2015年11月27日

「笑い」とは何か。

先日、娘の友人の学外発表を見学したら、直後に、女芸人をやっている学生のプレゼンがあったので、見た。(と、書いただけで、分かる人には、彼女だと,実名特定ができるに違いない。ということで、本人が読むことを前提に書く)



プレゼンの後、大学教員が、「面白いとはどういうことですか?」と質問すると、彼女は、「お客さんが笑ったなら、それが面白いこと」と、不確かに応えた。

私は、本気でお笑いをやっている人。それも、アカデミーに属する人が、そのような答えをするとは…。と、わが耳を疑った。

国立大学を卒業したことで知られる桂枝雀氏は、「笑いとは、緊張の緩和である」と定義した。

高松嬢のような定義では、「笑われること」と「笑わせること」の違いが分からない。ひょっとして、「笑われること」も笑いの一つである。という思想なのかとも思ったが、お嬢様芸人というブランディングとは似つかわない。



私によれば、枝雀氏の「緊張と緩和」というだけでは、「シモネタ」・「うんこねた」で笑うことができない。

私がイギリス人に一番受けたのは、「日本語はすばらしい表現力を持っている。何故なら、硬いのをウンコといい、やわらかいのをウンチと使い分けるから」というジョークである。
米原万理氏によれば、ロシア人のウンコは、犬のようなポロポロで、トイレットペイパーが必要ないというから、糞に柔らかい・硬いがあるのは、日本人の固有の事情なのかもしれない。

*

私が「笑いの構造」を追加するなら、「予定調和ではないこと」・「予想外の展開」。そして、「みずみずしい演技力(卒意力)」である。

たとえば、ナイツの「田村でもカネ。谷でもカネ。母になってもカネ」というのは、金メダルをカネと「訓読み」したことによる意外性の発見であり、笑いを生む。



高松嬢が何をしようとしているのか分からない。政治漫談といえば、コロンビア・トップ氏を思い出すが、「体制を批判することで溜飲が下がる」ような単純な時代は終わってしまった気がする。

プレゼンでは、池上彰氏を分析していたが、池上氏の存在も、「何らかの勢力」によって企てられているに違いないのに…。

posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | リアルウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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