力的に活動中!!

http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/depapepe/bio/



「音霊 OTODAMA SEA STUDIO 2015 Winter - 東京」や、DEPAPEPEで検索しても、動画が見当たらないので残念だが、Wikipediaの経歴を見ると、かなりのもの。
TBSのかつての音楽番組「うたばん」にも出演経験があるとか…。

こんなに凄いアーティストを知らなかったのは、ウカツである。



本格的にレッスンしたことがある人は、どんな楽器でも、ヴォーカルでも、必ずメトロノームで練習したことがあるだろう。この経験がある人は、「メトロノームに合わせる」と無味乾燥な演奏になり、芸術的ではない。と、思っているに違いない。

しかし、それは間違いであって、メトロノームと合わせても、エモーショナルな演奏は可能。
否、メトロノームと合わせてこそ、「極上にエモーショナル」な演奏が実現する。


つまり、「タイム感を無視したテンポルバートな演奏」は、本格音楽ではなく、いわば、「合成だし」でだしを追加した「ファストフード店のうどん」のようなものである。
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2016年02月26日

シナリオづくりで、履歴書を作る。

と、作品に深みが出ると、倉本聰氏がインタビュー番組で語っていたが、そうだろうか…。
この手法は、黒澤明監督も行っていた、極めて一般的なものである。

ただし、我が師・首藤剛志は、「設定は最低限にすべし」と語っており、それを思えば、履歴書は設定を増やすことでしかない。つか、師も、履歴書を引き出しに忍ばせていたが...。



心理学が進化し、普及した今なら、履歴書ではなく、行動原理を定義することが重要である。



「前略、おふくろ様」の頃は、倉本氏を尊敬していたが、「北の国から」あたりからは、「?」という感じ。

思うに、作家のステータスが上がり、「自分のやりたい放題」が可能になると、「観客の満足」ではなく、「自己の達成感」を主眼にした創作になるのだろう…。
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2016年02月25日

キムタク・広瀬すず…。

どんなに演技がよくても、スタッフを軽蔑していることや、仲間を裏切ったことを知ってしまったので、観る気にならない。



マイルス・デイビスは、「どんなに嫌な奴でも、自分に音楽的な刺激を与えてくれる奴なら、セッションする」と発言しているが、素人はなかなかそうはいかないのである。
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2016年02月24日

二連敗。

大学3年の娘の就職試験の対策を練っている。
エントリーシートを通過しての1次面接。

私は「大学で勉強したこと」が、面接で聞かれることであると予想して、対策を練ったが、実際の試験は、「入社後に取り組みたいこと」だった。
1次面接を終えた筆記試験。今度は、「入社後に取り組みたいこと」や「現在の業界に対する構造に対する分析」や「今後の業界の展開」だったが、実際の問題は、「常識問題」「時事問題」。

まさに二連敗。
とはいえ、同じ業界ならば、使えるから、無駄ではないだろう。



就職試験は、実力試験と同じであり、用意など、あまり役に立たないのかもしれぬ。

さてさて、どうなりますか。
posted by スポンタ at 18:13| 東京 ☁| Comment(0) | スポンタと娘…。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月21日

昨日、娘と倉本總のインタビュー(録画)を見た。

倉本氏は、「アメリカの演出家が来て、日本には俳優のスタジオがないと指摘した。プロボクサーは、毎日ジムに行くのに、俳優はいかない。私はライター だが、一週間、何も書かないでいると、一週間後、筆がなまっていて、なかなか上手くいかない。私はその状況を変えたいと思って、富良野塾をつくっ た」と。

で、私は「これ間違っているよ」。
だが、娘は答えられない。



私は、歌舞伎の歌右衛門の言葉を引用した。
「役者は、やればやるほど、落ちるんです」。
つまり、演技をすればするほど、新鮮さがなくなって落ちていく。


日本には、「白樺派」という芸術の伝統があって、つくりものを嫌う。

つまり、何度もやっても、同じパフォーマンスを求められる「落語」のような芸能と、映像演技のような「人工的なもの」を嫌う芸能がある。

結局のところ、彼は、左翼系出版人の息子であり、最晩年な今も、「(時代遅れの)反戦」な作品をつくっている。



結局のところ、彼は、ただの一人も有名俳優・有名脚本家をつくっていない。それが結論である。

娘の倉本氏の印象は、富良野のお金持ち。残念ながら、そういうこと。
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2016年02月20日

アドラー。

承認要求。

つまり、親に甘やかされて育ったこどもは、「親に認めらたい欲求」が強いので…。ということ。

おねしょは、おねしょすることで、親の注目を独占するという目的のもとに繰り返される。



そのためには、「課題の分離」が必要で…。

つまり、親は「子の課題」を自分の課題であると勘違いしてはならないし、子も「親の欲求」を満たすために、人生を過ごしてはいけない。とのこと。



さて、私はどうか…。

と、反省してみるが、私は「無名なシナリオライター」なので、
イメージの中で、娘のキャラクターになって、そのキャラクターがハッピーになれるようなストーリーをイメージして、アドバイスしてきた。

したがって、私の中には「親としてのアイデンティティー」はない。

とはいえ、そのような所作をする動機こそが、「子の課題」を自らのものにしているということにならないではない…。



先日も、娘に、これまでの20余年の人生は、おもしろかっただろう…。と、話した。

だが、私はシナリオライターなので、主人公がハッピーでは物語はつまらない。ドラマチックということなのかも。

私は、結果、そういうアドバイスを、暗黙の意志で、娘の人生を導いてきたのかもしれない。
とはいえ、娘は娘で、平穏・安逸な人生なら、「(生まれる前の)天国にいる状況」と同じ。なんて、うそぶく…。



映画学校で学んだ大庭秀雄監督(松竹映画「君の名は」「雪国」が代表作)は、弟子の大島渚監督の結婚式で、「作品はヌーベルバーグ(新しい波・過激な映画)でもよいが、家庭は大船調(小津安二郎監督作品に象徴される安逸な家庭映画のスタイル)で…」とスピーチしたというが、ま、そんな感じ。
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2016年02月19日

小沢征爾氏、グラミー賞。

小沢征爾氏が、オペラのCDでグラミー賞だという。
私が幼い頃、私の父親は、「小沢征爾は、浪花節だ」と悪口を言っていた。だが、私には意味が分からなかった。

父はその他、「森繁久弥やフランキー堺の演技が臭い」、「○○は、自己顕示欲の固まりだ」とか、テレビを見ながら、出演者の悪口を繰り返した。
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posted by スポンタ at 14:31| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

ドラマの良し悪し。反町隆史は戦犯か?

「相棒」の新シリーズが始まって、そろそろ評価が定まる時期だと思う。
そんなことを思っていたら、こんな記事がYahooニュースに出ていた。

以下、引用
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posted by スポンタ at 07:42| 東京 ☁| Comment(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

NHKの社会悪。

録画しておいた「岩井俊二のMOVIEラボ・シーズン2」を観た。

http://www4.nhk.or.jp/movielab/27/



どうなんだろうか?

この番組を観る人たちは、「映画・映像作品の作り方」を有名映像監督から、学びたいと思っているのではないか。
とすれば、スタジオに集っている「学生素人」の作品を講評するだけの番組に満足するのだろうか…。


この番組を観る人の殆どは、「(口に出すかどうか、そのために行動しているかはともかくも、心の中では)プロをめざしていて、そのためのスキル・ノウハウを知りたいと思っているに違いない。しかし、そういうニーズに、この番組は、まったくと言ってよいほど、答えない。

この回では、8本の素人映像作品が紹介され、岩井氏によって講評された。しかし、「何がダメか」を指摘しない講評では、素人視聴者は、何がなんだか分からない。

たとえば、この映像。アイデアも、シナリオもよく出来ている。

http://www.nhk.or.jp/program/movielab/movie05.html

しかし、演技がダメ。つまり、「借金の返済を求める人物」の凄みの演技と、「借金を返せない人物」の困り果てた演技が出来ていない。その状況で、「彼氏の味方をする彼女」の度胸と、その裏にある「たくらみ」の対比が演技演出でできていない。
最低なのは、「自撮り棒」で「借金取り」を殴り倒すショットが、「引きのワンショット」なので、分かりにくい・迫力がない。

そして、痛感するのは、「映像の文法の基本」が分かっていないこと。




「映像の文法の根本原理」は、ただ一つ。

 同サイズ・同ポジションは直結してはならない。

井上和男監督(通称・蛮さん、小津監督の弟子)が教えてくれました。先生は、例外として映画「座頭市」の主人公の居合い切りで、アンリアルに物がカットされるシーンを指摘しました。



井上和男監督作品(サムネイルは、井上監督。)

したがって、以下のようになる。

 編集点の接着力は、前後の画面の差異の大きさに従う。 


カットの差異は、被写体の種類(人物・物体・風景・見た目・主観移動など)の他、以下の3種類がある。

1.サイズ

2.ポジション

3.アングル


サイズとは、ロング・フル・バスト・アップなどのこと。

ポジションとは、正対・プロフィール(横顔)・シルエット(後ろ姿)。

アングルとは、俯瞰(上から)・アオリ(下から)。

その他、フィックス(固定)・移動・クレーンなどもある。

また、カットの長さにも、多様なバラエティーが期待できる。



したがって、編集技術においては、「変化に富む」ことが、プロの仕事としては、日常的な仕事。
そのためには、「被写体とカメラの関係」を常に意識する。
つまり、「寄る」のか「引く」のか。「あいまいな距離」は、ボクシング同様に勝利しない。

しかし、素人の映像作品の多くは、中途半端のヒキメのフルサイズ。中途半端な7:3のポジション。何も考えていないアイレベル(眼の高さ)のカメラが頻出する。



はっきり言ってしまえば、上記を知れば、NHKの番組を観る必要がないばかりか、映像の専門学校で学ぶ必要も無い。
否、業界に入りたいという意志を示すためにだけ、映像の学校に行けばよい。
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正史と稗史。

教科書も、マスコミも、正史しか扱わない。ということを、理解すべきである。

ニューヒストリシズムでは、歴史もひとつのテキストに過ぎず、絶対的な妥当性はもたない。であり、インターテクチュアリティーでは、すべてのテキストは、相対的に意味が決定する。
そんな学問が誕生したのは、稗史をオーソライズするためではないか…。



芸術学の青山先生は、「18世紀以降の近代主観主義は、通史的な妥当性を持たない」と、強調するが、「近代主観主義」・「モダニズム」は、正史(勝った人たちの学問体系)であろう。
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2016年02月08日

教えなければ、分からない…。

娘も、大学3年の冬を向かえ、シュウカツの時期を迎えた。

シュウカツ予備校に通わせるような経済的な余裕のない我が家では、父と娘で、対策を練っている。

そのスキーム(計画)は、


1. パーソナル分析。(コンピテンシー的な解析。つまりは、過去の出来事から、未来の特性を感じさせること。)

2. 業界分析。

3. 会社分析。(比較検討するから、一社では済まない。)
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2016年02月07日

松下村塾について

昭和の世代が、松下村塾を理想とするのは、仕方のないことだと思いますが、平成生まれの若い人たちが、吉田松陰を尊敬することを、私は、「古めかしい」と思います。

何故なら、「明治維新は、イギリスが日本に傀儡政権を樹立した」のであって、「明治の元勲たちは、イギリスに操られた人達だった」という歴史の見方があるからです。

つまり、日本が独立した国家であれば、明治初年に政府の首脳が全員で2年近くをかけてヨーロッパ旅行に行くことなどありえない。

日本海海戦の勝利にしても、官僚的な日本海軍が弾薬の大部分を使って練習をしたり、西欧製の軍艦を操って勝利することなどありえない。合理的に考えれば、英国海軍の観戦将校が、日本人を指導して、バルチック艦隊を撃破したこととなる。続きを読む
posted by スポンタ at 06:26| 東京 ☁| Comment(0) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

J-POPが日本の音楽界にしたこと。

亀田音楽専門学校。

亀田ベーシストのNHKの番組での言説を鵜呑みにする人が、全国に広がると思うので、指摘したい。



J-POPという概念の登場によって、何が起きたか? といえば、「西洋音楽」と「日本の擬似西洋音楽」が切り分けられた。ということである。

Popular Musicを略して、Popだが、そこには、POP。つまり、ハジケルという含意がある。そういうものを目指さなくてもいい。そういう意味がJ-POPにはある。




ローリング・ストーンズのミック・ジャガー氏は、「ロックは若さや勢いでできるんだけど、ロールはダメなんだよね」と発言している。

このロールとは、「グルーヴ」であり、そのためには、「堅調なタイム感」が必要である。
つまり、タイム感があり、それとアイソレーション(孤立して、独立して)音出しのタイミングずらす、グルーヴできることが、「ロール」の条件である。


亀田氏のベースプレイは、「音数を増やすこと」でテクニックを装うが、タイム感がなく、音出しに、タイムとのアイソレーションを感じさせない。だが、それは「日本風のポップスだら、それでいいんだよ」というのが、J-POPの真相である。

名ドラマー・スティーブ・ガッドは、太鼓一発でも、グルーヴを感じさせる。



音楽の醍醐味は、演奏者同士のコール&レスポンス(呼応・対話)である。
しかし、タイム感を持たない演奏者間では、コール&レスポンスは成立しない。


タイム感という感覚を持つと、タイム感のない演奏。たとえば、小澤征爾氏や佐渡裕氏が指揮する演奏を「聴くに耐えない演奏」と感じるようになる。その視点では、関西学生吹奏楽会の名指導者・丸ちゃん先生の素晴らしさが理解できる。

私は、高校時代。「何故、吹奏楽は二流の音楽なのか?」と疑問に思っていたが、その実相は、「吹奏楽者たちがやる、ポピュラー音楽は、アンサンブル的なため、コール&レスポンスを発生しないから」と、30年後に理解するようになる。

その感覚によって、初めて、「何故、グレングールドや、リヒテルが評価されるのか…」が理解できた。



テレビを観ていると、「グルーヴできない人達」が悲鳴のように、自己の理論を開陳しているような印象がある。

その一方で、「グルーヴできる人達」は、孤高を誇り、自らの能力を誇らない。


そんな状況を、一般の視聴者は、まったく知ることができないのが、悲しい2016年のテレビである。
(^▽^;)



日本のジャズ界も同様であり、現在のジャズ界の重鎮である瀬川昌久氏が、グルーヴを理解しないのが、もっともダメなこと。

先日、娘が、駅で、エリック宮代氏を見かけたが、歩いてる時、グルーヴしていなかったとか…。ま、そんな感じ。
(^▽^;)
posted by スポンタ at 08:15| 東京 ☁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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