2015年12月31日

「偏差値に最適化した人材」を創るべきか…。

最近、東大理3に息子を入れた主婦が話題になっていると記事にしたが、問題は、「偏差値に最適化した人材」をつくることが、親の目標として、「輝いていない…」ということ。
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2015年12月29日

職能の「モジュール化」していない日本を理解しないと…。

TBSラジオに、厚切りジェイソン氏が出演していて、日本人は、「会社のブランド」で就職先を決定すると、批判していた。

しかし、この問題の原因は、「職能のモジュール化が行われていない労働界の現状」であって、日本人の浅薄さが理由ではない。


職能のモジュール化とは、職能が自立的に機能すること。モジュールとは、たとえてみれば、レゴのパーツのようなもの。職能がパーツとして確立していれば、労働者は流動的に別の会社に転職することができる。

現在、職能が自立的に機能しているのは、医師・弁護士・看護婦など少数であり、一般的に、ある会社で総務をやっていたからといって、別の会社でそのキャリアが認められることはない。
否、医者や弁護士でも、人脈がなければ、就職は難しいだろう。
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2015年12月26日

1万人の第九を観る。

番組で、佐渡裕氏が、ウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者(音楽監督)に就任していることを知る。

2011年にベルリンフィルの客演をしてから、以来、呼ばれていない・再演がないのは、佐渡氏の「ベルリンフィルによる評価」であり、その原因を私は、「タイム感の無さ」だと直感している。

しかして…。

つまりは、「タイム感」を評価基準とする楽団は、ベルリンフィルなど世界的にみても極少数であり、ウィーンフィルは分からないが…。
ということ。

日本人サッカー選手が、ヨーロッパで呼ばれると、広告目当てではないかと噂さされるが、そういうこともあるのかもしれない。
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2015年12月25日

東大理Vママに、妥当性はあるか?

息子を全員東大理三に入れた母親に、フィフィが反論をしたのだとか。

曰く、大学受験は、偏差値至上主義だが、社会は、偏差値至上主義ではないから…。
とか。

http://news.livedoor.com/article/detail/10993790/
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2015年12月24日

「荒木飛呂彦の漫画術」に…。

前の記事では貶していたが、悪い本ではない。

「はじめに」の章でトリュフォー著「映画術(ヒッチコックインタビュー)」を誉めている。
私は映画学校の卒業生であり、トリュフォーのファンであり、ヒッチコックも尊敬していたので、新刊時に購入したが、今は手元にない。
学生時代から今でも手元にあるのは、ロベール・ブレッソンの「シネマトグラフ覚書」。つまり、アフォリズム的な充実を、同著は持っていなかったことになる。
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2015年12月23日

「姉さん、言いますね」。

娘が所属する研究会の後輩から言われた言葉だという。

娘が言ったのは「本が読めるだけの奴を、ゼミ長にしてもね…」。



娘が後輩言った本意は、「女王の教室」のアクツマヤのように、「この学生とこの学生を組ませたら、何かを生むに違いない」とか、「この学生とこの学生を組ませると、危険」とか、コミュニティーコミュニケーションをハンドリングできる能力がある学生が、トップをつとめるべきである。と。

私がアドバイスしたのは、「成績トップがゼミ長をつとめる」などというのは、愚の骨頂であり、まず、ゼミ長の定義を明確にしなければならない。ということ。

つまりは、「ファシリテーター(お膳立て役)」なのか、「教授の代役で指導する学生」なのか、そのあたりを明確にしないとダメだと思う。

もっとも、議長といいながら、実質的には君臨者というは、共産主義国家では珍しくない…。



「姉さん言いますね…」。
娘も弟分を持つような年頃になったか。
父親としては、感無量である。
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2015年12月22日

「モダニズムと非モダニズム」の混在の2015年。

先日も、野坂昭如氏が亡くなり、「反戦」の表現者が旅立ったことになる。しかし、「戦争の悲惨さ」を伝えることは、「戦争の重要さ」を伝えることのひとつであって…。運転免許の練習では、見ている方向に(無意識に)進行してしまうことを指摘するが、運転に限るまい。

最近では、レイシズムに関連する報道が多い。
とはいえ、大陸や半島の国家たちは、日本民族に対するレイシズムな発言をまったく恥じない。しかし、それを日本のマスコミが批判する論調が皆無なことを考えると、「レイシズムとは何か」、その本質を深く考える必要がありそうだ。

陰謀論・悪魔教的に考えると、戦死者は「生贄」であって…。などというトンデモ論もある。

最近、BSでは、ナチズム批判のテレビ番組が多いが、その背後に何が動いているのか。どちらにしても、「ナチズム関連の映像番組」は、プロバガンダ番組であることを、私たちは考慮しなければならないだろう。メディアリテラシーである。続きを読む
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2015年12月18日

黒澤明批判…。

娘に映画の古典を観ることを薦めている。

大衆娯楽としての映画は勿論、作家性の強い作品も同様におさえておかなければならない。

つまりは、洋画においては、
・ロベール・ブレッソン
・イングマール・ベルイマン
・フェデリコ・フェリーニ
・ブライアン・デ・パルマ
・デヴィッド・クローネンバーグ
…etc.

といったところか。
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2015年12月17日

澤選手か吉田選手か…。

国民栄誉賞の両女子選手。

子育てからいうと、対照的で面白い。

昨日、引退を発表した澤選手は、サッカーが好きでたまらなく、自分でキャリアを積んだ。
一方の吉田選手は、家がレスリング道場で、親から強制されてレスリングに進んだ。



吉田選手のような栄光があれば、親のムリジイと批判する人はいないだろうが、一般的にはどうだろうか…。



先に引退した柔道の野村選手のように、柔道一族に生まれ、まったく期待されなかった子が、高校生になって、やっと花を咲かせる。そんなこともある。

澤選手は、Jリーグの選手を生むようなレベルの高い少年サッカークラブに所属していたし、自由意志・ムリジイはともかく、環境が重要なことは明らかである。
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2015年12月14日

現代の価値観で、判断してはいけない。

ラジオを聴いていたら、近所の人が出かけるのを「どちらまで?」と尋ねて、「ちょっとそこまで」と答えるのを、「昔の人は、近所の人を詮索していた」と、批判的な口調で話題にしていた。

本当に、おバカだと思う。



手紙が高価だった時代や、電話がなかった時代、アポイントを取ってから、知人・隣人を訪ねることは事実上不可能だった。

したがって、人は、「突然、訪問する」。その時、留守だったりすると、隣の人や、近所の人に、「すぐ帰るのだろうか?」と尋ねるのは必然であり、お隣さんは、聞かれた時のために、「どちらまで?」と尋ねておくことが必要だったのである。

ただ、それだけ。

昔も、今も、「他者を詮索する」ようなことは憚れていたいたに違いない。だから、「ちょっとそこまで…」と、行き先をあいまいにして、「じきに戻る」ことを表現したのである。



その意味では、最近のLINEにおける「既読無視」なども、未来において、平成の風俗として、誤解されるようになるのかもしれない…。
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2015年12月13日

テレビはプロデューサが面白い。

私のファーストキャリーの会社の社長の葬式で配られたパンフには、次のようにあった。

舞台は俳優、映画は監督、テレビはプロデューサが面白い。


東宝で舞台俳優。
日活で監督。
独立プロダクションを経営し、テレビプロデューサを務めた人ならではの感想である。



実際にやってみれば分かることだが、「(職種によって)自分の裁量度・自由度」は案外少ないもの。例えば、セールスマンには、商品を企画する権利はない。できるのは、売ることだけ。

映画なら別だが、テレビのディレクターの「現場の自由度」は、案外少ない。有名俳優など出演していたら、演出は現場の進行役でしかない。

テレビにおいては、企画やキャスティングで、ほとんどが決まっていて、現場のディレクターは、「プラモデルを組み立てる」そんな作業に近いのかもしれない。


というか、それに気づかないなら、まだまだアマチュア。ということか…。


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2015年12月11日

「荒木飛呂彦氏の漫画術」を

図書館で予約しているが、まだ読めていない。

そこで、一緒に予約した「超偏愛! 映画の掟」が先に読めることになったが、なんとも納得しない。

著者が「面白さ」の源泉とするのは、1.謎、2.感情移入 3.設定描写 4.ファンタジー性、そして、5.泣けるか…。続きを読む
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2015年12月10日

メディア論と芸術論。

CATVのチューナーに、録画機能があるので、番組予約が簡単になったので、放送大学の講義を観ている。

私の興味は、芸術やテレビだから、芸術学、メディア学、心理学あたりをさまよっている。
(^▽^;)

先日、青山講師の美学の授業で、芸術の分類をやっており(ヘーゲルの芸術分類批判から始まった)、彼の芸術の分類を披露していたが、基本的なところを押えていないと感じる。
つまり、芸術を分類する場合、まず、一番最初にやらなければならないのは、「芸術と非芸術を切り分けること」である。
何故なら、巷間、気にされるのは、「学者が芸術をどう捉えるか」ではなく、「作品が芸術的であるか」だから。

映画が第七芸術であると、先の世紀で定義されることで、映画関係者が安堵したエピソードを青山氏が知らぬわけはないのに…。続きを読む
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2015年12月09日

ミーメーシス(模倣)と近代主観主義。

わかりやすい芸術論が少ないと思う。

放送大学の「美学・芸術論」の講義を見ているが、なかなか理解できないと思う。というか、生真面目に、アリストテレスの「詩学」などを読むと、混乱するばかりで、さらに分かりにくいと思う。

そこで簡単に以下に要約する。



啓蒙主義の時代以降の芸術は、「近代主観主義」に捉われているが、それが「普遍的な視点」ではない。

普遍的な視点とは、「芸術とはミーメーシス(模倣)」とするアリストテレスの考え方である。

アリストテレスは、「全能の神がつくったこの世界は、完全である」が、しかし、「現実は、偶然が左右・介入するので、完璧ではない」。それを補うのが、「現実を模倣(ミーメーシス)した芸術である」とた。




アリストテレスにおいて、芸術家の「主観」は存在してはならぬ。あるのは、「神」だけなのだから…。

一方、「近代主観主義」は、作家・個人の主観において創造されるものである。

ここが、大きな問題であり、近代商業主義において、製造者が主観的になれば、マーケットから遊離し、作品の価値は覚束ない。



さらにいうと、「進化論」において、「新しいもの」に価値が求められるのであって、「ミーメーシス(模倣)」という立場では、「新しいもの」に価値があるとは限らない。
その意味において、忠臣蔵や、ロミオとジュリエットが翻案されて、上演されることは、伝統の継承であって、「パクリ」と批判されることはない。

スタンダードを理解するためには、アリストテレスのミーメーシス(模倣)という概念を理解しなければならないのである。



私たちは、進化論やモダニズムの中で生きているが、クラッシック音楽では、19世紀の作曲家の作品を古臭いと批判しない。私たちは、自らの矛盾に気づかなければならないのである。
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2015年12月08日

イノベーションは薔薇色ではない。

若い人たちに、イノベーションを進める大人たちがいる。しかし…。



問題解決には、ふたつの種類がある。

1. 現状を根絶やしにするタイプ。

2. 新しい領域を創造するタイプ。


問題解決ができない理由は以下。

1. 当事者最適化・制作者最適化が行われている。

2. 問題が共有化されていない。


つまり、現場を根絶やしにし、当事者たちに最適化されている現状を、無闇に否定すると、とんでもない反発を食らう。
(^▽^;)



ならば、軽い気持ちで、「イノベーション」などと口走ると、とんでもないことになる。まずは、当事者の人達に「負けない立場」を得ることが先決だ。
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2015年12月04日

ノンポリの薦め。

流行語大賞で、「アベ政治を許さない」というのがエントリーされているそうな。

でもって、こんな人達がいる。

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ac/4b053b51cc828a0ccb639d5c00bb8330.jpg



私が驚くのは、「戦後の昭和に何が起きたか」。
このような「市民運動」が結果として、何を生んできたか。
それにつき、誰も、思慮的に分別していないことである。


このスローガンの酷いところは、反対するだけで対案をださないところである。
So what?
勿論、私が、自民党や、アベ政権を擁護しているのではない。私は、ノーコメント。
是々非々…。

こんな名簿に名を連ねたら、人生が終わってしまう。



多分、ここに名を連ねている人達は、ウェブを軽蔑し、テレビの情報を鵜呑みにし、週刊誌を読む。そんな人達だろうか…。

「サヨク」という意思表示をした人達の名簿として、じっくりと眺めてみるのも、おもしろいと思う。



花田編集長は、「当節、思慮深い人達は、ウヨクである」と放言した。
私はそれに納得もするが、八百万の日本の良識としては、「右も左も厭わず」というのがしかるべき…。と、考える。


そして、就職を目前にしている娘には、「政治的立場」を持つべきではないと助言する。
そもそも、賛成・反対などで解決するような単純な世界ではないのだから…。
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2015年12月03日

お天気お姉さんが泣くのはダメだと思う。

スタッフが中継画像を間違えたのだが、それが、お天気キャスターの彼女のせいになり、泣いたと、NHKは経緯を説明したとか。

民間放送なら、「間違いを笑いに変える」ことも出来たし、と残念がるキャスター氏もいる。

しかし、私は、根本的にこの女性はダメだと思う。

というのは、スタッフはキャストを守るために仕事をし、キャストもスタッフを守るために仕事をしているから。

「自分のこと」しか見えない彼女の行動原理に、一切の妥当性はない。



「番組の内情を明かすこと」で臨場感を見せることもあるのだし…。

大学をふたつも卒業して、演劇の舞台にも立ったという彼女は、何をしてきたのか。対人関係から学ぶ必要がある。というか、すべては、手遅れである。
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2015年12月01日

クサナギ君の3つの至言。

その第一は、「階段を降りながら、歌うことなんて無理」である。

二つ目は、「目先のスケジュールの準備に集中すること。先のスケジュールの準備は無理と諦めること」。SMAPのハードスケジュールなら当然のこと。

もう三つ目は、「たとえその時に嘘をついても、あとから実現すればよい」。
これは、「韓国語をマスターした」と発表したときに、実は、まだ本当にマスターしていなかったが、その後、努力して、「韓国語を話せるようになった」こと。



昨日、「人工知能系基礎理論の授業」の課題について解説したのだが、娘は理解しきれずに、締め切りを迎えることになり、無理やり課題を提出することになった。
その時、クサナギ君のように、「あとから理解できればいいんだよね」と言い訳をした。

「理解する」とは、相手の理解度によって、わかりやすい解説ができること。これは、ティムバーナーズリーによる、「(人工知能が)理解(をしていると定義できること)」の定義である。



10数回の授業で、「人工知能の基礎理論系」を理解できるはずもない。
そのことを教授はご存知であるから、まずは「その学問の世界に漬かること」を目標にすればいいと諭した。

さらに、チューリングマシンとは、チューリングテストとは、などと、簡潔に説明した。
チューリングマシンを端的に説明すると、入力値に対して、出力値がいつも同じなら、それは計算と同じ。だから、計算機によって、人工知能が開発できるという論理。

チューリングテストとは、コンピュータのアウトプットを見て、「(人間が、コンピュータに)知能がある」と感じるかどうかをテストすることである。

昔ならともかく、自動販売機が「いらっしゃいませ」と言ったから、自動販売機に「知能がある」と感じる人はいるはずもない。
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