2016年01月30日

ベッキー、SMAP、メディアビオトープ

水越伸氏の放送大学の講義を観ているが、メディアを生態系で論じるメディアビオトープという手法に興味を持った。というか、彼の問題意識。つか、学問のすすめ方は、きわめて真っ当である。

先日も、ひさしぶりにコメントがあり、「本気でアメリカの洗脳説を信じている人がいる事に驚きました」とあったので、ニューヒストリシズムや、インターテクチュアリティーという新しい学問について知るべきと返答した。

ロラン・バルトは、「あらゆるテキストは、永遠に今ここで書かれる」と作者の死を宣言したが、インターテクチュアリティーとは、あらゆるテキストは、対照されることによって意味が決定するのであり、対照されるテキストが変化すれば、意味は千変万化する。つまりは、永遠に今ここ(読解される瞬間)で書かれる。となる。


インターテクチュアリティーとは、歴史もテキストに過ぎず、絶対的な存在ではないということ。
つまり、アメリカの占領下をひきづった戦後の日本が編んだ「教科書歴史」を絶対視する根拠は、どこにもない。ということだ。
外国人に尋ねれば、「日本のジャーナリズム・報道は歪曲している」。にも関わらず、日本人が、「それをまったく問題視しないこと」に、日本人の知性に疑問を持つという。


そのことが、3.11の原発事故のメルトダウン報道で明らかになったし、古くは、「記者クラブの閉鎖性」という問題がある。



さて、水越論に戻るが、メディアビオトープ的に勘案すれば、「ベッキーの記者会見」と「スマスマのSMAPの事情説明」の情報発信は、稚拙過ぎる。

ベッキーは、すべてのCMを無くし、数億円ではきかない収入を失う。
そして、SMAPの件では、会見を陰で操っていたであろうメリー氏批判は、鎮まるのではなく、逆に高まり、木村氏への逆風はいままで以上に強くなっている。

一流広告代理店の系列会社には、「火消し」を業務とする広報会社がある。ベッキーも、SMAPも10億円ではきかないビッグビジネスに直結した記者会見・事情説明だったのだから、「もっと上手くできた…」はず。
とすれば、その稚拙さを容認した人達が、情報メディアに存在した。と見るのが、メディアビオトープ的に解釈ではないだろうか…。


*

素人でも、ベッキーは「(CMスポンサーのことしか考えず、さらに、自分の擁護の発言に終始した。)会見をするのが、早すぎた」だし、SMAPは、「木村氏を持ち上げれば、反発を食らうことなど、(メリー氏以外ならば)誰にでも想像できたはずなのに…」。



私は、大衆陽動・世相操作は、「幕末の、ええじゃないかのお札が降った」に始まっていると感じている。
浦賀に黒船がやってきたのも、つまりは、木造船を黒く塗った船で、鉄で作られた船が、日本人を驚かせたのも、大衆陽動・世相操作の一貫であって、そこには、「戦略をつくらせた人たち」と「戦略をつくった人たち」と「戦略」と「資金」があった。そう、イメージできる。



今回の二件の出来事は、どうなのか。

メディアビオトープ、インターテクスチャリティー、ニューヒストリシズムを援用して考察して欲しい。

まちがっても、オーラルヒストリーを援用してはならぬ。人間は嘘をつくものだから…。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月29日

亀田音楽専門学校に騙されてはいけない。

J-POPについて、いろいろと論じていたようだが、笑止である。

最終回では、あたかも、J-POPがグルーヴしているかのような盛り上がりをゲストとしていたが、あのようなものは、グルーヴではない。刻んでいくことによって、グルーヴのようなものが立ち上がっただけであって、本来は、4拍であっても、グルーヴできる。



J-POPの本質とは何か。
というと、非グルーヴ系の音楽であり、非ハーモニー系の音楽ということだ。

グルーヴというのは、アンサンブル系の音楽ではなく、ビート系の音楽である。
つまり、タイム感の共有をもとに、各プレーヤーが、いかに自由に演奏するかが、魅力となる。

ハーモニー系というのは、ハーモニーの共有を元に、各プレーヤーが、いかに自由に演奏するかが、魅力となる。
つまり、ハーモニーの共有を前提に、シャウトや、コール&レスポンスが行われるということ。

*

残念ながら、J-POPには、「合わせる(アンサンブル)」という感覚しかなく、「シンクロ(同期させる)」という感覚がない。

結果、メロディーは単調になり、コール&レスポンスはなくなる。
ロックでは、ヴォーカルのメロディーに対して、ギターのリフが印象的だが、J-POPでは、グルーヴがいないため、演劇における「割りゼリフ」と同じになり、結果、リフというロックの伝統は、J-POPにおいて消滅する。



番組最後の亀田氏のコメントを聴くと、音楽は、すべての人が同じ感覚で聴いているという誤解がある。
それは、レヴィ・ストロースの文化人類学的にいえば、まったくの間違いである。

半島のある国では、海外で批難されるようなことがあったら、日本人の振りをするという。そんな本来は恥ずべき行動がドラマでも描かれる。そんな民族意識が現在何をしていて、戦時中にどういう行動をしたか、想像してみるまでもないだろう。そんな民族と、日本民族が異なるように、音楽についても、各民族によって異なるのである。

タイム感とハーモニー感について、欧米の一流ミュージシャンと、J-POPが異なる、または、レベルが違うことに言及しなければ、安易なJ-POP礼賛、保守主義となってしまう。

なんて思うんですが、亀田さんの関係者の皆さん。反論してくれませんか?
posted by スポンタ at 07:09| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

青山昌文先生の芸術論。

放送大学の芸術論の講義の究極の要約。その内容に、私も、深く納得する。



芸術は、芸術家の自己表現が目的ではない。
芸術が目指すものは、この世界の「本質(存在)」の表現である。


さらに、芸術は「芸術そのもの」が目的ではなく、何らかの目的である。
それは、「政治的」であったり、「宗教的」であったり、「社会的」であったり、する。



さらに、青山先生が強調するのは、18世紀以降の芸術論は、「近代主観主義」であって、通史的な妥当性を持たない。ということ。

授業の後半は、フランス啓蒙時代の批評家・ディドロについて多くの時間を割き、最後は、ロシアの演劇学者スタニスラフスキーとディドロの理論が同じであると説いた。

この説は、ご丁寧にも、日本の代表的な演出家・蜷川幸雄氏のインタビューで援用もしている。

*

それは、「俳優が、役になりきる」のは、演技の理想ではなく、「俳優は、演技を冷静にコントロールする」のがベストであって、「演技している時も、客観的に演技を見つめる別の視点を持っていること」が求められる。



青山先生は、ドイツ観念主義の欠陥を指摘する。つまり、「我思う、故に我在り」だが、「我が居なくなっても、存在はなくならない」ということ。

単純化すれば、哲学は「認識と存在」の学問。「存在の理由」を追及するのが目的である。
つまりHow to live in this world.ではなく、What is this world.を解説したい。



青山先生は、「スタニスラフスキーの演劇理論」が、「日本では誤訳されている」と、不満を露にする。
スタニスラフスキーは、「演技する自分を忘れて演技すること(没入)」は演技の理想ではなく、「演技においても、演技する自分を失わないこと」が最上の演技であるとした。

結局のところ、「近代主観主義」の日本の翻訳者が、「没入の演技」が最上であると、誤訳したのであろう。
しかし、そんなプロレタリア芸術の時代も終了した。

*

アクターズ・スチューディオは、「近代主観主義」に侵されていて、同様。「役になりきる」などというのは、「コギト(近代主観主義)」主義による、妄想・空想である。

マリリン・モンローは、そのために精神を病み、自殺したのではないか。
「役になりきる」といっても、歩いたり・飯を食ったりに、「個性になりきる」必要はない。



フランス現代思想でいえば、進化論以降のアカデミズムは、「西洋文明礼賛の物語」に過ぎず、一般的(通史的)な妥当性を持たない。

そこには、「進化論(近代主観主義)vs.文化相対主義」という対立構造がある。

*

それらの底には、陰謀論。イルミナティーの存在があるのだが、青山先生には、そこまでを論じる自由はないようだ。
posted by スポンタ at 21:58| 東京 ☀| Comment(0) | 芸術論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

SMAPは、森君ロスではないか…。

中居氏と木村氏の対立につき、ブレーク直後にSMAPを脱退した森君のことが心理的に深く影響しているのではないか…。と、ふと思った。

今とは異なる20年前。
硬派の男子(中学生・高校生)が、レオタードを着用してのダンスレッスンは、違和感があったに違いない。
さらにいえば、「女の子」にキャーキャー言われることも、そういう立場に立つことを望んでいる自分に対しても、自己嫌悪があっただろう。

彼等の出自を深くは知らないが、「家庭の経済的苦境を挽回しよう」という意図が、彼等が背負ってしまった可能性が高いに違く、彼等が身動きを取れなくしていたのでは…。



そんな頃、グループで人気を一、二を争うを森君が、オートレーサーになると…。

視聴者が参加番組で、調子にのった視聴者に豪快に廻し蹴りを決める森君は、彼等の精神的支柱だったに違いない。

そして、彼は、「男の子」の憧れ、バイクの仕事で、お金を稼ぐ…。



やんちゃ系のSMAPメンバーが、森君の生き方に憧れ、自分に「劣等感コンプレックス」を持ったことは、予想できる。

つまり、どんなに「人気」が出て、「お金」が手に入ろうとも、「森君には勝てない自分」を払拭できない。
…のかも。




私には、今回の、木村氏、中居氏の異なる行動が、それぞれの「森君ロス」を克服するための行動ではなかったか。と、確信するのである。
posted by スポンタ at 18:52| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月17日

格安スキーツアーバス転落事故に思う。

かつて格安スキーツアーを経験したことがあり、今回の犠牲者と同年代の娘を持つ私としては、けっして対岸の火事・他人事ではないと、切実な思いでいる。

一昨年、娘をロンドン旅行に送り出した時、「安全はお金で買う」と、ワンランク上のホテルを薦めたが、バス旅行も同様ではないか…。と自戒する。

もうひとつ、考えるのは、どう考えても、「安すぎる」商品を購入することは、消費者として褒められた行為ではないこと。



なんて思いながら、1/3の値段の中国製のにんにくを前に、とまどう私である…。
posted by スポンタ at 14:53| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月15日

野坂昭如、大島渚、田原総一朗の昭和…。

BSの番組で、大島渚のドキュメンタリーをやっていた。盟友・野坂昭如も、昨年、鬼籍に旅立っている。

コメントしていた田原総一朗氏は、「反権力・反国家・反体制」を誇り、反戦と民主主義を主張し、二人の先輩の不在を惜しんだ。

しかし、平成の私たちは、戦後も遠くなり、戦争反対を叫ぶことが、必ずしも戦争抑止になるとは限らないことに、気づいていい。




わが父は、戦後、アメリカ製のヒューマニズム(生命第一主義)のドラマを私が観ていると、そんなものを観て…。と、ばかりに冷たい視線を送ってきたが、そういうことである。

山本夏彦は、「平和の時の平和論」と表現したが、パリのテロリズムへの批判が、中東への空爆の擁護世論を形成することに、一役買っていることは、間違いない。



戦争で死ぬ人が出る。
そのことに、いかに対応するか…。
そこにこそ、人間の知性が現れる。

反戦などという単純な論理で終われる程、世の中は単純にできてはいない。




朝まで生テレビの延長線上でいえば、西部邁も、ポストモダンな今、旧制高校的な知を誇り終了している。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月14日

ベッキーの不倫報道に思う…。

問題は、彼女が、人間が生きているのだから、当然、持っているであろう、「闇」・「毒」などと無縁のキャラクターづくりをしてきたことだと思う。

そういうリアリティーのない表面的なキャラクターづくりに、現実が悲鳴をあげたのであって、

男が不実であるとしても、問題は、彼女にある。

弱みを見せずに、がっぽり稼いで生きていくなんて、どこかズルイ。…なんて。



というか、友達がいなかったのか、友達をないがしろにしたのか、彼女の人生経験のなさが露呈したのではないか…。

さらにいえば、今こそ、リアルを取り戻すチャンスだったのに、彼女は逃してしまった。
posted by スポンタ at 17:54| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

4Dxでスターウォーズを観る。

4Dxとは、立体映像、椅子が動く、ハイブする、耳元で風が吹く、ミスト、前から風が吹く、ドライアイスの煙が上がる、足元でなにやら…。
な、感じである。

http://www.4dx.korona.co.jp/

安全ベルトをしないだけあって、スターツアーズなどよりも、迫力は弱い。
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posted by スポンタ at 13:45| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月04日

弁の立つ娘…。

先日、大学の発表会があり、卒業生が興味を持ち、起業している彼の会社に行き、3時間ほど、歓談してきたのだという。

先輩曰く、「大学生の時に、君ほど弁が立てば…」とうらやましがられたのだとか。




AO入試対策の面接対策で、「論理的に話すこと」を目標にやってきて、大学で、さまざまな自己表現をしてきた。ようやく、その4年近い経験が実を結んだに違いない。

高校3年の娘は、「はい・いいえ」など、断片的・印象的に答えることがほとんどで、断定→理由、推論→結論。などという論理的な展開はできなかった娘が、成長したものである。




しかし、論理的な思考・表現力はともかくも、その前に、円滑なコミュニケーションの前提として、オープンマインドが必要である。

娘は韓国アイドル系のイベントに母親と一緒に並びながら、異世代間交流で、トークの力を鍛えていた。

…ま、そんな感じ。

(・_・;)
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2016年01月03日

津田る人がいない。

娘がゼミのミーティングに参加して、「津田る人がいない」と発言したが、ほとんどの人が「津田る」の意味が分からないので、唖然としたという。

「津だる」とは、フジテレビの夕方のニュースワイドにも出演する津田大介氏がやっていたこと。つまり、イベントや会議に参加して、自分のパソコンから「テキストで実況報告すること」である。



イベントや会議を「映像中継」・「映像記録」することは珍しくないが、「テキスト化」して、公開情報とすることは、津田氏のオリジナルだと思う。

金髪の津田氏をイベントや会議でよく見かけたことが懐かしいが、私は、ウェブのエキスパートでもある彼が、「政治の重要性」を疑わないことに、「古めかしい」と感じている。



テキストで実況報告することは、きわめてウェブ的である。
しかし、2ちゃんねる的にいうと「3行で書け」と批判される。

つまり、「オリジナルなテキスト」は分量が多く、当事者・マニアにとっては有効だが、二次流通に適さない。
一般に対する発信としては、「要約・解説」の方が必要ということ。

換言すると、「マニア」向けには「オリジナルテキスト」。一般向けには「要約・解説テキスト」が必要ということ。
一般的に発信された「要約・解説テキスト」が専門家たちによって、「オリジナルなテキスト」との照合によって、妥当性が吟味される。それが理想である。
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2016年01月02日

就職試験につき、オープンマインド。

受験勉強が、「仲間がいる」と勇気づけられるなら、就職試験も同様である。私は、娘の小学校時代からの友達の就職に向けた「意志決定」についてアドバイスを試みたが、受験勉強と違って、半年やそこらで対策がとれるものではないと気づき、呆然とする。続きを読む
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☁| Comment(2) | ネットウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

パリのテロの教訓。

先日、テレビで、イスラム国に関連したパリの劇場テロの再現番組を観た。

番組で印象的だったのは、人質が劇場に出かけていることを知っている「人質の家族・知人」が、人質に電話することによって、人質の生命を窮地に陥らせていること。

犯人たちにホールドアップされている状況で、携帯が鳴れば目立ち、犯人に目を付けられる。そのことで、人質がまっさきに犠牲になる可能性は否定できない。



人質になることなど、人生でほとんどありえない。

しかし、「相手の重要な場面」を、自分がかけた携帯電話のコールで、チケを威力を散漫にさせてしまうことは、ありがちなこと…。

親として、自重したい。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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