2017年01月19日

プロレタリア芸術を知らない人たちへ。



ベルリンの壁崩壊、ソ連の解体によって、いつの間にか無くなってしまったプロレタリア芸術。

共産主義を理想とする洗脳を通じて日本の国体を混乱・崩壊させようとした陰謀を、インテリたちが見破ることができず、芸術が洗脳ツールとして利用されたことは痛恨事であった。

学校の先生たちやマスコミ関係者などには、いまだに、その事実を認識できない人たちがいるものだから困ってしまう。


貧富の差を強調し、階級闘争を発生させ、内政を混乱させ、侵略する。それが、プロレタリア芸術の本懐である。

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2017年01月18日

嫌われる勇気。

アドラーの本であり、ドラマのタイトルでもある。
だが、アドラーの心理学を、承認要求とか、人間の悩みは、すべて人間関係によるものであるとか、と、考えていては、本質はつかめない。

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2017年01月15日

娘の卒論終了。

ビリー・ワイルダー監督「昼下がりの情事」。
オードリー・ヘップバーン演じる音大生の父親のセリフ。
「私が靴屋だったら、娘に靴を作ってあげる。インドの貴族だったら、宝石の沢山ついたドレスで着飾ってあげる…」
というのがある。
映画では、父親は恋愛専門の探偵なので、彼氏の素行を娘のために調べ上げた。

私は、靴を作る技量はないし、高価なドレスを買ってあげられる財力もない。

…ということで、この1年。娘の卒論に協力してきた。
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2017年01月08日

いきものがかり。放牧・・・。

いきものがかりが、活動休止を放牧と形容した。

水野氏は、本格的な音楽を所望しているのに、いきものがかりが求められている音楽が、あまりに大衆的であるため、活動が行き詰まるに違いないと思っていたから、今回の活動休止は当然のことだと思っている。



ステージでの水野氏のギタープレイを見ていれば、グルーヴを求める演奏をしていることが理解できるはず・・・。続きを読む
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2017年01月07日

フランス留学中の女子大生の遭難。

昨年の軽井沢のバス事故は、娘の一学年上の学生だったので、SNSの共通の知り合いが数人いたというが、今回は娘の一つ下の学生なので、共通の知り合いが10ほどいるのだという。

娘は今、卒業旅行の第一段。
昨年の事故があったので、バスの選択には細心の注意を払っていた。

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2017年01月03日

ネタを持っているかどうか・・・・。

娘はもうすぐ卒業するが、ベンチャー系の会社に就職する。
なんでも、採用者は技術職を除くと娘一人である。

同級生たちの多くは、大企業に内定し、啓発系の研修などを受けている。
娘は、そういうことが一切ないが、心配することは一切ないと、アドバイスしている。
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2017年01月02日

大晦日の中村紘子氏の追悼番組に思う。

紅白歌合戦を観ていたら、リハーサルをやりすぎて、段取りになり、白々とした雰囲気のお笑い芸人たちを観て、つらくなり、Eテレで、昨年亡くなった中村紘子氏の追悼番組を観た。

番組は、彼女を絶賛していたが、生前の演奏は、彼女のダメさのすべてを表現しつくすという残酷な構成だった。

小品なら目立たなかったものを、「英雄ポロネーズ」やチャイコフスキーのピアノ協奏曲などの大曲だと粗が目立つ。
彼女のタイム感のなさ。たたきつけるタッチの音の汚さ。そして、晩年の録画だからだろうか、ミスタッチの多さである。

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2016年12月31日

私の2016年。

今年は、娘が大学4年で、就職活動と卒論。
父親の私としては、最後のご奉公とばかりに、アドバイスとバックアップにつめた。



娘は娘の人生であり、父親の価値観を押しつけてはならぬと思ってはいたが、何を語るかについては、自分の知っている分野しかないから、結果として、娘には、私の価値観が植え付けられてしまったのかもしれない。

娘は、「家族は洗脳装置である」と達観しているし、私も、「クリティカルシンキング(批判的に考えよ)」と言い続けている。

まぁ、それでよい。というか、それしかない。



私は若い頃、いろいろな野望があったが、「撃つべき弾」がなかった。
娘には、「撃つべき弾」が用意できた。

というか、娘の経験とヒラメキを、私がまとめることで、世の中にインパクトを与えることができるような「弾」が生まれた。つまりは、父と娘の共同作業の結果である。



内容は、娘が世の中に出すことだから、ここには書かないが、日本には、当事者の都合によって、隠されていること、一般化されていないことが多々ある。

はてさて、どうなりますか・・・。
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2016年12月27日

さらに中園ミホさんは間違っている。

彼女は、誇らしげに、ある女優に、「あなたの代わりは他にもいるけど、私の代わりはどこにもいないの」と言われて、台本直しをさせられたことを語っている。
そして、大石静氏にしても、同様であると付け加えた。
しかし、これが三谷幸喜だったらどうだろう。

「俳優にはつながりがある」にしても、その俳優が死んでしまったら、つながりは無視して、制作が進められるに決まっている。

事実、おかくらの主人は替わりながらも、「渡鬼」は続いてきた。藤岡琢也、宇津井健、両氏のご冥福をお祈りする。



結局のところ、そのような現状に甘んじてきたシナリオライターたちのふるまいによって、作品におけるシナリオの重要性が低下したのである。


女優が、作品全体を見渡して、本直しをするのだろうか。もし、それが出来るのなら、彼女は女優はやめてプロデューサーになればよい。

中園氏のシナリオが屑なのなら、直しに応じるのも仕方のないこと…。私は、その作品を観ていないので、それは分からない。
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2016年12月26日

中園ミホさんは、間違っている。

「サワコの朝」を観ていたら、シナリオライターの中園ミホさんが、「最近は、恋愛ドラマはヒットしない。だから、逃げ恥のヒットは大歓迎である」と言う発言していた。

だが、逃げ恥が恋愛ドラマのヒット作だとしたら、今後、恋愛ドラマの制作は難しくなるに違いない。

逃げ恥は、ドラマではなく、バラエティーである。
なぜなら、視聴者は、感情移入ではなく、外部性をもって作品を鑑賞したに違いないから・・・。




主人公のおかしなカップルは、リスペクトできないから、感情移入できない。それでも、作品がヒットしたなら、この作品はドラマではなく、バラエティーなのだ。

バラエティーなら、感情移入は必要ないから、主人公たちの行動に違和感があっても、許容できる。

ドラマ=感情移入(内部性)
バラエティー=外部性的な鑑賞

ドラマ=筋の統一感
バラエティー=多様性


このパラダイムからいえば、「君の名は。」「シンゴジラ」がドラマではなく、バラエティーなことが理解できると思う。

ここで重要なことは、バラエティーなら、一度観れば満足する。二度観たいとは思わないこと。

バラエティー=ネタ消費・情報消費。
ドラマ=演技鑑賞

ドラマがあれば、再放送でも何度も観たい。ドラマ的な要素がなければ、結末を知ってしまうと、観たいとは思わない。

テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」の犯人探しでどんでん返しが連続するような作品は何度も観たいとは思わない。

一方、オーソン・ウェルズの「市民ケーン」のように、バラのつぼみの正体が、幼児期に使っていた橇のマークだと知っていても、観客の多くは、何度も観たいと思う。



たとえば、ジャズ。
言うまでもなく、ジャズで一番重要なことは「スウィングしているかどうか」である。
なのに、スウィングしていないジャズミュージシャンがヒットしてしまうと、大衆のほとんどは本物のジャズを知らないことになる。
それが日本のジャズ界の惨状を生んでいる。

J○○Uさんは、グルーヴしていないし、ジャズヴォーカルに求められる声の倍音構成も薄い。
彼女が有名人ジャズヴォーカリストになってしまうと、世の中の人のほとんどは、ジャズと歌謡曲の違いがわからなくなる。

そして、知名度の低いけれど、グルーヴしていて、声の倍音構成も豊かな優秀なジャズヴォーカリストのことを、大衆は「だめなアーティスト」と誤解する。
結果、大衆は、ジャズはおもしろくないと思ってしまう。

「君の名は。」も同じこと。
いままでの作品の設定をつぎはぎにして、統一感・整合性の欠いた作品が大ヒットしてしまえば、鑑賞経験が少なく、自らの価値観を持っていない大衆は、「すばらしい作品である」と勘違いする。
その結果起きるのは、映画はつまらないものである。と思いは始めること。

私の分類では、この作品は、ドラマではなく、青春あるあるバラエティーである。したがって、ドラマの分類で、低評価を下すことは無為である。
バラエティーとしてみればよいのであって、映画本来の魅力は別のところにある。

小説でも同じこと。
火花は、芸人小説というジャンルの作品であって、それ以上でも、それ以下でもない。
実は、吉本芸人の又吉氏は、そのことが分かっていて、「僕の作品を読んでおもしろくないと思っても、すべての小説がおもしろくないって思わないでください。いろいろな作家の作品を読んでください」との発言を残している。

たしかに、又吉氏の小説は、面白くなかった・読むのが苦痛だったが、彼は悪い奴じゃない。愛すべき奴であり、物事が分かっている・・・。



「逃げ恥」は、ドラマではない。バラエティーである。

TBSドラマ「逃げるは恥だが、役に立つ」がヒットした。私は、第一回、第二回、第三回あたりまで観たが、辛くて観ることができなくなった。

リストラされた主人公が、見ず知らずの一人暮らしの男性の「住み込みの家政婦」になるだろうか・・・。未婚女性が男性と暮らすことは、まぎれもなく同棲であって、好きでもない相手と暮らす女性をリスペクトできない。
雇用主と家政婦が、食卓をともすることにも違和感がある。

そのような設定のヘンテコリンな女性と、ガッキーの魅力的な容姿はあまりに隔たりがある。

シナリオライター氏は、昔だったら、ガメツイ女と思われたが・・・。と、発言しているようだが、ガメツイという形容以前に、おかしな女性である。
それを補っているのは、ただひとつ。
ガッキーの魅力である。



しかし、「逃げ恥」がヒットした。
とすれば、「逃げ恥」はドラマではなく、バラエティーである。
さらにいえば、作品の中にパロディーがあるので、パロディー・バラエティーということになるだろう。

バラエティーなら、「感情移入」とは関係のない、というか阻害する「(家政婦として)生活ちょっと情報」が挿入されているも許される。

名作ドラマ「冬のソナタ」に、そのような「生活ちょっと情報」が入っていたらどうかと考えてみれば、「逃げ恥」がドラマでないことが理解できるだろう。生活ちょっと情報は、ドラマの進行を停滞させる以外の何ものでもない。

テレビ番組のパロディーシーンがあることも、「ドラマの虚構性を強調している」のであって、「虚構をリアルに感じさせる」というドラマの本質に逆らっている。
つまりは、バラエティー番組であって、ドラマではない。



結局のところ、「逃げ恥」は、主演のガッキーが数字を持っていた。それにつきるだろう。

台本には無理が多く、「家事のちょっと情報」や「パロディー・シーン」で、表面をつないでいる。

ドラマ枠でオンエアされているからといって、この作品はドラマではない。高視聴率の番組だから、再放送もされるに違いないが、これがドラマだと思ってしまうなら、日本のドラマ界の混迷は、より一層深くなるに違いない。



というか、もしこの作品が映画化されたなら、映画館でバラエティー番組を観るという実験が試みられるということになる。
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