2015年11月30日

タルコフスキーは観なくて良い。

世の中には、「難解」であることを売り物に、有名になっている作品が少なからず存在する。
ロシアの映画監督・タルコフスキーの作品もその一つだと思うが、先日、CSで「ノスタルジア」をやっていたので、久しぶりに観たが、「観る必要なし」と断ずる。

演出家のピーター・ブルックは、著作「何もない空間」で、「空の舞台を、俳優が歩くだけで、演劇は成立する」と説いている。
これは、形式主義的(フォルマリズム)な立場であり、ロマン主義の否定だが、「形式主義を成立するための工夫が必要なこと」に気づかなければならない。

その意味で、タルコフスキーの作品は、「(劇的)ドラマの不在」という意味では、オリジナリティーを発揮しているが、「映像そのもの」で果たして作品として成立しているのか…。といえば、私は納得しない。

つまりは、映像作家は、「ドラマの不在」をドラマチックに語る努力をしていない。

*

対照的にいうと、「コックと泥棒、その妻と愛人」の監督・ピーター・グリーナウェイは、「秩序だった無秩序」と言う形で、「無秩序」を表現している。
芸術とは、演出とは、そういうものであろう…。



ウェブの解説を読んでいたら、ロベール・ブレッソンが「授賞」を条件に、カンヌ映画祭に出品することを聞いて、タルコフスキーも同様な「申し出」をして、カンヌの運営者たちを悩ませたのだとか…。

ロベール・ブレッソン監督のスタイルはオリジナルであり、素人俳優を使うという技法を、黒澤明は「影武者」で模倣した。しかし、ブレッソンのような演出力はないから、作品は失敗に終わる。

ブレッソン監督の言葉、「演技とは巧妙な嘘である。ならば、私は下手な真実を選ぶ」は、演劇というメディアの本質を捉えている。



タルコフスキーは、ソ連のヒエラルキーで演出する権利を得たエリートでしかなく、その権限を神秘化するために「難解な作品を作った」に過ぎない。

好事家・マニアがタルコフスキーを愛でるのはいい。しかし、それだけのことと、私は断定する。

「自分が分からないこと」を過大評価してしまう。人間の悪い癖である。

タルコフスキーは見なくていい。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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