2016年12月11日

日本だけに四季がある。

そう、習った記憶がある。しかし、そんなことはない。ヨーロッパにも、アメリカにも、アフリカにも、四季がある。
私は外国に長期滞在したことはないが、映画を観ても四季があるのが日本だけでないことは明らかである。

ならば、それを誰かが明確に否定しなければならない。



指摘すべきなのは、俳句は季語が条件であり、日本では、季節が芸術に深く関わってることである。

日本の芸術が表現する目標は、「無常」である。

青山教授いわく、ギリシア以来の芸術が表現を目指すのは、「世界の本質」である。アリストテレスのミーメーシス芸術論では、芸術は自然の模倣であり、過去の芸術作品の模倣であるとする。



さらに詳しく言うと、自然は完璧ではなく、それを補完するのが芸術であると…。現実では、ハンサムボーイのキムタクがでべそだったりする。自然は完璧ではない。



世界の本質を「無常」と読みとった日本文化。
一方の西洋は、「存在」と「認識」に分断され、混乱している。

父を殺し、母と交わるような人間の愚かさを、神話で描かざるをえなかった文化は邪悪である。

一方の日本の神話は…。
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2016年12月10日

音楽に国境はない。

平成になっているが、昭和の俗諺が否定されていないのは、困ってしまう。

表題は、「言語は異言語を話す人には理解できないが、音楽は異言語を話す人にも理解できる」という意味だろう。
だが、それは間違いである。

同じ音を聴いても、聴く人が所属する文化により、感じ取る意味は異なる。たとえば、中国人が鳩を見て「おいしそう」と思うが、日本人はそう思わない。日本人がタコやイカが動いているのを見て、「おいしそう」と思うのに、西洋人がグロテスクと思うのの違いがある。



昭和の間違った俗諺を、平成の叡智は否定していかなければならない。



結局のところ、音楽の絶対性を主張したドイツ観念論の人たちの影響が大きいのだろう。

放送大学の青山昌文教授によれば、革命で自由を実現したフランスに対して、専制君主制のドイツでは、自由を実現することが出来ず、理想を自己の内面に求めた。
芸術作品と自己が向き合うとき、芸術の中に社会が入り混じっていると、ドイツの現実を思い出してしまう。
そこで、芸術作品に社会が介入することを否定した…。

そんなドイツの事情を、日本人は知らないまま、素直に信じ込んだのである。
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2016年12月09日

「君の名は。」と平原彩香さん。

「君の名は。」が空前のヒットで、宮崎駿氏の「千と千尋…」に迫る勢いなのだという。
しかし、監督の新海氏が、宮崎駿氏に比肩するのかといえば、そうではないだろう。

というのも、2ちゃんねるのスレッドを見ていたら、新海演出の特徴は、
・実景をトレースしていること。
・髪型を変えると、キャラクターの違いが分からない。
・主人公以外は、3次元CGなので、違和感がある。

などだという。
私の分析は、出資会社などの意見を素直に取り入れたため、設定が満載になり、構成に矛盾が起きている。



結局のところ、新海演出は誰でもできる。
…そんな感じ。

何故なら、実景をトレース。そこにこそ、この作品の最大の魅力があるから。

大洗の街に、戦車が大集合するガルパンのような系列の聖地巡礼の発生をねらった作品なのである。



一方の平原彩香さん。
デビューしたのはJupiter。ヒットの手柄は、ホルストにある。

デビュー作がブレークしたために、彼女は、ろくなレッスンもしないまま、商品になってしまったのが不幸の始まり。
スターになった彼女のダメさを指摘する人はいないし、教える人もいない。彼女のお父さんがグルーヴしているのに、彼女はグルーヴできない。
彼女の家は、音楽を教えないのが伝統だというが、それが良いことなのか。体操やフィギュアスケートを思えば、教師や先輩が教えることによって、技術が進化していったのであり…。

サウンドオブミュージックの吹き替えのパフォーマンスを聴けば、ジュリー・アンドリュースとの違いは明確。つか、比べるのが非情。
メイ・ジェイさんのように、松たか子さんと比べられなかったのが、せめてもの慰め。

彼女の歌は、ひとつの景色の時はよいが、複数の景色を表現しなければならない時に、欠点が明確になる…。



実写トレースアニメは、これから続出するに違いない。
その時、新海監督は、どのようなオリジナリティーを発揮するのだろうか。

そして、平原さん…。
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2016年12月05日

バスルーム 裸の二日間

という映画をCATVで観た。

しかし、内容は、エロな映画ではなく、良質な室内劇だった。

男女の問題。
世代間の問題。
ファシズムと大衆。
芸術の問題。

それらが、鍵が壊れて、バスルームに閉じ込められた女学生と老教授の間で繰り広げられる。



セックスの話は表層であって、監督は、それを描こうとしていない。
描こうとしたのは、老人のセックスではなく、老人の愚かさとはかなさである。

こういう映画が、エロ映画というくくりで分類・宣伝されることは、なんとも残念である。

http://yume551.com/foreignfilm/3385.html



エロでも、サスペンスでもない。

ベルイマンや、ウッディ―・アレンと比すべき作品なのに、そんな感想ばかり…。
嘆かわしい。

http://video.akahoshitakuya.com/v/B008Z4XHVC


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2016年12月04日

言葉の重要性。

車の左側の下部を傷つけた、初心者マークの娘の発言。
私は、「わたし、大回りしてしまうんで…」。

この発言で、私は理解した。
「もっと大回り」していれば、前輪と後輪の間に傷がつくことはなかった。

こういう言葉が実は、誤解の起点だったりする。



たとえば、音楽で、「ほかの人の音を聴いて」。
愚直に、ほかの人の音を聴くと、聴いた分だけ、遅れるのである。

野球で、「よくボールを見て」。
だが、ボールを見たら、ボールは打てない。
打つためには、ボールの軌道を予測しなければ…。



生真面目な人ほど、墓穴を掘る。

そんなことがあってはならぬはずなんだが…。
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2016年12月01日

無料の有料テレビ。

CATVの話だが、有料放送だからと、チャンネルを選択していないと、損をする。
というか、期間限定の話だろうが、丸一日、無料放送だったりする。

最近でも、ミュージックエアが久しぶりに無料放送だったので、ジュールズ倶楽部という音楽番組を観ることができた。




さて、昨日は、フランスの放送局を無料で観ることができて、そのひとつの番組は、ハリウッドが第二次世界大戦中に、プロバガンダ映画を多く製作していたことのドキュメンタリーであった。

このような企画は、アメリカでは実現するはずもなく、フランスとアメリカの文化・立場の違いを大いに痛感させてくれた。



私たちには、アメリカとイギリスの違い。
アメリカとカナダの違いが分からない。

それは、西洋人が、日本と韓国の違いが分からないのと、同じことなのかもしれない。
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2016年11月30日

父親がこどもに伝えているか…。

結局のところ、社会人になった私は、父親や母親から、ほとんどアドバイスを受けていない。

離れて暮らしているから、仕方のないことかもしれないが、アドバイスがあれば、少しは違った人生かもしれないと思っている。



ギョーカイに進む娘の友人たちのために、私なりのアドバイスをテキストにして限定公開した。

もし、本当にやりたい企画があるなら、企画会議で出してはダメ。と、書いたら、娘の友人は大いに納得してくれたという。

その理由は、企画会議で発案すると、誰かが反論する。
しかし、企画会議に出されければ、反論はない。

だから、企画会議を通さないことが、企画を実現する近道なのだ。



私は、失敗談として、それを経験したが、娘の友人が、成功談として語れることを祈っている。





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2016年11月19日

宮崎駿氏の勘違いと、「君の名は。」。

NHKのドキュメンタリーで、宮崎氏は、「映画はストーリーで好きになるんじゃない。ワンショット観た瞬間に、これはすばらしいって思う。それが映画だ」と告白する。

つまりは、長く見続けないと分からないシナリオではなく、一瞬で魅力が分かる画の力である。と。
だが、これは間違いである。




シナリオの巧拙が、アニメーション作品に決定的な事項であることは間違いない。

ただし、宮崎氏の一瞬にして、素晴らしさが分からないとダメ。ということでは、シナリオではなく、構成感ということになる。

つまり、作品で一番重要なことは、「構成感」である。



映像作品で構成というと、シナリオの構成と考えるかもしれないが、それはConstructionである。
だが、構成には、もうひとつCompositionがある。

つまり、縦軸のConpositionと、横軸(時間軸)のConstructionという、ふたつの構成感が重要なのである。




番組中、宮崎氏は、毛虫のアニメーションに取り組んでいたが、毛虫という気味が悪い物を、可愛いと感じる。そういうコントラスト・コンポジションがあってこそ、観客は魅力を感じるのであって、これが、「可愛い子猫」が「可愛い動きをする」のでは、コントラスト・コンポジションはなく、素晴らしい作品にはならない。

宮崎氏のような発言が、画さえ良ければいいんだと、アニメーターに思わせ、新海誠氏のような監督を生むことになる。

そんなことを感じている。
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2016年11月14日

ディスタントリーディング(速読)と情報学。


ディスタントリーディングとは速読であり、対立概念は、クロースリーディング(精読)である。
というか、ディスタントリーディングは、クロースリーディングの反対概念だから、遠い読書ということかもしれない。
ディスタンスというのは、距離だから、遠い読書というのが、本来の訳語だろう。続きを読む
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2016年11月12日

「君の名は。」のダメさ。

古館伊知郎の番組で、「君の名は。」の監督が出ていた。

泣けたという人がいた中で、酷評する人がいる。娘が観にいき、駄作だというので、私は観ていない。

スタジオ諸氏の感動は理由は、

1. 東京の街並みが美しい。
2. 雨の石畳が美しい。
3. ラッドウィンプスの音楽が素晴らしい。
4. 小野小町の歌。…夢。

結局のところ、この作品で、大部分の観客は、感情移入できない。
それが、この作品の評価が分かれる、最大の理由だろう。

http://matome.naver.jp/odai/2147383215514781101



〈設定〉は〈ドラマ〉ではない。

この作品の主人公の生き方に励まされたという感想がない。
それこそが、〈設定〉を越えた〈ドラマ〉が、この作品に存在しないことの証明だろう。

〈設定〉とは、例えば、雨が降るということ。
ご都合主義の〈設定〉とは、主人公たちを相合傘にするために、雨が降るという〈設定〉にすること。
つまり、雨が降り、主人公たちが相合傘になり、恋が芽生える。それは、〈ご都合主義の設定〉ということである。

〈設定〉が対立を煽ったり、新たな展開を生むなら、〈設定〉は〈ドラマ〉に昇華する。

たとえば、「隣のトトロ」で、雨が降ってきて、カンタ少年が、黙って傘をさつきに差出し、雨の中を走って帰る。
さつきはめいと一緒にカンタ少年の傘で帰る。寡黙な少年の気持ちが伝わってくるシーン。〈ドラマ〉である。



新海監督が、今後、どうなっていくのかは分からない。
優秀なプロデューサーがつき、優秀なシナリオライターを使って、〈ドラマ〉を盛り込んでいくなら、彼の名声は今後も続くに違いない。今回の作品も、さまざまな人の意見を聞き、自分のやりたい事を抑えながら制作したというから、大丈夫だろう。勿論、今回の大成功で、彼が、妙な欲を出さなければの話であるが…。
posted by スポンタ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | メディアウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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